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第17話 聞き分けのいい消化器官

 胃袋と腸が、食べものを呼んでいる。


 ニンゲンの青年の姿に変身中のイルムは、ニンゲンの胃袋と腸について考える。

 海竜の姿のときは、数日に一回、場合によっては一週間に一回の食事で事足りていた。


 この姿、この内臓は数時間ごとに食糧を欲するらしい。


 活動の割に燃費が悪い。それがイルムのニンゲンの体への感想だった。


「イルム。町に着く前に、お昼ごはん食べよっか」


 イルムの腹の虫の音を聞いた空びとの少年、リーフが提案した。ここは畑に面した林道だった。民家はまだ見えないが、町は近いはずだ。

 イルムは、両手で抱えていたリーフを、いったん降ろす。ずっとイルムの「超・高速走り」によって移動している間、イルムの腕の中にいたリーフは大地に立ち、うん、と伸びをした。


「地びとの社会と空の国のお金は違うから、僕はお金を持ってない。だから、ごはんは町のお店屋さんじゃなくて自然のものをいただくしかないんだけど――。でも、農作物はだめだよ。地びとの誰かが大切に作り育てているものだから」


 そう言ってリーフは、食べられそうなものはないか、きょろきょろ辺りを見回した。


「空の国のものは、必要以外、なるべく地びとの社会に持ち込まないようにしなくちゃいけないんだ。だから、お金になりそうな価値のある物を持っていても、地上でお金に交換しちゃいけない。魔法石と一緒で、どんなトラブルを招くか、わからないから」


 地上にないものは、なるべく流通させないようにする、反対に空の国にないものは、空の国でなるべく流通させないようにする、二つの世界の掟、というより二つの世界の平穏のための知恵だった。もっとも、婚姻などで生活が二つの世界をまたぐ場合もある。それでも、なるべくそれぞれの秩序は乱さないように暮らす、郷に入っては郷に従え、そういう暗黙のルールがあった。

 そんなわけで、この辺りで農作物などではない、なにか自然の食料を見つけよう、とリーフは提案する。


「そうか。と、いうことだそうだ」


 と、イルムは自分の内臓たちに言い聞かせる。イルムは自身の消化器官たちに、食事はもうちょっとおあずけ、と説明していた。


 うむ。


 イルムの消化器官たちは、聞き分けがよかった。


「自然のものは、自然の中だね」


 リーフはそう言いながら、畑とは反対側の土手に行き、続く林の中へ分け入る。


「川の音が聞こえるな」


 イルムの野生の感覚は、ニンゲンの姿の聴力を越え、かすかな水音を察知した。


「お魚だ! 川のほうへ行ってみよう……!」


 元気よく叫んでから、あっ、と短くリーフは声を上げる。


「どうした、リーフ」


「この感じ……! きっと……!」


 リーフは藪をかき分けるようにして、駆けだした。


「リーフ。この感じ、とは……?」


 リーフの金のさらさらの髪が、揺れる。小さな背に、みなぎるのはたぶん喜び。


 魚がとれるのが、そんなに嬉しいのだろうか。


 突然、全身に喜びを表しつつ駆けだしたリーフ。魚がとれるかもしれないことに、狂喜乱舞モードなのかとイルムは思う。


「おーい!」


 リーフは叫んでいた。右手を高く上げ、振ってさえいる。


 魚に、おーい、と呼び掛けるのだろうか。手まで振って。


 張り切り過ぎだろう、まあ、私がいれば川魚など一網打尽だが、ニンゲンの漁のように網はなくとも、などとイルムが考えた、そのときだった。


「おーい!」


 姿は見えないが、誰かの声。思いがけず、リーフの「おーい」、に返事が来た。


 魚から、返事ありき! しかも、おーい、とは!? 人語を話す、奇跡の一匹現る……!


 リーフのあとを駆けながら、イルムは目を丸くした。ぎょっ、という擬態語がぴったりの様相。相手が魚なだけに


「わあっ、思った通りだ! 返事が来たよ!」


 振り向いたリーフの顔は、はちきれんばかりの輝きを放つ。


「リーフ、お前、魚と友だちに――」


「マルテーッ!」


 え。


 リーフは、マルテ、と叫んでいた。リーフの親友、空びとと地びとの間に生まれた少年であり、リーフの旅の目的、マルテの名を。魚、ではなく。


 魚―っ、じゃなくて、マルテ―ッ、ということは……。


「リーフ!」


 返事が返ってきた。驚きと喜びに満ちた、少年の声。


 マルテ……! 声の主は、マルテ……!


「リーフ、やっぱりリーフだ!」


 優しい響きの、少年の声。


「うんっ、マルテ! 無事だったんだね……! 本当によかった……!」


 緑の陰から、もうすぐ見えるはず。リーフの探す、大切な親友の姿。魔法の力とお互いの声で、彼らはお互いの存在を感知したのだ。


 人語を話す魚は、いなかった……!


 なぜか、イルムは変なところに衝撃を受けていた。


「探しに来たんだよ、マルテッ!」


「リーフ! まさか君が地上に来てくれるなんて……!」


 リーフとマルテ、小川を挟んで彼らは再会を果たした。


「あっ」


 イルムとリーフは、同時に短く叫ぶ。降り注ぐ木漏れ日、マルテの隣に、背の高い青年の姿を認めたからだ。


「やあ……! また会ったね……!」


 青年の、喜びに満ちた声。それは――。


「ソル!」


 イルムとリーフは再び声を揃えた。弾けるような笑顔と共に。

 マルテの隣には、地びとの旅人、ソルが立っていた。




 小川のせせらぎ、緑の風。

 大きな木の根元、イルム、リーフ、マルテ、ソル、と並んで座った。


「たくさんある。皆で食べよう」


 ソルは、自分とマルテの昼食用に町で買った弁当と、保存食の固く焼いたパンを広げた。


「これも、ある」


 イルムが秒速でとった川魚たちも、お昼に加えられた。こちらは、焼き上がりに少々時間が掛かるが。


「マルテとソルが一緒にいるなんて――、本当にすごいや!」


 リーフが大きな目をさらに大きくして、しみじみと驚きの感想を述べる。


「うん。町でマルテに声を掛けられたんだ。まさか、君の探していた親友とは思わなかったけど……」


 ソルが、打ち明けた。




「剣もおにいさんも、泣いてる……」


 初めての町で見知らぬ少年に声を掛けられたソルは、そのときなんと反応していいか戸惑っていた。


 ええと。どう返せば……。でも、なんだろう……。とても真剣な、心から案じてくれているような眼差し……。


 涙ぐむ大人を――といっても、そのときすでにソルの瞳から涙は消えていたはず、しかも頬を濡らしたわけでもなかったので、どうして泣いていたのがばれたのか、少し不思議だった――子ども相手だからと、おどけたり冗談を言ってごまかすのは、違うと思った。


「ありがとう……。俺は大丈夫だよ。えっと、剣……? 君はどうして剣も泣いているって、思ったの?」


 少年の目線に合わせて身をかがめ、ソルはゆっくりと言葉を選びつつ尋ねた。


「その剣。僕にはわかる……。不思議な剣。魔法が、関係してる」


「へえ……! 君には、わかるんだ……!」


 はい、と少年はうなずいた。そして、辺りを気にするように視線を周囲に巡らせてから、


「僕は、空びとと地びとの間に生まれたんです。だから、魔法が使えます」


 と、語った。


「えっ、そうなんだ……!」


 ソルは驚きに息をのむ。空びとの血の入った魔法の使える少年、ということは――。


「魔法石……! 君、魔法石について、知ってること、教えてくれないか……!?」


 少年の両肩に分厚い手を置き、つい早口で尋ねてしまった。

 しっ、と華奢な人差し指を自分の唇に当て、少年は声を潜めるよう促した。


「僕も、探してる。そして、僕は狙われてる」


「えっ」


「僕の名は、マルテ。おにいさんとその剣の悲しい気持ちが風に乗って伝わってきたから――、つい声を掛けてしまったんです。でも、おにいさんも魔法石を探していたんですね。空の国の魔法石を、地びとに渡す目的で持ち出しちゃいけない。だから、僕がおにいさんにしてあげられることは、残念だけどなにも――」


「えっ、マルテ……!?」


 ソルは聞き覚えのある少年の名に、思わず大きな声を上げてしまった。


「僕の名が、なにか……?」


「いや、まさか、ね……。昨日港町で出会ったリーフっていう君くらいの歳の少年が、親友のマルテ君を探す旅をしてるって言ってたけど、まさか、それは偶然――」


「リーフ!」


 マルテは、びっくりしたように目を大きく見開いた。それからたちまち笑顔に変わっていく。


「ええと、それは金色の髪で青い瞳の、ですか……?」


「うん! そう! イルムっていう不思議な青年と一緒にいたよ」


 イルム、という青年の名には心当たりがなく首をかしげていたが、マルテは、


「もしかしたら……、リーフ……。僕を追い掛けてきてくれた……?」


「俺の名は、ソル。マルテ、リーフが君の知ってるリーフかわからないけど、港町のほうへ行ってみる?」


「はい……!」


 


「それで、合流できたわけか」


 なるほど、とイルムは固いパンを、ぐにーっと噛んで引っ張りつつうなずいた。

 

「でもどうして、林の中を通っていたの? まさか……!」


 リーフがマルテとソルを交互に見ながら、尋ねる。


「それは――」


 マルテの顔に、さっ、と影が差す。


「僕は追われてるみたいなんだ――。そして……」


「やっぱり、あいつらに……!」


 マルテの言葉の途中でリーフは立ち上がり、叫んでいた。が、そのときイルムは、


 うまい。このパンというものは、食べられるのを抵抗しているようだが、うますぎる……!


 イルムの口と消化器官たちは、パンの固さとの戦いを楽しんでいた。


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