第27話 明日の足音と、背後の影
武闘大会を翌日に控えた仮ノ町支援所は、朝から異様な熱気に包まれていた。
何しろ――支援所生活者が大会に出場するのは、史上初の出来事だ。
瑞希は、真冥の顔を見るなり笑った。
「いよいよ明日だね」
「うん。やれるだけやってみるさ」
今日はアローラから“完全休養日”をもらっている。
だが、前日までの激しい特訓の影響は、ほとんど残っていなかった。
真冥は軽く腕を回しながら思う。
(……これも、アローラさんの特訓のおかげなんだろうな)
支援所の仲間たちも、次々と声をかけてくる。
「俺たちも観戦に行くからな!」
「無理しないでね、真冥くん!」
真冥は、少し照れくさそうに笑い返した。
そんな中、フェルドが書類を抱えて近づいてくる。
「真冥さん。明日の大会のこと、何か聞いてますか?」
「……あ」
そういえば、何も知らない。
フェルドは深いため息をついた。
「……やっぱり。そうだと思いました」
そして、淡々と説明を始める。
「大会はトーナメント方式です。参加者は“レベル10以下の転生者”に限定されています」
「なるほど……普通の大会って感じだね」
フェルドは頷き、続けた。
「戦闘不能になるか、場外に出たら負けです」
真冥の表情が、わずかに曇る。
「戦闘不能……」
フェルドは慌てて補足した。
「あ、心配いりません。競技中に受けた“致命傷”は、身代わりドールが代わりに引き受けます」
「……致命傷、って」
「はい。ただし――」
フェルドは苦笑しながら、言葉を継いだ。
「“完全に安全”というわけではありません。ドールが受けきれない損傷や、想定外の事態が起きる可能性も、ゼロではないです」
「いや、それ聞いても全然安心できないんだけど!」
「大丈夫ですよ。天界から救護班も来ますし、この十年、死亡者は出ていません」
「“十年出てない”って言われても、不安は消えないよ!」
フェルドは、肩をすくめる。
「……まぁ、そうですよね」
支援所の空気は、相変わらず明るい。
だが、真冥の胸の奥には、じわりとした緊張が確かに広がっていった。
瑞希が、ふと思い出したように真冥へ声をかけた。
「そうそう。明日はアステリアも応援に来るってさ。こういう時くらいは、有給を使うんだって」
(天界にも有給休暇あるんだ……)
真冥は、天界のブラックさをこれまで嫌というほど見せつけられてきたため、素直に驚いた。
「それから……」
瑞希はそう言うと、鞄から小さな容器を取り出し、真冥に差し出した。
「万能軟膏。これがあれば、少しは安心できるでしょ?」
ここ数日のアローラの特訓で、真冥の自前の万能軟膏はほとんど底をついていた。
「ありがとう、瑞希さん」
さらに瑞希は、もう一つ、鞄の中から何かを取り出した。
それは、丸くて、ボールのような形をしている。
「これ、スライム粘液」
瑞希は得意げに説明し始めた。
「ほら、いつも瓶で持ち歩いてるでしょ?あれって、使う時ちょっと時間かかるじゃない。だから、粘液を水風船に詰めてみたんだ」
なるほど。
よく見ると、それはゴム製の風船の中に、どろりとした粘液が詰まっている。
「これなら、すぐ取り出して相手の足元に投げつけるだけでいいでしょ?」
瑞希は、今回の大会に真冥が出場すると決めた時から、密かに“スライム粘液の改良”を考えていたのだった。
「そういえば……アローラさん、見かけませんね?」
こんな状況なら、真っ先に真冥をからかいに来そうな人物が、なぜか姿を見せていない。
「あぁ、アローラさんなら来客の応対で、所長室……もとい、自室にいらっしゃいますよ」
フェルドは、支援所の奥――アローラの私室がある方向へ視線を向けた。
「……所長室?」
真冥は、その言葉を聞き流せなかった。
「失礼。実はアローラさん、この支援所の所長なんですよ」
「えっ!? アローラさんが所長だったんですか!?」
フェルドは肩をすくめる。
「誰も“所長”なんて呼びませんからね。分からなくて当然です。……むしろ、真冥さん。そこに気づかなかったのは、洞察力がちょっと足りないですよ?」
「え、そういう問題なの……?」
フェルドは、真顔で続けた。
「だって、アローラさんを部下に持つ上司がいたら、三日で胃潰瘍になって入院しますよ?」
真冥は、一瞬想像してしまい――そして、すぐに納得してしまった。
「……確かに」
「それとですね」
フェルドは声を潜める。
「アローラさん、肩書きで呼ばれるのをとても嫌うんですよ。“人の名前を捨てて役職で呼ぶなんて失礼だ”って」
「もし所長って呼んだら……?」
「たぶん、その場で“やめなさい”って笑顔で言われます。そのあと、何が起こるかは――ご想像にお任せします」
(……絶対、笑顔のまま地獄見るやつだ)
真冥は、心の中でそっと合掌した。
所長室――もとい、アローラの自室は、相変わらず生活感に溢れていた。
書類の山の横に、空になったマグカップ。
その部屋の中央で、アローラはソファーに深く腰掛け、足を組んでいた。
向かいに座るのは、白い法衣に身を包んだ天使。
整った顔立ちだが、表情は感情の起伏に乏しく、事務的な冷たさが滲んでいる。
「東ノ京支援所・助役、ヴェルナーです。本日はお忙しい中、お時間をいただき感謝します。アローラ所長」
淡々と名乗る天使に、アローラは片眉がピクリと跳ねた。
「はいはい。で、“助役さま”がわざわざ仮ノ町の片田舎まで来た理由は?」
ヴェルナーは一枚の書類を取り出した。
紙面には、天界の印章がくっきりと刻まれている。
「先日の“万能軟膏”の件についてです」
アローラの表情が、わずかに曇る。
「天界から“裏付け”が出た件、だね?」
「はい。――その判断が、“天界の過剰関与”にあたるのではないか、という正式な異議申し立てを、東ノ京支援所から提出することになりました」
アローラは、鼻で笑った。
「ふーん。要するに、“結果が良すぎたのが気に入らない”ってこと?」
「感情論ではありません」
ヴェルナーは机の上に書類を置く。
「支援所連絡会を経由せず、天界職員の独断で判断が下されたことが問題なのです」
「それは誤解がある。その提案をしたのは確かにアステリアだよ。だけど現場を見て、わたしが判断し、正式に依頼した。それだけ」
「“それだけ”では済みません」
ヴェルナーは視線を伏せ、淡々と続ける。
「本件は、わたしのスキル『公文生成』により、提出用の書類作成に取り掛かっております」
ヴェルナーのスキル『公文生成』を発動すれば、彼の提出した書類が“天界の審議対象案件”となってしまう。
「……案件化するつもり?」
「はい」
その一言で、空気が一段、重くなる。
アローラは椅子にもたれ、天井を見上げた。
「つまりさ。天界としては『正当だった』と思ってても、案件になった以上、『審議会』が発足するってこと?」
「その通りです」
ヴェルナーの声は、どこまでも事務的だった。
「東ノ京支援所から見れば、“天界が支援所連絡会を飛び越えて介入した前例”ができたこと自体が問題です」
「……現場の判断だと言ったでしょ?連絡会経由だと時間がかかりすぎる。それでも問題だと?」
「組織とは、そういうものです」
やがて、ヴェルナーは静かに告げた。
「誤解なさらないで欲しいのですが……。我々は処分を求めているわけではないのです。問題を天界の記録に残し、天界側の正式な見解を求めているだけです」
「とは言え、審議にかけられるのは確定でしょ?」
アローラは小さくため息を吐いた。
「正しかったかどうかじゃない。“問題になったかどうか”で処分が決まる、ってわけか」
「……」
ヴェルナーは否定もしなかった。
「では、当方の要件はこれだけですので……」
ヴェルナーは立ち上がり部屋を出ていく。
アローラはじっと天井を見つめているだけだった。
ヴェルナーが部屋を出た、その廊下の先――ロビーでは、真冥がフェルドや瑞希と大会の話で盛り上がっていた。
笑い声。軽口。いつもと変わらない日常。
だが、その裏側で――
“正しかったかどうか”とは別の理由で、誰かの立場が、静かに動こうとしていることを、真冥はまだ、知る由もなかった。




