第20話 受け流す盾
真冥は腰袋に手を伸ばし、もう一つのレア素材――ハイ・ウルフの硬皮革を取り出した。
「これも、何かに使えませんか?」
源三は無言でそれを受け取ると、太い指先でその質感を確かめる。
一見すればしなやかで、加工しやすそうな獣皮。だが、節くれだった指で軽く叩くと――カンッ、と革とは思えない硬質な金属音が鍛冶場に響いた。
「……確かに硬ぇ。だが、刀の素材にゃ向かねぇな。おい、ちょっとこいつを視てくれ」
源三が奥へ声をかけると、静かな足音とともに一人の女性が姿を現した。
源三の妻、雫。
煤に汚れた鍛冶場にあって、彼女だけは澄んだ水を湛えたような落ち着いた雰囲気を纏っている。
彼女はアローラと真冥に柔らかな会釈を返すと、差し出された硬皮革にそっと掌を重ねた。
雫が目を閉じ、わずかに呼気を吐く。
「……防御性能は、極めて高いです。それに、魔力に対する抵抗力も備えていますね」
「だろうな。となりゃ、こいつは防具向きだ」
源三が腕を組むと、雫はさらに深く素材の声を聴くように続けた。
「強固な割に、動きを妨げない柔軟さもあります。……籠手にしてみてはいかがでしょう?」
「籠手、ですか?」
首を傾げる真冥に、源三がぶっきらぼうに補足する。
「腕を守る防具だ。右手に刀、左手に籠手。そいつを盾代わりに使えば、立ち回りの幅が広がるだろうよ」
だが、源三はそこで真冥の全身を舐めるように見つめ、鼻を鳴らした。
「……だがな。その細腕で攻撃を“受け止める”のは無理だ。お前さんじゃ、衝撃が籠手を通して骨まで響いちまう。殻だけ強くても、中身が弱すぎりゃ意味はねぇ」
源三の言葉は鋭い刃のように、真冥の未熟さを突き刺した。
真冥は短く息を吐き、素材を強く握りしめる。
確かに自分はレベル1だ。
正面から巨体や剛腕とぶつかれば、装備がどれほど良くても、その圧力だけで押し潰される。
――けれど、この硬さを活かせる道は、きっとあるはずだ。
「じゃあ……受け止めるんじゃなくて、“受け流す”ように使えばどうですか?」
その言葉に、源三の眉がピクリと動いた。
鍛冶場の空気が、一瞬、静かに震える。
「受け流すだと? 口で言うほど容易い技術じゃねぇぞ。……何か策でもあるのか?」
源三の問いは、真冥の覚悟の底を覗き込むような鋭さがあった。
並の防具は衝撃を「耐える」ためのものだ。意思を持って「逸らす」には、防御そのものに別の理屈が必要になる。
真冥は迷うことなく、腰袋から小さなガラス瓶を取り出した。
「スライムの粘液が、使えそうです」
「あぁ? そんなゴミがどう役に立つってんだ」
源三が鼻で笑うのを余所に、真冥はその瓶を雫へと手渡した。
雫はそれを受け取ると、静かに瞑想するように鑑定を始めた。
鍛冶場の熱気が遠のき、彼女の周囲を柔らかな光の粒子が舞う。
「あら……」
雫が驚いたように、薄く目を開けた。
「この粘液、驚くほどの潤滑特性に加えて……触れた者の動きを阻害する効果まであるのですね」
「この子が第一発見者よ。源三、面白いでしょ?」
アローラが誇らしげに胸を張り、愉快そうに二人を見やる。
その隣で、真冥は懸念を口にした。
「動きを鈍らせるデバフ効果は消せます。残っていると、身につけている僕自身にも影響が出てしまうはずですから」
「…………」
源三は雫の手にある瓶を食い入るように眺め、依然として眉間に深い皺を刻んでいる。
「だが、ただ滑るだけじゃあな。物理的な一撃を完全にいなすににゃ、まだ何かが足りねぇ」
「はい。ですから、素材となる粘液の改良は、僕の知り合いの調合師にお願いしてみようと思っています」
真冥は小さく、だが力強く頷き、その瞳に静かな決意の光を宿した。
「ただの粘液を、力を逸らすための『触媒』に作り変えてもらいます。それができれば……この硬皮革と合わせて、最強の盾になるはずです」
源三は真冥の顔と粘液を交互に見比べ、やがて太い腕を組み直すと、ガハハと豪快に笑った。
「いいだろう! 坊主、その調合師とやらに、俺が唸るようなブツを作らせてこい」
「ええ。その触媒がどんなものか見てからね。籠手の制作に取り掛かるのは、それからにしましょう」
雫も優しく微笑み、真冥に瓶を返した。
不完全な素材たちが、知恵と技術によって「最強」へと再定義されていく。
真冥は、確かな手応えをその手に感じていた。
外に出ると、鍛冶場の熱気に慣れた体には外の風が少しだけ冷たく感じられた。
真冥は、雫から返された粘液の瓶を、大切に腰袋へ仕舞い込む。
「源三のじいさんも、ああ見えて乗り気だったわね。あんたの突拍子もない提案、あいつの職人魂を刺激しちゃったみたいよ」
アローラが可笑しそうに隣を歩きながら言った。
「……無理だと言われるかと思いました。でも、雫さんが特性を見抜いてくれたおかげです。瑞希さんなら、きっとこれをもっと『滑る』以上の何かに変えてくれる」
真冥の足取りは、来た時よりもずっと力強い。
自分にはレベルがない。強力なスキルもない。
けれど、この世界にある「価値がない」と捨てられたものたちを繋ぎ合わせれば、誰も見たことのない奇跡に手が届く。
彼は今、本気でそう信じ始めていた。
その背中を眺めながら、アローラは空を見上げた。
彼女の瞳には、真冥の背後に渦巻く「因果の糸」が見えている。
彼が誰かを救い、誰かに頼り、共に何かを作り上げるたび、その糸は太く、黄金色に輝きを増していく。
(……ふふ。いい顔になってきたじゃない、真冥)
彼が今、瑞希の自信を取り戻させ、源三に新しい挑戦を与えたこと。
それさえもが、この世界を「幸福」へと作り変える大きな波紋となっている。
「ねえ、真冥。瑞希のところへ行く前に、少し寄り道してもいいかしら?」
「え? どこへ行くんですか?」
「ちょっとお腹が空いたのよ。何か美味しいものでも食べなきゃやってられないわ」
「お腹すいたって、別に何かしたわけでもないでしょう?」
「生きてるだけでお腹は減るもんよ。ほら、いくわよ」
アローラはそう言って真冥の腕を引いた。
真冥は苦笑しながらも、その誘いに素直に従った。
明日からはまた、瑞希との過酷な「再定義」の実験が始まるだろう。だが、今は少しだけ、この心地よい達成感に浸っていたかった。
夕日に染まる京ノ都の街並み。
不完全な少年と、彼を見守る天使の影が、石畳の上に長く伸びていた。
それは、「月狼の片袖」が、産声を上げる直前の静寂だった。




