第21話 波紋の理
真冥とアローラは、すっかり日が落ちた支援所へ戻ってきた。
食堂からは、いつものように転生者たちの笑い声と食器の触れ合う音が溢れている。
一日の疲れを癒す、穏やかな時間だった。
「――あ、瑞希さん!ちょうどいいところに……って、なんで食堂で食べてるんですか!?」
真冥の視線の先には、他の転生者に混じって食事をする瑞希の姿があった。
「おかえり、真冥。いやぁ、あなたを待ってたらね、食堂のおばちゃんが火傷を治してくれたお礼だって、明太子パスタをくれたんだよ」
瑞希は紙ナプキンで口元を拭きながら笑った。
「そんなことよりさ!」
瑞希は身を乗り出し、目を輝かせる。
「万能軟膏が売れたんだよ!」
「えっ、本当ですか?」
「それはすごいじゃない!」
とアローラも声を上げる。
「瑞希の作った薬が、ちゃんと認められたってことね」
瑞希は少し照れたように頭をかいた。
「ううん。真冥くんがスライム粘液を持ち込んでこなかったら、今も私は調味料を作ってるだけだったと思うよ」
「そんな……瑞希さんの腕ですよ」
真冥は軽く首を振り、そして表情を引き締めた。
「実は、その瑞希さんに相談があるんです」
「えっ、なに? またヘンテコなものの再利用?」
瑞希は冗談めかして笑う。
真冥は今日の鍛冶場での出来事を、最初から順を追って話した。
ハイ・ウルフの硬皮革の特性。
源三の提案。
そして――“受け止める”のではなく、“受け流す”盾の構想。
「なるほどね……受け流すための盾かぁ」
瑞希は腕を組み、静かに考え込む。
「粘液の“滑る”って特性を再定義して、エネルギーを分散させられないかと思ってます。衝撃を一点で受けるんじゃなくて、逃がす感じで……」
「……ふむ」
瑞希は目を閉じ、思考を巡らせた。
――滑る。
――逸れる。
――力が集中しなければ、破壊力は落ちる。
ふと、瑞希が目を開けた。
視線の先には、パスタと一緒に運ばれてきた、一杯の「水」があった。
表面を軽く揺らせば、波紋は四方へ広がり、力は自然と分散していく。
瑞希の瞳が、わずかに見開かれる。
「……いけるかもしれない」
瑞希の瞳に、知的な輝きが宿る。
「真冥くん、アローラ。……明日の朝、私の工房に来てくれる? 『最強の盾』、その核になる素材を準備しておくわ」
「素材って、もう心当たりがあるんですか?」
真冥の問いに、瑞希は悪戯っぽく微笑んで、コップの中の透明な液体を指差した。
「ええ。どこにでもあって、世界で一番わがままな素材よ」
――翌朝。
真冥が目を覚ました時、扉の下に一枚の置手紙があった。
『真冥、悪いけどアステリアに呼び出されちゃった。ちょっと天界まで行ってくるわ。瑞希によろしくね。あんたの「最強の盾」期待してるわよ』
奔放な彼女にしては珍しく、少しだけ急いだような筆跡。
――その頃、天界。
純白の議事堂でアローラを待っていたアステリアは、手元の記録晶石を見つめながら静かに息を吐いた。
「来たわね、姉さん」
「で、何の用? 真冥のことでしょ?」
アステリアは一瞬だけ言葉を選び、それから真っ直ぐにアローラを見た。
「……スライム粘液の件です」
「粘液? あぁ、あれね。別にいいじゃない」
アローラは本当に気にしていない。
その豪胆さに、アステリアは少しだけ羨ましさを覚える。
「姉さんは気にしないでしょう。でも――人間は違います」
アステリアは晶石を軽く振り、そこに映る“スライム=不浄物”という地上の常識を示した。
「もし粘液が薬の主成分だと知れ渡れば、瑞希の薬は“ゴミを混ぜた紛い物”として糾弾されるでしょう。真冥さんも巻き込まれます」
アローラは眉をひそめた。
「……なるほどね。で、アステリアは真冥のこと、そんなに気になってるの?」
「ち、違います! これは天界の管理者としての判断です!」
アステリアは珍しく動揺し、アローラはくすりと笑った。
「はいはい。で、どうしたいの?」
アステリアは姿勢を正し、真剣な声で言った。
「神脈を使って、正式な安全性検証を依頼したいのです。“粘液は人体に無害である”という証明が必要です。それがあれば、地上での誤解を防げます」
アローラは腕を組み、少し考え――やがて、いつもの飄々とした笑みを浮かべた。
「いいわよ。アステリアの神脈、使いなさい。あんたがそこまで言うなら、協力するわ」
アステリアはほっと息をついた。
「ありがとう、姉さん。これで……真冥さんたちを守れるかもしれません」
だが、そんな天界の動きを、真冥はまだ知らない。
*
「おはよう、真冥くん。……あら、アローラは?」
瑞希の工房へ足を踏み入れた真冥に、彼女が不思議そうに声をかける。
「アステリアさんに呼ばれたみたいで、天界に戻りました。……何か、大事な用事みたいです」
「そう……。まあ、あの二人なら心配ないわね」
瑞希はすぐに職人の顔に戻り、作業台の上の一杯の「水」を指差した。
「それじゃ、始めましょうか。真冥くん、昨日言った『世界で一番わがままな素材』の話……覚えてる?」
「はい。水のことですよね。でも、どうしてわがままなんですか?」
瑞希はコップを指先で弾き、広がる波紋を愛おしそうに見つめた。
「水はね、誰の指図も受けないの。掴もうとすれば逃げ、閉じ込めようとすれば隙間を探す。そして何より――叩かれた衝撃を、自分一人で背負おうとしない。『私は嫌だから、隣の人に回すね』って、一瞬で波紋に変えて外側へ放り出しちゃうのよ」
瑞希はスライム粘液を調合釜に入れ、そこへ静かに水を注ぎ込んだ。
「自分だけは一ミリも傷つかないまま、力だけを他人に押し付けて逃げる……。その『究極の自己中心的な逃げ足』を、この粘液に再定義するわ」
瑞希が釜に手をかざすと、彼女の『再定義の神域』が発動した。青白い光が釜の中から溢れ出し、粘液と水が混ざり合う境界で火花のような粒子が舞う。
「……来て、波紋の理。一点の破壊を、全体の抱擁へ」
瑞希の呟きとともに、粘液の質感が劇的に変化していった。どろりとしていたはずのそれは、光を反射して銀色に輝き、表面には常に微かな振動――目に見えないほどの高速の波紋が走り続けている。
「できたわ。これが、衝撃を保持できない『波紋粘液』よ」
真冥が恐るおそる指先で触れると、指が吸い込まれるのではなく、逆に「横へ」と滑り落ちるような奇妙な感覚があった。
「すごい……。力を入れた場所から、感触が消えていくみたいだ」
「ええ。ここに硬皮革を合わせれば、防御力と水の逃げ足が一つになる。……これを持って源三さんのところへ行こう」
瑞希は満足げに微笑み、真冥に銀色の液体が入った瓶を託した。




