第14話 試して、確かめて
あれから数日が経っていた。
朝の光が差し込む部屋で、真冥は机の上に並べた小瓶を見下ろしている。
数は五つ。
中身はすべて、同じスライムの粘液。
違うのは、混ぜた油の量だけだった。
「……ほとんど、変わらないな」
一つずつ瓶を傾ける。
どれも同じように粘り、同じように重たく揺れ、同じように嫌な匂いを残す。
保存状態も効果も、大差はない。
(でも)
真冥は、一番油の少ない瓶を手に取った。
(続けるなら、これだ)
効果が同じなら、消費は少ないほうがいい。
油は買わなければならないが、スライムは自分で倒せる。
この数日で、それは“できること”になっていた。
真冥は鞘から剣を抜き、軽く素振りをする。
空を切る音は、少しだけ安定している。
毎朝、毎晩。
短い時間でも、欠かさず振ってきた。
当たる感覚。踏み込みの距離。外したあとの立ち位置。
まだ完璧じゃないが、分からなくはなくなってきた。
「……いける」
口に出してみると、思ったより自然だった。
真冥は小瓶を布で包み、腰袋に収める。
剣を腰に差し、部屋を出た。
目的はひとつ。
この粘液が、本当に“使える”のかを確かめること。
仮ノ町の門を抜け、外へ向かう。
その背中を、少し離れた場所から見つめる影があった。
アローラは壁際に身を寄せ、真冥の歩幅と速度を測る。
(足取り、前より安定してる)
止めるつもりはない。前に出る気もない。
ただ――何かあったとき、間に合う距離で見ているだけ。
アローラは気づかれないよう距離を保ち、静かに後を追った。
森の中は、町の外よりも静かだった。
風が木々を揺らす音と、遠くで鳥が鳴く声だけがある。
真冥は歩幅を落とし、足音をできるだけ殺して進んでいた。
狙いは、モフモフウルフ。
群れで行動する魔物だということは、よく知っている。
一匹ならまだしも、複数に囲まれれば危険だ。
逃げる判断も、常に頭の片隅に置いている。
(……でも)
真冥は腰袋の重みを意識した。
スライムの粘液。そして、ここ数日で振り続けた剣。
粘液の効果と、自分の腕。
どちらも同時に試すなら、これ以上ない相手だった。
――ざわり。
少し先、草むらが不自然に揺れた。
風じゃない。
真冥は、その場で足を止める。
「……来たか」
小さく、吐くようにつぶやく。
視線を左右に走らせ、地形を確認する。
木の間隔。足場の凹凸。背後に下がれる空間。
逃げるなら、右斜め後ろ。
木が少なく、視界も開けている。
確認は、一瞬。
真冥の右手が、静かに剣の柄を握る。
――抜く。
金属が擦れる、短い音。
左手は腰袋へ伸び、指先で小瓶の感触を確かめる。
栓を外す。
瓶の中で、粘液が重く揺れた。
(落ち着け)
呼吸は、乱れていない。
それにまだ、魔物の姿は見えてはいない。
だが――
森の空気が、変わった。
獲物を見る目。複数の気配が、じわじわと距離を詰めてくる。
真冥は剣先を下げすぎず、構えを固める。
逃げ道はある。手段もある。
あとは――
「……試すだけだ」
その言葉と同時に、草むらが大きく揺れた。
低く唸る声が、同時に重なった。
草むらの向こうから、モフモフウルフが姿を現す。
一匹、二匹……四匹。
真冥を中心に、ゆっくりと間合いを詰めてくる。
逃げ道を塞ぐ動き。
(囲む気か……)
だが、想定内だ。
真冥は一歩、踏み込む。
右手の剣は下げたまま、左手で腰袋から小瓶を抜き取った。
蓋は、もう外れている。
次の瞬間――
真冥は腕を振り、前方に向かって粘液を撒いた。
半円を描くように。
地面に、べちゃり、と重たい音。
透明な粘液が草と土を覆う。
「――ッ!」
飛びかかろうとしたウルフの足が、その上に乗った。
ずるり。
踏ん張ろうとして、さらに滑る。
勢いを殺しきれず、体勢を崩す個体。
他のウルフも続けて足を取られ、動きが明らかに鈍る。
(今だ)
考えるより、先に体が動いた。
真冥は前に出る。
剣を――薙いだ。
横一文字。迷いのない軌道。
粘液で踏ん張れないウルフは、避けきれない。
鈍い衝撃と、短い悲鳴。
一匹が、横倒しに吹き飛んだ。
残りが距離を取ろうとするが、足が言うことをきかない。
「――続ける」
真冥は、魔物を倒した時の自分の位置が見えていた。
粘液の上では踏ん張りがきかない。
動きが鈍った一瞬を逃さず、真冥は剣を振る。
深く、確実に。
倒れる音が、続けて二度、森に響いた。
「……」
残る気配は、一つ。
真冥が振り向いた、その瞬間だった。
背後から、衝撃。
「――っ!」
体が弾かれ、地面に叩きつけられる。
視界が揺れ、息が詰まる。
モフモフウルフが、真冥の上にのしかかっていた。
前脚で押さえつけ、牙を剥く。
距離は、近すぎる。剣を振る空間がない。
「……くっ」
押し返そうとしても、体が動かない。
肋骨の奥が、きしむ音を立てた気がした。
獣の重みと、生暖かい息。
今にも噛みつこうと、首が引き絞られる。
――その光景を、少し離れた木陰から見ていた影があった。
アローラだ。
思わず、一歩前に出る。
「……!」
手を前に突き出し、魔力を集める。
氷結の魔法。
放てば、間に合う。
その――瞬間。
「――あ」
短い声が、喉から漏れた。
真冥の右腕が、動いた。
倒れたまま、剣の柄を引き寄せる。
体の下から、刃を滑り込ませるように――。そして突き上げた。
ぐちり、と鈍い感触。
ウルフの腹に、剣が深く刺さる。
「――ギャッ……!」
短い悲鳴。牙が、止まる。
体から力が抜け、重みが消えていく。
真冥は荒い息のまま、ウルフを押しのけ、転がるように身を起こした。
「……危なかった」
それは独り言だった。
だが、確かに“生きている”実感があった。
木陰で、アローラはそっと手を下ろす。
「……ほんとに」
小さく、息を吐く。
「毎回、ぎりぎりなんだから」
アローラは真冥の無事を確認すると、森を出て行った。
その口元は――少しだけ、緩んでいた。
真冥はゆっくりと立ち上がり、荒い息を整えながら周囲を見回した。
倒したモフモフウルフたちは、すでに灰となって風に溶けるように散っていく。
その灰の中に、ひとつだけ小さな影が残っていた。
「……毛皮?」
しゃがみ込み、そっと手に取る。
柔らかい毛皮の切れ端だった。
「これでコートが作れたら、冬の寒さにも耐えられそうだな」
思わずそんな未来を口にしてしまう。
だが、手の中の毛皮は小さく、当分は革製品の補修にしか使えそうにない。
「……まあいいか。とりあえず、勝てた。粘液の効果も確認できたし」
真冥はさっきの戦闘を頭の中でなぞる。
粘液の撒き方。剣の振り方。立ち位置――
どれもまだ粗い。
改良の余地は山ほどある。
それでも、確かに“通用した”。
その事実が、胸の奥で静かに熱を灯していた。
毛皮を腰袋に押し込み、真冥は森の出口へと歩き出す。
木々の隙間から差し込む光が、さっきより少しだけ明るく見えた。




