第12話 ゴミみたいな命綱
数日が過ぎていた。
支援所の朝は静かで、窓から差し込む光だけが時間の流れを教えてくれる。
アローラが食堂へ向かうと、玄関の方で誰かがコートを羽織る気配がした。
「……あれ?」
見ると、真冥が大きな袋を背負って、ひとり支援所を出ていくところだった。
「早いわね……」
近くにいた職員に声をかける。
「あの子、何か依頼を受けてるの?」
「いえ、特には……」
アローラはもう一度、遠ざかる背中を見る。
町の門のほうへ、迷いなく歩いていく。
「……自分から動き始めた、か」
目を細め、小さくつぶやいた。
仮ノ町の外れ、川沿いの崖。
そこには、薬草が群生している場所があると、道具屋で聞いていた。
(最近、在庫が減ってる……か)
真冥は崖を見上げながら、ロープを結び直す。
道具屋に行ったとき、薬草を買おうとして、逆にそう言われたのだ。
「だったら……自分で取るしかないよな」
慎重に岩場を登り、葉の色が少し違う草を選んで刈り取っていく。
少し苦い匂い。でも、確かに薬草だ。
袋がある程度膨らんだころ――
ぬちゃり、と足元が動いた。
「……スライム」
小さな個体だった。
真冥は剣を抜き、ほとんど反射で斬り払う。
戦闘と呼ぶほどのものでもなく、すぐに核が砕けた。
残ったのは、半透明の粘液。
真冥は少し迷い、瓶にそれをすくい取った。
(……どうせ捨てるもの、か)
だが、その感触が妙に指に残る。
(……なんか、引っかかるな)
理由は分からない。
けれど、そのまま放置する気にもなれなかった。
その直後だった。
「ガルルゥ……」
低いうなり声。
振り向くと、木立の向こうからモフモフウルフが現れた。
一匹、二匹……いや、群れだ。
「……やば……!」
真冥は反射的に走り出す。
足音。草を踏み裂く音。
距離が、縮まっていく。
(このままじゃ――)
咄嗟に、さっき拾った小瓶のふたを開け振り向きざまにぶちまけた。
ぱしゃり、と粘液が先頭のウルフにかかる。
「……え?」
その瞬間、ウルフの動きが、明らかに鈍った。
足を踏み出そうとして、ずるりと滑る。
仲間たちがそれにつまずき、群れの隊列が崩れる。
(……今だ!)
真冥は全力で走り、木々の隙間を縫って距離を広げる。
気がついたときには、もう追ってくる気配はなかった。
息を切らしながら、振り返る。
「……助かった……?」
胸の鼓動が、やっと少しずつ落ち着いてくる。
だが、あの粘液の感触だけが、妙に鮮明に残っていた。
仮ノ町へ戻り、真冥はそのまま道具屋へ向かった。
袋から取り出したのは、崖で採った薬草。
「お、いい量だな」
店主が目を細める。
「半分だけ、買ってください。残りは自分で使うので」
「いい判断だ。最近は薬草も品薄でな」
カウンターに並ぶ硬貨。
思ったよりも、悪くない額だった。
それを受け取りながら、真冥は少しだけ躊躇してから口を開く。
「……あの」
「ん?」
「スライムの粘液って……買い取ってもらえたりしますか?」
店主は一瞬きょとんとし、それから苦笑した。
「いや、無理だな」
「……ですよね」
「ベタつくし、すぐ消える。加工もできんし、職人にも嫌われてる。正直、ゴミに近い」
はっきりとした答え。
真冥は小さくうなずいた。
(薬草は金になる。でも――)
さっき、ウルフの動きを確かに乱したもの。
それが、この世界では“価値がない”と切り捨てられる。
そのズレが、胸の奥に残ったまま、真冥は道具屋を後にした。
道具屋を出たあとも、真冥の頭の中はさっきの出来事で埋め尽くされていた。
スライムの粘液。
価値がないと言われた、あの半透明の液体。
(……気のせい、じゃなかったよな)
モフモフウルフの動きが鈍った瞬間を、何度も思い返す。
偶然かもしれない。
だが、もしそうじゃないなら――。
真冥はそのまま、町の通りを曲がった。
目指したのは、あの“コンビニ”ハイソン。
「いらっしゃいませー」
聞き慣れた声。
棚の間を歩き、真冥は生活用品のコーナーで立ち止まる。
「……これで、いいか」
手に取ったのは、大きめのゴミ袋だった。
瓶だけでは足りない。
ベタつく粘液を持ち運ぶなら、何か包むものが必要だ。
会計を済ませると、店員が首をかしげた。
「ゴミ袋?外で使うの?」
「え、ええ……ちょっと」
それ以上は聞かれなかった。
ありがたい。
真冥は袋を抱え、再び仮ノ町の門をくぐった。
――また、外だ。
荒野の風が、服の隙間を通り抜ける。
「……よし」
一度深呼吸して、森のほうへ足を向けた。
ほどなくして見つけたのは、例の魔物。
「……スライム」
今度は迷わなかった。
剣を振るい、核を砕く。
数体。
前よりも、手際がいい。
倒れたスライムから、粘液が残る。
「……やっぱり、ベタベタだな」
ゴミ袋を広げ、慎重に粘液を集める。
指に絡みつく感触に、思わず顔をしかめた。
(保存、無理そうだな……)
それでも、量は必要だ。
袋がある程度重くなったところで、別の気配を感じた。
「キィ……!」
「……カミツキバニー」
草むらから飛び出してきた、小柄な魔物。
素早く、鋭い歯。
(ちょうどいい……)
真冥は剣を構えつつ、もう一方の手で袋の口をつかんだ。
バニーが跳びかかる。
その瞬間、真冥は粘液を投げつけた。
ぱしゃっ、と鈍い音。
粘液を浴びたカミツキバニーは、着地した瞬間――
ずるり、と滑った。
「……!」
体勢を崩し、地面に転がる。
立ち上がろうとするが、動きが明らかに遅い。
「……効いてる」
滑る。
それだけじゃない。
動作そのものが、鈍っている。
真冥は距離を取り、冷静に剣を振るった。
数合で、勝負はついた。
倒れたカミツキバニーを見下ろしながら、息を整える。
「……二つ、か」
物理的に滑る効果。
そして、動きが遅くなる効果。
魔法じゃない。スキルでもない。
それなのに、確かに魔物の行動を制限していた。
真冥は、手についた粘液を見つめる。
「……ゴミ、ね」
そう言われても仕方がない。
保存できない。扱いづらい。誰も欲しがらない。
でも――
「……今は、十分だ」
少なくとも、“生き残るための命綱”にはなる。
真冥は袋を握り直し、仮ノ町へ戻る道を歩き始めた。
支援所の敷地に入ったとき、真冥はようやく肩の力を抜いた。
ゴミ袋の中身は相変わらず重く、そして厄介そうに揺れている。
スライム狩りには思った以上に時間がかかり、もう昼になっていた。
「おかえり」
声がした。
振り向くと、アローラがいつもの調子で立っていた。
にこにこと、やけに機嫌がいい。
「朝から頑張ってたね」
「……あ、こんにちは」
真冥がそう答えた瞬間、アローラの視線が彼の手元に落ちた。
ゴミ袋。
少し膨らんでいて、ところどころが妙に湿っている。
アローラの表情が、すっと変わった。
「……それ」
半目になる。
「スライムの粘液でしょ? 何に使うの?」
怪訝そうな声。
からかい半分、でも完全な冗談ではない。
真冥は一瞬迷ったが、すぐに口を開いた。
「スライムの粘液に、動きを鈍らせる効果があるのを発見したんです」
その言葉と同時に、真冥の目がわずかに輝いた。
アローラには、それがはっきり分かった。
ただの興奮じゃない。
“見つけた”人間の目だ。
「保存できないか、実験するんです」
そう言うと、真冥はそれ以上説明することもなく、自分の部屋へと歩き出した。
「じゃ、じゃあ……」
言葉を置き去りにして、廊下の奥へ消えていく。
アローラはその後ろ姿を、しばらく黙って見送っていた。
ゴミみたいな袋を抱えて、価値がないと言われたものを宝物みたいに持って。
「……ほんと」
小さく、息を吐く。
「いちばん大事なことには、気づかないんだから」
でも、その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
「……でも、それでいいんだよ」
誰に聞かせるでもなく、自室へ入っていく真冥の背に向けて、そっとつぶやく。
教えない。導かない。ただ、見ているだけ。
それが、この世界で“積み上がるもの”だと、アローラは知っていた。
支援所の廊下には、昼の柔らかい光が差し込んでいた。




