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第14話 アオミノウミウシ

 ニンゲンの青年の姿に変身中の海竜のイルムと、空びとの少年リーフは、深い森の中にいた。


 おお。緑。さっきの森と似ているけれど、漂う空気は全然違うな。


 昨晩から今朝滞在していた森は、明るく豊かな森だった。今いる森は、昼前なのに暗く、どこか張り詰めた空気が流れている。


 海の中でも、雰囲気がまったく異なる場所というものはある。こういった違和感のある場所は、危険が潜んでいるものだ。


 イルムの鋭い感覚が告げる。海の危険地帯同様、この森もなにかしらの危険をはらんでいる、と。


「ごめん。イルム。僕たち道を間違えたけど、結局合ってる」


 リーフが謎の言葉をのたまう。


「どういうことだ」


 イルムは、抱えていたリーフを地面に降ろした。リーフは腰に差している短剣に手のひらを当てながら、答えた。


「男の気配が近くなっている気がするんだ。でも、ここは町から遠い場所だと思う」


 短剣が残した男の気配。それには間違いなく近付いているという。そしていっぽう、ここはうっそうとした木々が生い茂る森、どう考えてもすぐ町に出られるとは思えない。もし森を抜けて町に出る道だったとしたら、食堂の店主がそう説明していたはずだ。


「よかったじゃないか。合ってる」


「うん。でも相変わらずはっきりとはわからない。というか――」


「というか?」


「近くに来たら、逆に余計わからなくなってきた感じがするよ。やはり、魔法で気配を消してるんだと思う」


 ぎゃあぎゃあと、不気味な鳥の声。あの昨晩飛び立った鳥なのだろうか、それとも関係ないのだろうか。

 見上げた空が、遠い。木々の枝に阻まれ、空が小さく見える。


「やあ。こんにちは」


 え。


 突然、声がした。今まで、人の気配をまったく感じなかったのに。澄んだ少年の声だった。イルムとリーフは、声のしたほうへ振り返る。


「兄さんが言ってたの、君たちだったんだね。探しに行こうかと思ったら、まさか君たちのほうから近くに来てくれるなんて――」


 木の幹に手を添えながら、少年が笑い掛けていた。


 これは、ニンゲンなのだろうか。


 イルムは、ちょっと戸惑う。目の前に突然現れた少年は、姿かたちこそニンゲンであるが、景色から切り取られたように現実離れして見えた。


 たとえば、精霊。


 光をまとった精霊のようだ、と思った。ハッと、目を引く。なにかが違うのだ。他に何人何百人のニンゲンがいようが、このニンゲンに目が行ってしまう、そんな強烈な引力をこの少年は持っているような気がした。

 赤い髪を肩まで伸ばし、伸びやかな手足、少女のような少年のような、子どものような大人のような――、光の当てかたでがらりと印象の変わるようなとらえどころのない美貌、しかし見る者を惹きつける強力な毒のようなものを隠し持っている、と思った。


 たとえば、アオミノウミウシ。


 少年は赤い髪だが、別名ブルードラゴンとも呼ばれる、アオミノウミウシという猛毒を持ったウミウシをイルムは思い出していた。


 一瞬にしてウミウシまで思い出させる、恐るべしニンゲンの子ども。


「君は、誰? 兄さんって、まさか――」


 震え声で尋ねるリーフに気付き、イルムはようやく現実に戻る。


「君は、空びとだね。そして、そっちのお兄さんは、空びとでも、地びとでも――、僕らの『家族』でもない――」


 少年は、リーフの質問に答えなかった。代わりに、リーフとイルムを鋭い赤の瞳で見据えていた。イルムの正体を見極めるように、燃えるような瞳で――。


「ウミウシ小僧。リーフの質問に、答えよ」


 イルムが、問う。言葉を発するのと同時に駆け、イルムは少年の息の届く距離まで素早く移動していた。が。


「ウミウシ小僧って、なんだよ」


 少年は、ひらりと跳び下がりながら、低い木の枝を掴み、逆上がりをするようにしてから木の枝の上に立つ。


「昨晩、私を襲撃した男がいた。ウミウシ小僧、お前が言っている『兄さん』とはそいつのことか」


 イルムも負けじと跳び上がり、なおかつ幹を駆けあがるようにし、なんと少年の木の枝の一段上の枝の上に立つ。そして、勢いよく前かがみになり、銀色の髪を盛大に垂らしつつ、少年の顔にさかさまになった自分の顔を近づけるようにした。

 にゅっ、といきなり目の前に顔を出された少年は、思わず叫ぶ。


「なんなんだよ、お前……! 怪物、か……!?」


「ウミウシ小僧、お前が先に自らを明かせ」


 イルムは枝を掴んで大回転、そして勢いよく少年の立っている枝に飛び降りた。大きく枝はしなった。


「イルムッ」


 地上から、たまらずリーフが叫ぶ。


「枝が、折れちゃう……! 二人とも、降りて……!」


 びゅん、と音がした。


 お。


 イルムの瞳は、なにかを捉えた。先ほどの音は、枝がしなる音でも折れる音でもなかった。イルムは、風を切って飛んできたなにかを、手で掴んだ。

 衝撃で手が、痺れた。掴んだ瞬間手のひらの中かすかに振動していたなにかは、細く固く、先端が鋭く尖ったものだった。


 これは、ニンゲンの武器……。


 海賊たちが船の甲板で戦っていたとき、こんな武器も見た気がする。「矢」だ。


「ラーズ様! 報告通り、やはりそいつは怪物に違いない……! その魔法石は、あきらめましょう……!」


 茂みの奥から、男の声と、蹄の音がした。弓を持った筋骨隆々とした大男が馬に乗り、こちらに向かってくる。この男が放った矢に、違いない。


「あきらめる? まさか――」


 少年は、目の前のイルムを見上げながら、にやり、と笑った。精霊のような神秘的な印象はたちまち消え、禍々しい闇の色をたたえる。


「でも、いったん退くとするか。もっと準備と作戦が、必要みたいだ」


 少年は、空を舞うように飛び降りた。そして、リーフが呆気にとられる中、駆け出す。茂みの向こう、馬に乗った大男のほうへ。


「待て……!」


 イルムも飛び降り、駆け出そうとした。

 肩越しに、少年が視線を送り、なにかを唱え始めた。


「陽を求める下草たち、今こそ復讐を果たせ、お前たちの邪魔をし踏みつける憎むべき者どもへ」


 あっ、とイルムは短い声を上げた。草がイルムとリーフそれぞれの足首に巻き付いた。急に動きを止められ、イルムは転びそうになった。しかし、とっさに手をつき転倒は免れた。


 今の、魔法の呪文だったのか……!


 あはははは、少年の笑い声が遠く聞こえた。大男の後ろに乗り、走り去っていったようだ。


「くそ、草が……。草、くそが……」


 イルムが悪態をつく。ちなみに草は、笑う、の意ではない。


「イルム。待って」


 草を引きちぎるのは、簡単だった。でも、リーフはイルムを止めた。


「下草さん。自由に、自然に。君たちの命、健やかに輝かせて」


 リーフはゆっくりと言葉を紡いだ。


「リーフ。今のは……?」


 輝く光に包まれながら、絡みつく草が、ほどけていた。そしてなにごともなかったように、草たちは、ただ青々としている。


「今のも、呪文だよ。魔法を解いて、自然に戻す呪文。下草さんたちは、もう普通の状態に戻ったよ」


 操られて絡みついた下草、引きちぎるのは忍びなかったに違いない。魔法の力で操られたものを、魔法の力で解放したのだ。ありがとう、リーフ、と、イルムは下草に代わって礼を述べた。


「あの少年――」


 イルムは、少年の消えたほうを見つめる。


「ラーズという名か――」


 大男の呼び掛けにより、謎の少年の名を知った。


「そして、敵は少なくとも三人か……」


 襲撃者、ラーズ、大男。三人の存在を心に刻んだ。




 茂みを踏み越え、岩を飛び越え、風のように、深い緑の中を駆ける。

 激しく揺れる馬の背の上、ラーズは、呟く。


「空びとの少年、リーフ」


 大男は、手綱を持ったまま振り返らない。


「そして、イルム、か。人の姿をした、謎の怪物――」


 リーフとイルム、ふたりの名を知った。


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