第17話 信用ゼロの特効薬
「姉さん! なんでこんなに書類溜めてるんですか!」
午後の食堂に、アステリアの鋭い声が響いた。
仮ノ町支援所から天界へ送るべき報告書類が、ここ数日まったく届いていない。
不審に思ったアステリアは、ついに“現場”へ乗り込んできたのだ。
「だって……忙しいんだもん……」
アローラはスープを啜りながら、子供のように口を尖らせる。
その目の前には、未処理の羊皮紙が山のように積まれていた。
そこへ、職員のフェルドが苦笑しながら近づいてくる。
「昨日もどこか行ってましたよね?」
「しっ! フェルド、余計なこと言わないで……!」
アローラが慌てて制止するが、時すでに遅し。
「……どこに行ってたんですかぁ?」
アステリアがじりじりと距離を詰め、アローラの顔を覗き込む。
「どうせ瑞希調合店でしょ?」
フェルドがさらりと暴露すると、アローラは「あーっ!」と声を上げて彼の口を塞ごうとした。
「調合店? 町の端っこの、あの……。そんなところに何の用なんですか?」
アステリアの追及に、アローラは観念したように両手を上げた。
「……分かったわよ。話すから落ち着きなさい。真冥がスライムの粘液を持ってきてね、あれを火傷の薬にしたいって言うから、瑞希を紹介したのよ」
「えっ……? あのゴミ扱いの粘液が薬に!? 本気ですか?」
アステリアが目を丸くする。この世界では、スライム粘液は“臭くて売れない廃棄物”でしかない。
「瑞希の才能があれば、形になると思ったのよ」
アローラはニヤリと笑い、ようやくペンを握り始めた。
だがフェルドが、思い出したように付け加える。
「そういえばこの間、怪我をした新人転生者に真冥くんがその薬、塗ってあげてましたよ」
「えっ……? 真冥さんが?」
「はい。『この軟膏はよく効くんだ』って」
フェルドが指さした先には、元気に食事をしている新人の姿があった。
たしかに、怪我の痕跡はどこにもない。
そこへ、食堂のおばちゃんがアローラのために紅茶を運んできた。
「わたしも真冥くんに塗ってもらったんだよ。先日油が跳ねて火傷しちゃってね。それを見ていた真冥くんが薬を塗ってくれて……ほら、すっかりきれいに治ってる」
アローラとアステリア、フェルドもおばちゃんの手を覗き込む。本当に、跡がない。
「……魔法じゃないのに、こんなにきれいに?」
アステリアは驚きと感心を隠せなかった。
おばちゃんは紅茶を置き、ぽつりとつぶやく。
「……あれ、何でできてるんでしょうね?」
アローラとアステリアは、同時に顔を見合わせた。
――真冥は、原料を伏せている。
拒絶されるのを恐れて。
でも、効果を信じているからこそ、実績で示そうとしている。
二人はその“意図”に気づいたのだ。
そこへ、慌ただしく町の人が食堂に駆け込んでくる。
「大変です! 輸送隊が魔物に襲われて……門の前が惨状に!」
アローラはその言葉を聞くと、すぐさま書類を放り出し支援所を飛び出した。
一方、町の門付近。
命からがら逃げ延びた輸送隊の面々が石畳の上に倒れ伏していた。
「これで大丈夫です。しばらく辛抱してください」
瑞希の声が響く。
そこには、既に救護を始めている真冥と瑞希の姿があった。
「ありがとうございます。痛みが少し引きました……」
輸送隊の面々に万能軟膏を塗り終えた真冥は、手当てを瑞希に頼むと、決意を秘めた表情で立ち上がった。
「その魔物を放置するわけにはいかない」
「待て! あいつはレア個体だ」
輸送隊の一人が叫ぶ。
「レア個体?」
「奴は『ハイ・ウルフ』だ。普通のウルフよりも体が大きく、しかも皮膚が岩のように固い……。初心者が勝てる相手じゃないんだ!」
「……それでも、放置していい理由にはならない」
「真冥! 待ちなさい!」
瑞希の制止も聞かず、真冥は門を飛び出し、夕闇の迫る森へと消えていった。
直後、アローラ率いる支援所の面々と、招集された転生者たちが到着する。
「けが人の手当てを優先に! 初期治療が終わった人を支援所に運んで!」
アローラの指示で現場が動く。
一段落したところで、アローラは瑞希に詰め寄った。
「瑞希、状況は!?」
「あらかた治療は終わったわ。みんな深手じゃなくて良かった。」
「……ところで、真冥の姿が見えないんだけど?」
瑞希は目を伏せて答えた。
「魔物を倒すって、出て行きました……」
「!」
アローラの顔に、誰が見てもわかる焦りの色が出る。
「――あのバカ……!」
アローラは即座に魔物の場所を聞き出すと、凄まじい勢いで門を飛び出していった。
森の奥。
真冥はついに、姿を現したハイ・ウルフを捉えた。
腰袋の瓶の蓋を開け、戦闘の準備を始める。
それにしても大きい。
真冥の存在に気付いたハイ・ウルフは、標的を定めたかのようにゆっくりと近づいてくる。
「もう少し、もう少し近づいたら……」
真冥は粘液の入った瓶を握りしめた。
ハイ・ウルフが徐々に間合いを詰め、そして爆発的な勢いで飛びかかってきた。
「今だ!」
真冥は瓶の中の粘液をぶちまけた。
ハイ・ウルフは粘液に足を取られ、さらに瑞希の調合によって薬効として底上げされたデバフ効果で、動きが鈍くなる。
真冥は一気に間合いを詰めて、剣を振る。
――ガキーン!
金属音が響く。
モフモフな毛並みの下に隠れている皮膚は、噂通り岩のように硬かった。
ハイ・ウルフは鈍った動きながらも、強靭な前足で反撃する。
それを何とか回避する真冥。
「デバフは効いてる。けど、それでもこの動きか……?」
一進一退の攻防が続くが、集中力とともに真冥の体力は確実に奪われていた。
肩で激しく息をする真冥に対し、ハイ・ウルフはまだ余裕を保っている。
「ダメ、なのか……?」
もう逃げ切る体力もない。
ハイ・ウルフは容赦なく、真冥に飛びかかった。
巨大な牙が真冥の頭を捉えようとした。
その時。
真冥は誰かに抱えられ、死の淵から脱した。
「……アローラ、さん」
アローラは真冥を安全な場所に下ろすと、振り返って微笑んだ。
「まだまだだね」
そして彼女はハイ・ウルフに向き直る。
「おいたはそこまでよ」
ハイ・ウルフは新手の敵に動揺を見せたが、すぐさま間合いを詰め、アローラに飛び掛かった。
アローラは中指と親指で輪を作った。
刹那、放たれたのはただの「デコピン」だった。
――ドゴォォォン!
たったその一撃。
指先の弾きが、ハイ・ウルフの岩のような頭部を完膚なきまでに砕き、巨体を森の奥へと吹き飛ばした。
木々を薙ぎ倒し、土煙が舞う。
やがて、静寂とともに視界が開けてきた。
アローラはそこに何かが落ちていることに気付いた。
ハイ・ウルフが落としたアイテムだ。
ハイ・ウルフの硬皮革ともう一つ。
アローラは近づきそれを手に取る。
「これ、魔核……だわ」
「魔核?」
「稀にモフモフウルフの体内に魔核を形成して、魔力を貯め続けレア個体のハイ・ウルフに進化するの。これはその核」
アローラは珍しそうにまじまじと魔核を見ていたが、
「はい、今日の戦利品」
と、飴玉でもあげるように真冥に投げた。
「こ、これ……。アローラさんが倒したじゃないですか?」
「何言ってるの?あなたが魔物の動きを鈍らせ、そして弱らせた。わたしはトドメの一撃を入れただけよ」
アローラは手を差し出し、真冥を引き起こした。
その手は、とてもハイ・ウルフを一撃で打ち砕いたものとは思えないほど柔らかかった。
真冥は魔核を腰袋に、硬皮革を手に取り、すっかり暗くなった森を鼻歌混じりに出ていくアローラの背を見ていた。




