第16話 ふたつの竜
なぜ、ここは禍々しいのだろうか。
ニンゲンの青年の姿に変身中の海竜のイルムは、空びとの少年リーフを抱え、謎の少年ラーズと大男の行方を追っていた。
まとわりつくような空気、毒々しい緑、曲がりくねった枝や地上に露出する大蛇のような木の根――。
この森に漂う空気は、あのラーズたちの影響ではないな。それよりこの森自体――。
なにかが潜んでいる、とイルムは思う。この森にはきっと、主のような存在がいる、と。
「あっ」
唐突に、続いていた緑が途切れた。風が巻き上がる。崖だった。
「ラーズたちは、この崖を駆け下りたのだろうか――」
眼下にラーズたちの姿は見えない。
「うん……。あのお馬さん――、操られているみたい。きっと、鳥さんと同様、魔法で操られてるんだ」
魔法の力で、極限まで能力を発揮できる、普通なら恐怖やけがの可能性を考えて、しり込みしちゃうような場所でも全力で行けちゃうんだ、だからお馬さんは、あっという間に崖を降りていったんだと思う、とリーフは推測していた。
「追うか?」
イルムは、崖を降りる自信があったようだ。魔法で、というより自力で。
ううん、とリーフは首を左右に振った。
「きっと、気配も追えないと思うし……。イルム、とりあえず、戻ろう?」
「戻る?」
意外な指示に、イルムは面食らう。行く気満々だった。
「うん。きっと、あの分かれ道の違うほう、あれが町へ向かう道だったんだよ。とりあえず、町に行ってみよう」
「町……、町に行くと、ラーズ、もしくはマルテについてなにかわかるのか?」
「わからない。でも、町にはたくさん人がいる。多くの地びとの集う場所、情報がなにか得られるかもしれない」
ラーズという少年の名前の手掛かりから、また少年でありながら印象的な美しい容貌で目立つことから、もしくは空びとと地びとの間に生まれたという特徴的な条件から――人々はそういった特殊な生まれの人について、敬遠しながらも興味関心を抱くものだ――、なにか知っている人もいるかもしれない、噂のようなものもあるかもしれない、とリーフは考えているようだった。
「そうか。奪われた魔法石を探しているマルテも、情報を得るために町を渡り歩いている可能性が高いか」
イルムとリーフは、来た道を引き返すことにした。この森を抜ける道は、他にもあると思われたが、とりあえず町へ行く確実なルートは、遠回りになっても戻ることだろう、とふたりの意見は一致した。
視線を感じる。
しばらく進む中、イルムは、自分を見つめる「目」の存在に気付く。
これは、ラーズでも大男でもない。ニンゲンではなく、おそらく、この森の――。
ざざざ、めきめきっ。
土が崩れ木を裂くような音がした。実際は土が崩れたわけではなかった。土を割り、木の根を突き破る音。地底から、巨大ななにかが現れたのだ。
「わあっ、な、なんだ……!」
リーフが叫んだ。魔法を使えるリーフも、まったく気付かなかったようだった。イルムとリーフに影を落とす、それは見上げるばかりの巨大な怪物。
「お前は、海竜か」
怪物が、しゃべった。しかも、イルムの正体を見抜いている。
「お前は、地竜か」
イルムが、問う。それはもちろん、ミミズを乾燥させた「地竜」という名の生薬を指しているのではなく、地に住む竜、という意味だ。その怪物は、トカゲの首を長くし、巨大化させたような見た目をしていた。翼こそないが、いかにも「竜」といった、いで立ちだった。
「お前は、どうして私のことを海竜と……?」
イルムが海竜であることを一目で見抜いた地竜。どうしてわかったのか、イルムは不思議に思う。
「ふふ。私には本質を見抜く能力というものがあるのだ。いくらうまく化けていようが、私の目はごまかせない」
ほほう。
イルムは、自分の目だったらごまかせるだろう、すごいな地竜の目、と素直に賞賛した。イルムの目、ごまかせる。
「地竜。お前は、あのラーズという少年と関係があるのか」
イルムはそう問い、抱えていたリーフを地面に降ろし、そして戸惑っているリーフを自分の後ろに隠すよう、前に出た。リーフに危険が及ばないよう、そして自らは戦えるよう、臨戦態勢だった。
「ああ、さっきの連中、か。もちろん知らんよ。私は、お前らの騒ぎで目覚めたのだから」
「目覚めた? 寝てたのか」
「ああ、百年、な」
百年も、とイルムとリーフは驚き声を揃えてしまった。
「それはすまなかった。なにか密かに潜んでいるとは思っていたが、寝ているところだったのか――」
「いや。謝らなくていい。ちょうどそろそろ起きるところだったのだ。だからこそ、お前たちの地上のちょっとした騒動なんかで目覚めたわけだ」
イルムとリーフは、顔を見合わせた。地竜は、怒っているわけでも襲い掛かろうとしているわけでもないように見えた。
「私の名は、イルム。そしてこの少年は、空びとのリーフ」
「ああ。空びと。もちろんわかっていたよ。私の目は本質を、以下略」
地竜は、実際に言葉で「以下略」と述べていた。あまり実際の会話で「以下略」を使う者はいないが。
「私の名は、シエンシア」
地竜は、シエンシアという名だった。
「海竜が地上にいることが珍しく、ちょっと声を掛けてみたくなったのだ」
シエンシアはそう言って、は、は、は、と豪快に笑った。
「闇のような空気を感じていた。シエンシア、でもお前はそういう感じじゃないようだな」
「まあ、私のエネルギーは『陰』の気質だからな。だからといって、『陰』すなわち悪しきもの、害あるもの、というわけではないぞ」
「なるほど。この世界は、『陰』と『陽』の二つのエネルギーで成り立っている。どちらが善悪というわけでもなく、どちらも極まれば危険、というだけだからな」
シエンシアとイルムの会話を聞いていたリーフが、そこで、あっ、と短く叫んだ。
「イルムが言ってた『よい悪いの定義はなんだ』って、そういうとこ……?」
イルムもシエンシアも、リーフをじっと見つめた。ふたつの竜の目に見つめられ、リーフは、あっ、でも僕よくわかんないけど、なんとなく似た話なんじゃないかなって思ったんだ、と慌てながら付け足した。イルムとシエンシアは、ゆっくりとうなずいた。
「きっと、本当のところは大いなる存在にしかわからない。まあそれぞれの、判断だ」
イルムは、リーフにそう言って微笑み掛けた。トカゲのような顔のシエンシアだったが、シエンシアの口元も、笑っている、とイルムにはわかった。
「ニンゲンの姿には、自分でなったのか?」
シエンシアが、尋ねる。海竜にはそういう能力があるのか、と興味があるようだ。
「いや。リーフの魔法だ。それから、魔法石で維持している」
「なるほど。やはりそうか。海竜の能力だとしたら、意味不明だからな」
わざわざニンゲンになる、それは意味のないこととシエンシアは思っているようだった。
「意味は、あるぞ」
「ほう。どんな……?」
どんな、と尋ねられ、イルムはシエンシアの瞳を見上げた。枝葉の間から漏れた陽光が踊る。
「たくさんの体験、知ること。そしてそれは生涯で得難い、宝のような時間だ」
ふむ、とシエンシアは唸った。それは、納得しているのか納得していないのか、どちらとも取れる反応だった。
「シエンシア。起こして本当にすまなかった。私とリーフは旅を急がなければならない。では、これで」
「いや。話せてよかった。非常に興味深い話をありがとう。では、地上を楽しめ、海竜のイルム、そして空びとのリーフ」
「ああ。ありがとう。偉大なる森の主、シエンシア」
イルムとリーフ、シエンシアは別れの挨拶をしたあと、互いの幸福を祈り合った。
「あなたにとって、よきことが訪れるよう――」
手を振ったあと、イルムはリーフをふたたび抱え、不思議な森をあとにする。
イルムとリーフは知らない。シエンシアも。
崖を駆け下りたと思われた、馬に乗ったラーズと大男。
彼らは強力な魔法で気配を消し、木の影から見ていた。
「なるほど。海竜、か。そしてそういうやりかただったのか――」
ラーズの美しい面差しに、歪んだ笑みが浮かぶ――。




