第16話 再定義の神域
仮ノ町の端っこには、だいたい三種類の人間が集まる。
家賃が安いことを最優先した人。
表通りに居場所を見つけられなかった人。
そして――もう一歩、踏み出せなかった人。
瑞希の店は、その全部に当てはまっていた。
「……はぁ」
小さな店――というより、空き家を無理やり改装しただけの建物で、瑞希は調味料を混ぜていた。
塩、乾燥ハーブ、油。
戦闘用ポーションでも回復薬でもない、料理用の調合品。
売れ行きは悪くない。致命的に儲からないだけで。
「転生して、調合スキル持ってて、最終的に作ってるのが“ちょっと美味しくなる粉”かぁ……」
前世では薬剤師を目指していた。
大学も決まり、国家資格の参考書も揃えていた。
――なのに。
この世界で与えられたのは『再定義の神域〈リフレーム・ラボラトリー〉』――素材の性質を分解・再構築し、用途を組み替える調合スキル――という仰々しい名のついた調合スキル。
悪くはない。むしろ当たりの部類だ。
ただし。
「戦えないと、意味ないんだよね……」
冒険者パーティに入って、すぐに分かった。
火力がない。防御もできない。補助?それも「余裕があれば」。
数回の依頼のあと、遠回しに言われた。
『町で待ってたほうがいいんじゃないか』
優しい言葉だった。だから余計に、心に残った。
結果、レベルは7で止まった。
支援所も出て、今はこの町の端っこでその日暮らし。
瑞希はぼんやりと店の扉を見ていた。
そう、あれは二日前のことだった。
勢いよく扉を開けて入ってきたのは、長い金髪をポニーテールに結んだ一人の天使だった。
「久しぶりだね瑞希」
アローラは少し引き気味の瑞希にこう告げた。
「近いうちに、少し変わった子が訪ねてくると思う。できれば力になってあげて欲しい」
アローラは「じゃあ」と手を振りすぐに出ていった。
「ほんっと、嵐みたいな人……」
瑞希はその出来事を思い出しながら、扉の方を見ていた。
その時、店の扉が、ぎぃ、と音を立てて開いた。
「いらっしゃ……い?」
瑞希は慌てて挨拶をし、顔を上げる。
そこにいたのは――
妙に落ち着いた目をした少年だった。
年の頃は、十代後半。服は安物。装備も最低限。
でも。
(……目が……)
死んでない。
かといって、希望に満ちてるわけでもない。
例えるなら――
最初から「できない前提」で、全部受け入れてる目。
「えっと……営業中、ですよね?」
丁寧すぎるくらい丁寧な声。
「あ、はい。一応……調味料ですけど」
「助かります」
(助かる?何が?)
「相談があって来ました」
少年――真冥は、そう言って腰袋から小瓶を出した。
中身は、どろりとした半透明の液体。
「……こ、これは……スライム粘液?」
「はい」
即答だった。
「これ、火傷に効きそうだなって思ってて」
「……は?」
一瞬、瑞希の思考が止まった。
「いや、ちょっと待って。スライム粘液って、あの臭くて売ることもできないゴミアイテムよね?」
「はい」
「それを……塗る?」
「自分用です」
即答、二回目。
瑞希は、思わず頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと待って。自分用とかそういう問題じゃなくて……」
だが、真冥は引かない。
「臭いは不純物だと思うんです。あと、この粘液にはデバフ効果……動きを鈍らせる効果があって……薬としては邪魔ですよね」
(デバフ効果……)
そんな効果があるなんて誰も気づかなかった……。いや、気づく前にゴミとして処分していたのだ。
たしかに、粘液は見た目もアロエっぽくはある。そして臭いの原因は、少年が言うように不純物のせいだろう。
理屈は合っている。腹が立つくらいに。
「……わたしの事、誰に聞いたの?」
「支援所の人です。埋もれてるけど腕のいい調合師がいるって」
瑞希は先日のアローラが浮かんだ。
(あの人、余計なことばっかり……)
瑞希は深く息を吸って、吐いた。
「分かった。――でもね」
真冥を見る。
その目は、やっぱり死んでいない。
「たとえ“自分用”でも、薬を作るなら、中途半端は許さないから」
「……はい」
「臭いも、デバフも、全部消す。それで意味がなくなったら、その時は諦める」
真冥は、少しだけ笑った。
「それでも、お願いします」
瑞希は舌打ちしそうになるのを堪えた。
(……ほんと、ずるい目してる)
――数時間後。
「……できた」
半透明の軟膏。臭いは、ほとんどない。
「……すごい」
「当然」
瑞希は腕を組む。
「回収、洗浄、低温処理、吸着。薬として使うなら、これくらいは最低限」
真冥は指先で少量を取る。
「これです! これ!」
真冥は指先に取った軟膏を、光に透かすようにして見つめた。
かつての生臭さは消え、スライムの粘液特有の「透明度」だけが美しく保たれている。
「あくまでも最低限よ。もう少し手間をかければ完全に臭いも消せるわ」
瑞希は、純粋に感動している真冥を不思議そうに見ていた。
だが、真冥の思考はすでにその先へ飛んでいた。
「瑞希さん。これ……このままでも十分凄いですけど、ここに『薬草』を混ぜてみるのはどうですか?」
「……え?」
瑞希は動きを止め、真冥を凝視した。
一瞬、素人の思いつきだと切り捨てようとしたが、薬剤師を目指した彼女の知識が即座にシミュレーションを開始する。
「……良い発想ね。火傷だけじゃなく、外傷の治りも劇的に早くなるわ。軟膏をベースにすれば、普通の傷薬よりずっと使い勝手が良くなる……」
「薬草なら、いっぱい持ってます。これからも安定して持ってこれますよ」
真冥のその言葉に、瑞希はふと思い出した。
昨日、顔を出した道具屋の店主が
「最近、質の良い薬草の在庫が増えてきて助かってる」と上機嫌に話していたことを。
(……もしかして。あの薬草を納品してたの、この子なの?)
瑞希の背筋に、かすかな震えが走った。
レベル7で立ち止まり、文化の端っこで「美味しい粉」を作っていた自分に対し、この少年は「ゴミ」と「薬草」を組み合わせて、この世界で生き抜こうとしている。
「……面白いじゃない。なら、毒消し草を混ぜれば虫刺されや毒虫の炎症にも効きそうね。」
瑞希は、棚からすり鉢を取り出した。
もう「嵐のような天使に頼まれたから」という義務感はない。
彼女自身の『再定義』の血が騒ぎ始めていた。
「瑞希さん?」
「決まりね。あんたが素材を運んで、私が再定義する。……治癒魔法には敵わない薬かもしれないけど、この町にはこれが必要だわ」
瑞希は不敵に笑い、真冥が持ち込んだ粘液に、自慢のハーブと薬草を惜しみなく投入した。
「よし、やるわよ。……神域の調合、見せてあげる!」
分断された世界、娯楽も余裕もない「弐本」の片隅で、最強魔法を使わない少年と、戦えない調合師による、小さな革命の火種が、静かにその産声を上げようとしていた。




