第11話 生存者に、ご褒美と請求書
仮ノ町の門をくぐった瞬間、張り詰めていた空気が一気にほどけた。
石畳の感触、人のざわめき、どこかで焼かれているパンの匂い。
城壁の外の荒野とは違い、ここには「帰ってきた」という感覚が確かにあった。
「はーい、おつかれさま。どう?生き残るって、結構大変でしょ?」
アローラはケラケラ笑いながら振り返る。
「……大変とかいうレベルじゃなかったんですけど」
真冥は肩で息をしながら答えた。
服はあちこちが裂け、腕や頬には浅い傷がいくつも走っている。
「モフモフウルフに囲まれた時、普通に死ぬと思いました……」
「でしょ?」
アローラは悪びれもせずうなずくと、真冥の前に立ち、軽く指を鳴らした。
「生き残ったご褒美よ」
淡い光が真冥の体を包み、傷がみるみるうちに塞がっていく。
痛みが引き、体が少しだけ軽くなった。
「……毎回これやってくれるなら、戦闘も悪くない気が」
「調子に乗ると次は治さないわよ?」
「ひどい!」
真冥はそう言いながらも、少しだけ息をつけた。
あのとき――モフモフウルフの群れに囲まれた瞬間、確実に死を感じた。
アローラが一瞬にして魔物を薙ぎ払わなければ、今ここにはいなかった。
「……どうして、あれ使わなかったんですか?」
「なにが?」
「……魔法……」
真冥はあえて“最強”という言葉は隠した。
アローラの所有スキル「全属性最強魔法」については今は触れない方がいいと思ったからだ。
「ああ、あれ?そんなもの使うほどじゃないし」
アローラは軽く肩をすくめる。
「それに、あの威力は1%も使ってないよ。力を抑えるのって意外と大変なの」
「そうなんですね……」
「わたしの目の前で担当の子を死なせはしない。それがわたしの流儀」
そんなやりとりをしながら町の通りを歩いていると、アローラがふと思い出したように言った。
「そういえば、戦利品は?」
「え?……ああ」
真冥はポーチから二つのものを取り出した。
白く硬い小さな歯と、小瓶に詰められた半透明の粘液。
「カミツキバニーの歯と……スライムの粘液です」
「……あー」
アローラの視線が、露骨に粘液のほうへ向く。
「歯はいいわよ。研磨剤として使えるし、道具屋が買い取ってくれる」
「じゃあ、この粘液も……?」
「それはねぇ……」
アローラは肩をすくめた。
「売れない。誰も欲しがらないの。ベタベタするだけで、すぐ消えるし、職人にも嫌われてる」
「そうなんですか……」
真冥は小瓶を傾け、光に透かして粘液を眺めた。
「……でも、何かに使えそうな気がするんですよね」
「へえ?」
アローラはその横顔を見て、くすっと笑った。
「相変わらず、変なところで夢見るのね」
「いや、夢というか……ただの直感です」
「まあいいわ。とりあえず今日は歯を売りましょ。ほら、あそこの道具屋。そのお金で包帯と、壊れた装備の修理をしてもらおう」
「……現実的ですね」
「ここは夢の世界じゃないんだよ」
アローラはにやりと笑い、まだ疲れが残る真冥の腕をつかんで、半ば引きずるように歩き出した。
「ほらほら、生存者は働くの! 戦利品は鮮度が命よ!」
「歯に鮮度ってあるんですか!?」
「気分の問題!」
町の喧騒に紛れながら、二人は道具屋の扉をくぐった。
アイテム売却後、アローラは真冥を連れて町の説明をしてくれた。
実は真冥が見てみたかったコンビニ「セブン・オヤブン」は、この町では「ハイソン」だったことが少し残念だった。
しばらく進むと、仮ノ町の中央にある、見慣れた支援所の建物が見えてきた。
白い壁に、やたら親切そうな標語。
その平和な外観が、ついさっきまでの血と土の世界を、まるで嘘みたいに遠ざける。
「戻ってきた……」
真冥が小さく息を吐く。
そのとき、入口の方から軽やかな足音が駆けてきた。
「おかえりなさーい!」
アステリアが、両手を振って二人を迎える。
「歩いて帰ってきたんですか!?転送陣を使えば一瞬なのに……」
「天気が良かったからね。ちょっと散歩してきたのよ」
「散歩で死にかけましたけどね!」
「ええっ!?」
アステリアが慌てて真冥を見る。
裂けた服、泥と血の跡。
「そ、それは……大変でしたね。でも、生きて帰って来られて何よりです」
「ギリギリですけど……」
三人はそのまま食堂へ入った。
昼と同じ、どこかのんびりした空気。
それが逆に、今日の出来事を現実味のないものにしていく。
「では……本日の収支の確認をしてみましょう」
アステリアが真冥のタブレットを操作し、収支管理アプリを開く。
「収入は歯が二十角で売れましたので、ここに二十角と入力。支出は……包帯と消耗品で十五角……残りは五角です」
「死にかけたのに、残りがこれだけ……」
「支援所暮らしの間は食費も宿代もタダでしょ?」
とアローラ。
「生きてるだけで黒字よ」
「五角って、何が買えるんですか?」
「仮ノ町の北の清水。ペットボトル一本くらい」
「水……」
給水機へ向かう真冥の背中を、アステリアは心配そうに見つめていた。
裂けた服、擦り切れた袖。
(……あのままじゃ……)
そっとバッグを開き、財布を取り出そうとする。
だが、アローラと目が合った。
アローラは、ゆっくりと首を横に振る。
――ダメ。
アステリアは一瞬迷い、静かに財布をしまった。
「……?」
戻ってきた真冥は気づかない。
「さて」とアローラが手を叩く。
「今日の収支はほぼゼロ。これが“生存への請求書”ってやつよ」
「嫌な言い方……」
でも真冥は分かっていた。
この世界では、生き残るだけで、すでに何かを支払っている。
仮ノ町の夜が、静かに支援所の窓を照らしていた。
風呂から上がった真冥は、自室のベッドに倒れ込むように身を預けた。
とても長い一日だった。
いや、体感としては、何日分も詰め込まれたような一日だ。
天井を見つめながら、仰向けのままゆっくりと息をする。
京ノ都を出て、魔物と戦い、死にかけて、そして戻ってきた。
ほんの数時間の出来事なのに、遠い昔の記憶みたいに感じられる。
(……明日も、生き残れるんだろうか)
不安が胸の奥からじわじわと湧き上がる。
ほんの少し判断を間違えていたら、今ごろ自分はもうここにいなかった。
だが同時に、もう一つの感情も確かにあった。
(……でも、あれでも……生き残れた)
ウサギに噛まれ、ウルフに囲まれ、それでもここまで戻ってきた。
情けなくて、運に助けられただけの勝利かもしれない。
それでも、“生きて帰ってきた”という事実だけが、胸の奥で静かに光っている。
不安と自信。
二つの感情がせめぎ合いながら、意識をゆっくりと揺らしていく。
そのまま、真冥は眠りに落ちていた。
―――
コン、コン。
軽いノックのあと、アローラがドアを開ける。
「アステリアから天界の差し入れもらったから、一緒に食べ――」
そこで言葉が止まった。
ベッドの上では、真冥が泥のように眠り込んでいる。
髪はまだ少し湿っていて、呼吸は深く、規則正しい。
「……ほんとに、限界だったのね」
アローラは小さく笑い、そっと近づくと、毛布を引き寄せて真冥に掛けた。
「おつかれさん。今日は、よく逃げずに頑張ったわね」
その囁きは、誰の耳にも届くことなく夜の空気に溶けていった。
彼女はテーブルの上に温かい差し入れを置き、気配を殺して部屋を後にした。
仮ノ町の夜は、今日も変わらず、穏やかに流れていく。




