第26話 鍛える者と、鍛えられる者
翌朝、時刻は十時過ぎ。
仮ノ町支援所のロビーに、場違いなほどガタイのいい初老の男が姿を現した。
腰には朱塗りの鞘を佩き、その一歩ごとに床板が軋む。
その存在感に、受付のフェルドは思わず背筋を伸ばす。
「……あの、何かご用でしょうか?」
男は鋭い目つきで辺りを見回し、低く言った。
「坊主……いや、真冥はおらんかの?」
「……すみません、お名前を伺っても?」
一瞬だけ間が空く。
男は鼻を鳴らした。
「わしか?わしは――緋渡 源三じゃ」
その名を聞いた瞬間、フェルドの表情が固まった。
(ひ、緋渡源三……!真冥さんの刀を打った、あの……!)
フェルドは慌てて視線を外へ向ける。
「……今、アローラさんと特訓中です」
確かに、支援所の裏手に設えられた訓練場からは、木刀同士がぶつかり合う乾いた音が響いてきていた。
源三はその音に、わずかに口角を上げる。
「ほう……ちょいと覗かせてもらおうかの」
そう言って歩き出す源三の背中に、フェルドが慌てて声をかけた。
「あ、いえ、今は近づかない方が……!」
源三は振り返りもせず、低く笑う。
「心配は無用じゃ。わしにも多少の“覚え”はあるからの」
――だが、その胸の内では。
(……真冥。零斬の手触りはどうじゃった?片袖は、ちゃんと馴染んだか……?……いや、まずは顔を見て聞いてみんとのぉ……)
源三は、“自分の最高傑作を渡した翌日の職人”特有の、どうしようもないそわそわを抱えたまま、訓練場へと向かっていった。
しかし――
そこで目にする光景は、源三の想像を遥かに超えていた。
訓練場に足を踏み入れた瞬間、源三の目に飛び込んできたのは――
“稽古”というより、“叩き直し”と呼ぶ方が相応しい光景だった。
「――ッ!」
乾いた音とともに、木刀同士が正面から激しくぶつかり合う。
次の瞬間、アローラの一太刀が、真冥の木刀を弾き飛ばした。
「指に力を入れすぎ!」
言葉と同時に、柄頭が真冥の鳩尾へ叩き込まれる。
「ぐっ……!」
真冥は後ろへよろめきながらも、膝をついて倒れるのを堪えた。
(……馬鹿な)
源三は、思わず目を細めた。
(零斬も片袖も無し。木刀一本で、あの女と打ち合っとる……)
アローラが手加減をしていることは分かっていた。
だが、その動きは、レベル1の人間が見せるそれではない。
振りは小さく、踏み込みも無駄が削ぎ落とされつつある。
「いい。刃筋が真っ直ぐになってる」
アローラの評価は相変わらず辛辣だが、確かな“成長の認識”がこもっていた。
「……もう一回、お願いします」
息を荒くしながらも、真冥は弾かれた木刀を拾い、再び構える。
アローラが踏み込む。
フェイント。
真冥は一瞬遅れ、脇腹を打たれる。
「目が泳いでる。相手の“手”を見るな。視覚に頼れば遅れる」
(……)
源三は、無意識のうちに腕を組んでいた。
(基礎から叩き直しとる。だが、真冥のやつ……ついていけとるな)
木刀の乾いた音が、規則正しく響く。
「来るよ」
その一言で、真冥は半歩だけ引き、今度は“予測して”木刀を合わせた。
――カンッ。
完全には受けきれなかった。
それでも、打ち崩されずに踏みとどまる。
「……今のは、及第点」
アローラのその一言に、源三の口元が、わずかに緩んだ。
(なるほどのぉ……。“下駄なし”の戦い方を、身体に刻ませとるわけか……)
アローラはふと視線を横に流した。
「……いつから見てたの、源三」
源三は、歩み寄りながら鼻を鳴らす。
「玄関から来たら、嫌でも耳に入ってのぉ。相変わらず、育て方が乱暴じゃな」
「死なせない範囲で一番効くやり方よ」
「相変わらずじゃ」
源三はちらりと真冥の目を見た。
(昨日、刀を取りに来た時の目じゃないな……“戦う者”の目になっとる)
そして、源三は静かに言った。
「アローラよ。一旦休憩させぬか? 追い込むだけが鍛練ではないじゃろ?」
「……いいでしょう」
そう言うと、アローラの表情は先ほどまでとは打って変わり、いつもの陽気で豪快な天使に戻った。
「真冥、お昼が終わるまで休憩するよ」
真冥は木刀を下ろし、肩で息をしながら源三を見た。
その目には、昨日までなかった“芯”が宿っていた。
休憩中、真冥は隣に座る源三に問いかけた。
「……源三さん。さっき、アローラさんの育て方は乱暴だって言ってましたけど、昔からあんな感じなんですか?」
源三は朱塗りの鞘を撫でながら、遠い空を見上げた。
「……ああ、そうだ。だがな、あいつは昔から、『戦えるのに、絶対に自分では戦わねぇ人』でもあった」
源三は、かつて魔物に占拠された鉱山での戦いを話し始めた。
「わしら腕に覚えのある転生者が前線で血を流し、一進一退の泥沼を演じていた時だ。あいつは、一番後ろにいやがった。レベルの低い、今にも泣き出しそうなガキどものすぐ隣にな」
「最後方に……?」
「そうだ。あいつが指一本動かせば、鉱山の魔物なんざ一瞬で消し炭だ。だが、あいつは魔物一匹倒さねぇ。……結局、わしらがボロボロになりながら制圧した時も、最後方で、ただ戦士たちの背中を見ていた」
源三は鼻を鳴らし、真冥を真っ直ぐに見据える。
「わしは思ったよ。薄情な女だと。だがな……制圧し終えた鉱山で、震えていたガキどもが『自分たちで生き残れた』って泣きながら笑った時、あのアローラが少しだけ、本当に嬉しそうに微笑んだのを見ちまったんだ」
源三の声に力がこもる。
「あいつの力は、強すぎる。本気を出せば世界を破滅させちまうほどの力だ。だからこそ、あいつは戦わねぇ。不条理なこの世界で、“誰かに立たせてもらう”んじゃなく、俺たちが自分の足で立つのを、あいつは待ってんだよ」
真冥は、支援所に戻っていくアローラの横顔を盗み見た。
アローラが自分に「壊れない体」を叩き込んでいるのは、単なる訓練ではない。
いつか、自分がいない場所でも、どんな理不尽(レベル1)の中でも、真冥が自分の足で立って笑えるように――。
「……俺、期待に応えたいです。数字じゃなくて、自分の力で」
真冥の言葉に、源三は満足げに深く頷いた。
真冥は、少しだけ言いづらそうに口を開いた。
「……源三さん。俺、近いうちに武闘大会に出ようと思ってます」
源三の眉が、わずかに動く。
「武闘大会……?」
「はい。強くなるため、ってのもありますけど……それ以上に――“誰かに守られる側”じゃなくなりたくて」
一拍の沈黙。
源三は、真冥の目をじっと見つめた。
逃げも、誤魔化しもない目だった。
「……なるほどのぉ」
源三は小さく息を吐いた。
「怖くはないのか?」
「……怖いです。正直、めちゃくちゃ」
それでも真冥は、視線を逸らさなかった。
「でも、逃げ続けるのは――アローラさんにも、源三さんにも、失礼だと思ったんです」
源三は、しばらく黙り込んだまま、朱塗りの鞘に触れていた。
やがて、ふっと笑う。
「阿呆じゃの。怖いなら、なおさら行け」
「……え?」
「怖さを知っとるうちは、人はまだ折れん。怖さを誤魔化して“自分は強い”なんぞ言い出した時が、一番危ねぇ」
源三は、真冥の胸元に指を向けた。
「そこで決めた覚悟なら、わしは職人として、背中を押すだけじゃ」
そして、少しだけ声を低くする。
「零斬も、片袖もな……“勝つための道具”じゃねぇ。“帰ってくるための道具”として打った」
真冥は、息を飲んだ。
「……必ず、生きて戻ってきます」
「当たり前じゃ。生きて帰ってきて、また文句を言いに来い。“思ったより切れ味が悪い”とか、な」
そう言って、源三は豪快に笑った。




