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第15話 不完全な俺の居場所

 森から町への帰り道、真冥は道すがら見つけた薬草を摘み、遭遇したスライムを数匹処理して粘液を補充した。


 町に戻る頃には、空は淡い茜色に染まり、家々の窓から夕飯の支度の匂いが漂い始めていた。


 真冥はそのまま、仮ノ町の片隅にあるいつもの道具屋へと足を向けた。


「いらっしゃい。……おや、あんたか。今日は何かいいもんでもあったかい?」


 カウンターの向こうで、眼鏡をずらした店主が顔を上げる。真冥は腰の袋から、例の毛皮をそっと取り出した。


「これ……いくらくらいになりますか?」


 店主は「ほう」と声を漏らし、毛皮を手に取った。指先で毛並みを確かめ、裏地を覗き込み、何度か頷く。


「モフモフウルフの毛皮か。しかも、程度もいいじゃないか。……知ってるとは思うが、こいつは魔法防御の特性があるんでね。防具屋に回せばいい値がつく。……そうさな、うちなら500角で買い取らせてもらうが、どうだい?」


「500角……」


 真冥は思わず息を呑んだ。


 節約すればしばらくは生活ができる。


 あの「あったかそうな毛皮」が、そんな価値のあるものだったとは。


 一瞬、心が揺れる。


 500角あれば、もっといい油や、まともな装備が買えるかもしれない。


 だが、真冥は首を振った。


「……すみません。やっぱり、これは売らないことにします」


「おや、そうかい? 500角なら悪くない提示だと思ったんだがね」


「いえ、値段に不満があるわけじゃなくて……。これ、自分で使ってみたくて」


 店主は不思議そうな顔をした。


「まあ、冒険者ならそれもいいさ」


 と笑って毛皮を返してくれた。


 真冥は代わりに、道中で集めた薬草の束をカウンターに乗せる。


「じゃあ、こっちの薬草だけお願いします」


「いつも助かるよ。ほれ、代金だ。少しサービスしておいた」


 真冥は代金を受け取った。


 確かにいつもよりも少し多い気がした。


 懐には、売れば大金になる毛皮が入っている。


 財布の中身は相変わらず寂しいままだが、不思議と足取りは軽かった。


(……自分で勝ち取ったものだからな。金に変えるのは、いつでもできる)


 道具屋を出たあと、真冥はしばらく仮ノ町の通りを歩いた。


 夕暮れの光が石畳を照らし、行き交う人々の影が長く伸びている。


(……こんなに人、いたんだな)


 今まで気づかなかった。いや、気づく余裕がなかったのだ。


 生きることに必死で、見ることを忘れていただけだった。


 荷車を押す商人。子どもを抱えて歩く母親。


 冒険者らしき男女が、今日の成果を笑いながら語り合っている。


 そのどれもが、真冥の目には“遠い世界”の出来事だった。


 自分には関係のない、別の物語の登場人物たち。


 だが今日は――


 ほんの少しだけ、その輪の中に自分も立てる気がした。


(俺も……この町で、生きてるんだよな)


 腰袋の中で、毛皮がかすかに揺れる。


 それは、今日の戦いの証であり、真冥が初めて自分の力で掴んだ“価値”だった。


 支援所の建物が見えてくる。


 白い壁に灯りがともり、窓からは温かい光が漏れていた。


 扉を開けると、食堂のざわめきが耳に届く。


 アローラとアステリアの声。


 職員たちの笑い声。


 食器の触れ合う音。


 どれも、以前よりずっと“近く”感じられた。


(……俺の居場所、か)


 そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 今日の戦いは、ただの勝利じゃない。


 “この世界で生きていく”という選択肢が、初めて現実味を帯びた日だった。


 真冥は深呼吸をして、食堂へ足を踏み入れた。


 アステリアは真冥の姿を見つけると、パッと表情を明るくして駆け寄ってきて、彼を席につかせた。


「真冥さん、おかえりなさい! 最近、調子はどうですか?」


 アステリアの問いに、真冥は少しだけ照れくさそうに笑った。


「そうですね。少しずつ……この世界で生き残れる可能性も見えてきた感じです」


「あら、大きく出たわね」


 アローラが横から口を挟む。


「今日も朝からどこか行ってたよね?」


「はい。粘液を実戦で使ってみました」


「粘液……?」


 アステリアが不思議そうに首を傾げると、アローラが誇らしげに胸を張った。


「この子、スライムの粘液の利用方法を見つけたんだよ」


「それを使って、モフモフウルフを倒しました。……正直、ヤバかったですけど」


「モフモフウルフを!? 一人でですか?」


 アステリアが椅子から立ち上がりそうな勢いで驚く。


「普通、あんな格上の相手には攻撃魔法を叩き込むか、多人数で囲んで仕留めるものですよ! そんな戦い方、聞いたことありません!」


「はは……そうですよね。でも、僕にはそれしかなかったから」


 真冥は苦笑いしながら、懐の毛皮をテーブルに置いた。


 道具屋で500角と言われた話をすると、アステリアは再び目を丸くした。


「500角! どうして売らなかったんですか!?」


「……なんだか、売っちゃうのがもったいなくて。これを手に入れるために、必死で剣を振って、泥だらけになって。……この世界で初めて、自分の手で『価値』を掴んだ気がしたんです。だから、しばらくは手元に置いておこうかなって」


 その言葉を聞いたアローラが、手元のお酒を一口飲み、満足げに微笑んだ。


「いいんじゃない。あんたが自分で決めたことなら」


 そう言ってから、アローラは少しだけ間を置いた。


「……でも、ちゃんとここに帰って来れたね」


 アローラのその言葉は、何よりも真冥の胸に響いた。


 今は、自分の出した答えを認めてくれる人がここにいる。


 真冥は静かに、でも力強く頷いた。


「さ、アステリア。驚いていないで、この子にご馳走でも出しなさいよ。今日は『記念日』なんだから」


「あ、そうでした! 今日は奮発して、美味しいお肉を焼きましょう!姉さんの奢りで!」


 アステリアは食堂にいる全員に向かってそう言うと厨房に入っていく。


「全員分!?︎ちょっ……ちょっとアステリア!」


 アローラの顔は青ざめてはいたが、真冥には喜んでいるように見えた。


 食堂には、パチパチと薪がはぜる音と、穏やかな夕食の匂いが満ちていた。


 真冥は窓の外、仮ノ町の夜景を眺める。


 ここには、派手な奇跡はない。完璧な救済もない。


 けれど、自分で選んだ道と、共に笑ってくれる仲間がいる。


(最強なんて、いらないな。不完全なままで、やっていける)


 真冥は、小さな、けれど決して揺らぐことのない決意を静かに胸に刻んだ。


「……ここで、頑張って生きていこう」


 明るいランプの光の下、三人の笑い声は夜が更けるまで続いていた。


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