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還章⑤ ウェルバインド領Ⅱ

 日は地平線に沈み、黒の幕が下りた。

 青く、冷えた空気がオレの喉を震わせる。


 それもそのはずだ。


 オレの体は、血に染まっている。

 単眼から槍を引き抜き、肺に取り込んだ鉄の匂いを絞り出すように、細い息を吐いた。 魔力器官が、悲鳴を上げる──限界だった。


 群れのほうは大した事がなかった。


 だが、単眼族は違う。圧倒的な質量差があった。

 棍棒との剣戟。一振りで、オレの筋肉が断裂し、使い物にならなくなった。

 こいつが眷属ではなくて良かった。もし、眷属であれば、オレにトドメはさせない。

 ブランウェンから借りた槍は二つに折れている。


 ……いや、槍の問題じゃない。

 そうだ。オレに聖剣は扱えないからだ。


 ──溜息をつく。


 単騎で竜魔四天王とやり合おうとした勇者は、いったいどんな努力を重ねたのだろう。 オレが勇者に選ばれなかった理由──それは、なんだったのだろう。

 ……分かっている。

 その理由は既に、分かっている。

 目を背けていた。

 直視してしまうと、すべてが壊れる気がして。


 改めて、村を回る。

 井戸から水を汲んで、頭から被る。

 戦闘の興奮が冷め切らないのか、不思議と寒さは感じなかった。


 村には、人っ子ひとり居ない。

 住んでいた痕跡はあるが、血痕はない。おそらく、侵攻の直前で退避できていたのだろう。

 使われていたであろう炉跡を使って、念のために焚き火の準備を始める。体を冷やしてしまえば、彼らに心配されてしまうから。


 ……姫様に、心配されてしまう──果たして、そうなのだろうか。

 オレは騎士だ。主君である、姫様を護るための。

 彼女を護るためなら、どんな力でも捻り出せた。限界など、越えてみせた。

 だが。

 今、魔物を討伐するために、全力を出せたのだ。

 今のオレは、騎士ではないのに。

 護るべき主君は居ないのに。

 ────何故、オレは、姫様を護っていたのだろう。

 適当な椅子に、腰を下ろす。



 夜空を見上げて、想い返す。

 十年以上も前のことだ。

 建国祭の日。

 メルキセデク王に招待され、オレは父上と共に、王城で数日間を過ごす事となった。

 父上と王は、旧知の仲だ。これを好機と見なし、オレは父上に頼み込んで、聖剣に触れたのだ。なんと言ったかな。──ああ、そうだ。『勇者になる』だ。

 悔しくて、みっともなくて、暴れ回った。


 掌の火傷を庇いながら、走った。

 刃こぼれした剣で裂いたような痛みが取れない。永遠に痛みが取れないんじゃないかと思うくらい、痛かった。

 窓の外を見ると、砂金をこぼしたような黒の空が広がっている。

 全てがどうでもよくなった。

 気がつけば、訓練場の前に居た。もしかすると、暴れ足りなかったのかもしれない。

 訓練場の扉を開く──オレはそこで、


 星を見たのだ。


 剣の素振りをしている少女だった。

 彼女の頭部には角があって、腰には尾も生えている。

 見蕩れた。

 身体が動かなくて、思考が停止していた。音が遠くへ行ってしまう。

 見えていた世界がぐるりと回って、星しか見えなかった。

 掴めない、星を見た。


 子どもたちの笑い声が混ざり込み、徐々に世界が音を取り戻していく。

 いつの間にか現れた同年代の少年少女が──身なりからして、貴族だろう──彼女に石を投げつけていた。

 石が彼女の額にぶつかり、切れる。少女は一瞬だけ、体を震わせたが、素振りを続ける。血が流れていて、唇を痛々しく噛んでいる。なのに、それでも、素振りをやめなかった。

 一滴の涙を流し、その瞳は強く輝く。

 煌めく星々の奥には、決意が見えた。


 オレはそれを、美しいと感じてしまったのだ。

 もう一度、石を投げつけられても、まだやめない。やめないのだ。

 石がぶつかる度に、彼女は涙を流した。


 その頃だろうか。オレの心の底に、何かが生まれた。

 怒りだ。

 美しいモノを汚す奴らを、許せなかった。お前たちが一歩も及ばないくらい、美しいのに。

 何故、何故そんなことが出来るんだと。


 掌の火傷を忘れて、

『──おい!!』

 オレは吠える。


 貴族の子どもたちが、散っていく。

 その時、王の側近が現れた。

 彼は慌てていて、いとも簡単に星を捕まえてしまった。

 行ってしまう! オレはとっさに、こう言ったのだ。


『煌めく星のような君! 名前を教えてほしい!』


 脇に抱えられた彼女は、キョトンとした表情を見せた。

 そして、『リリス……』と呟いて、小さく手を振る。

 行ってしまった。消えてしまった。

 

 いつの間にか、オレは自分の心臓を抑えていた。灼かれた掌で、心臓を抑えていた。

 心の底から何か出てきそうで、それを押しとどめるために。

 だけど、結局、出てきてしまう。

 底で渦巻いていた夜が、白んだ空に溶けて消えた。朝日が顔を出すように、照らされる。

 もう一度、星を見たいと。

 ……勿論、石を投げていた奴らは、オレが成敗した。

 下級貴族の子どもらを怪我させたことは、大した問題にならなかった。いま思えば、オレが上級貴族だからだ。

 だが、父上にはたっぷりと叱られた。しばらくの外出禁止令まで付いてきた。

 オレは、まだかまだかと、外に出られる日を待ちわびていた。


 外出が許された後。

 リリスに会えないかと、これ見よがしに王城を散歩していた。

 すると、王とリリスが一緒にいる場面に、鉢合わせる事が出来たのだ。

 何事かと様子を伺っていたのだが、リリスはオレに気がついた。オレのことを覚えてくれていたらしい。

 メルキセデク王は、『内緒だよ』と、彼女の紹介をしてくださった。

 彼女は、王の子だという。それは、王の側近たちも知らないことだった。


 その時に、彼女が教えてくれたのが、生まれについてだ。

 どこか、安心したような表情の王を尻目に、オレたちはよく遊んだのだった。


 しばらくして、ウェルバインド領に戻る日がやって来る。

 王の脚に隠れながら、手を振った彼女──決意が生まれた。

 あの小さな手を、星空のような美しい瞳を護りたいと。

 そうしてオレは、ボレアス騎士団に入団することを決めたのだ。

 ……騎士団長として就任した直後、彼女が戦姫ヴァルキリーとして部下になるとは思わなかったが。


 なんて、なんて浅いのだろう。オレは。

 ──思い返してみれば、浅ましい男だ。

 今もそれは、変わっていない。

 火の粉が爆ぜる音がする。揺らめく焔の奥を覗いた。


 ──ああ、オレが映っている。

 聖剣に灼かれたオレ。部下に避けられるオレ。父上を嘲弄するオレ。勇者に嫉妬した、オレ。

 傲慢で、器が小さくて、嫉妬深い。

 オレに、騎士である資格は、なかったのだ。

 成し遂げられない者を嫌う理由。

 それは、勇者に選ばれなかった『バルムンク・ウェルバインド』を、憎んでいるからだ。

 ようやく……ようやく、自分自身を理解した。


 オレは、オレ自身を憎んでいたのだ。



 ──ガサリと。

 草木が揺れる。人間の足音。

 オレは折れた槍に手を添え、振り返った。


「誰だ?」

「あっ……バルムンク……? ッ! 怪我ですか!?」


 姫様だった。何故ここに?

 駆け寄ろうとした姫様を、手で制す。

 彼女は水浴びをしていたのか、薄い布一枚を肌に当てていた。布は水分を吸って張り付き、お体の丸みが露わになりかけている。


「姫様!? 構いません、返り血です。それよりその、お体を……」

「す、すいません。その、近くで水浴びを。……火が見えたものですから、バルムンクかなって……あっ、予言で、近くにバルムンクがいるって分かってて、それで……」


 矢継ぎ早に口を動かし──顔を赤らめた彼女は、木陰に身体を隠す。


「……こちらこそ、単独行動をしてしまい申し訳ありません。ですが、護衛を付けてください……男連中とはいかなくとも、メルルを呼ぶとか……」

「私一人でも……大丈夫ですよ?」


 今夜は冷える。そのお声が震えていた。

 そうだ。姫様一人でも、問題ないのだ。彼女は強い。オレが護らなくとも──。


「──お寒いでしょう。オレは血生臭いので、離れてあちらを向いておきます。どうぞ、火の前に」


 椅子から立ち上がり、懐のハンカチーフを探した。

 ……あった。血に濡れていなくて、本当に良かった。

 指先で汚さないように、椅子に敷く。慎重にだ。

 よし、問題ないな。

 視界から焚き火を外して、対角の地面に座り込んだ。

 背中に焔の熱さを感じる。


 すぐに、椅子の軋む音が聞こえた。

 続けて、布を伸ばす音がする。


「お寒くはないですか?」

「うん……大丈夫、……です」


 なんと言うか迷った。


「そう、ですか」


 しばらく、口を開くことはなかった。

 薪が大きく弾けて、

「えっと……バルムンク……?」

 姫様が口を開いた。


「いかがなさいましたか?」

「先日は、ごめんなさい……あなたの気持ちを、考えていませんでした」

「いえ! そんな……謝られないでくださ──失礼しました」


 姫様が謝られることなど無いと。思わず振り向きかけて、すぐに視線を戻す。尻目に一瞬、姫様のお体が映ったが、すぐに忘れることにする。


「あなたが……謝られる道理など無いのです。全て、自分の責任です」

「ううん……そんなこと……」


 また、静かになった。

 何か話題を──話題を探したい。だが、今のオレでは、何も出てこなかった。

 そんな中、またもや姫様が口を開く。


「その……ええと……皆さんのお耳に入れる前に、相談したいことが……」


 なんの話だろうか。

 『戦士の里』での夜を思い出す。


「……私、確信に近いことがあるんです。水の四天王も、地の四天王も、私と同じ角を持っていた。だから彼らは、勇者一行の前に現れるんじゃなくて、私の前に現れるんじゃないかって。それなら、私はここで──」


 ここで置いていってほしい、とでも言いたいのだろう。


「何を、言っているんです……」

「きっと、私の生まれは、本当の父は──」


 あの夜。

 彼女から伝えられた言葉の続き。

 その時から、思っていた事なのだろう。

 だけど。


「生まれなど、関係ないでしょう!?」


 最後まで言わせたくなくて、姫様に大声を上げてしまった。

 息を呑んだ音で、目が覚める。


「申し訳ありません。大声をあげてしまって……。あなたの両親は、王です。そして、第二王姫様なのです」


 オレは姫様に、王姫様のことを伝える覚悟をした。


「でも……」


 言語がまとまらない。だけど今、言わなければならない。

 あなたは、魔物ではない。そう思わないでほしい、と。

 オレは、言葉を捲し立てる。


「第二王姫様は、あなたを逃がすために、命を懸けたのです。……申し訳ありません。勝手ながら、調査させていただきました。あなたのお母様のご遺体は、『戦士の里』の森で、発見されたのです。状況から考えると──お母様は、魔王領から王国まで、あなたを届けようとしたのでしょう。途中で力尽きてしまったようでしたが、親として、最後まで全力を尽くしたのです! あなたは、魔物なんかじゃない。人の親じゃなければ、そこまでするものか──! いや、しない! ついには、命を狙うなど──! そんなもの、親では──!」


 また、姫様の息を呑む音。

 ──勝手な行動をしてしまった後悔が、オレを襲う。

 だけど、言わなければならなかったのだ。


「申し訳ありません……言葉が上手く、まとまらなくて……ですが!」


 オレは、自身の腿を殴った。なんて自己満足だ。

 無意味な自己満足を、いくつ重ねようとするのだ。


「たとえ、たとえそうでも、オレはあなたを──!」


 あなたを──なんだ?


「……ありがとうございます。ごめんなさい、戦士の里から、どうにも胸騒ぎがしていて」


 彼女の言葉から、感情が無くなったかのように思えた。

 …………話すべきでは、無かった。


「……いえ。申し訳、ありません」


 また、静かになった。

 だがすぐに、物音がする。椅子から立ち上がった音。

 ……当然だ。

 オレのような人間はもう、必要ない。

 彼女は去ってしまうだろう。

 オレは、俯くことしかできない。 

 去って行く足音を、受け入れることしかできない。


 だが、彼女の足音は、オレの背後まで移動した。

 その腕が、オレを抱いた。


「姫様……? 汚いですよ、離れてください」

「……嫌です」


 何も、言えなかった。

 口を開けるが、言葉が出てこない。


「ねえ……バルムンク? なんて、言おうとしたんですか?」

「なんて……とは?」

「……あなたを、なんですか?」


 耳に入るそのお声が、脳髄を震わせる。

 香る彼女の甘い匂いが、思考を奪わせる。


「あ──オレは、あなたを──護ります、と」

「……どうして? 騎士だから?」


 どうして。

 否。オレに、騎士である資格はない。


「──いえ、私にはもう、騎士である資格はない。ないのです」

「騎士でない、なら……なぜ、私を護ってくれるのですか?」


 ────。


「──あ、オレは、オレは……」


 言い淀んだ。

 オレは──。


 心の底を探した。黒く、泥だらけの心の中を両手で探る。

 爪先を黒く染め上げながら。

 まるで、玩具箱の隅を覗く少年のように。

 きらりと光るモノがあった。


 ──輝く星があった。


 少年は、星を両手で握りしめる。

 それを胸に近づけた。

 心の底から浮き上がる感情──これを、なんと言うのだろう。

 ふと、幼き日の記憶が、閃光のように駆け抜けた。

 そこには、オレと……母上と、父上?

 優しげな笑みを湛え、腕を伸ばす二人。

 その腕は、オレを抱く。温もりを感じて──こんなひと言が聞こえた。

『愛しているよ』

 と。


 口が、動く。


「愛……」


 自分でも気がつかないくらい、小さい声で呟いた。

 そうか。これは、愛なのだ。

 目の前に、少年が立っている。

 幼き日のオレが、立っている。

『もう自分自身を憎まなくてもいい』

 そう言っている気がした。


 与えられた、『愛』という単語を、反芻する。

 姫様は動揺したかのように、腕をビクッと震わせた。


「──姫様?」


 その腕が解かれる。


「え、あ、あの、私も……──」


 ────。

 耳を澄ませた──魔物か?

 遠くから声が聞こえる。

 姫様~? という声が聞こえる。


「私も、バルムンクを──!」


 オレの正面。木立から顔を出したのは、メルルだった。


「お召し物を忘れてますよ~……ぎゃぁっ!? お邪魔だった!? ご、ごめん! 本当にごめん!!」


 彼女は、衣服を──姫様のものだ──中空にばらまいて、木陰に引っ込んだ。


「──おい!?」


 完全に散らばる前のそれを、キャッチする。


「落として汚したらどうする……」


 深い溜息をついた。

 困り顔のメルルが再び顔を出して、舌を出す。

 続けて、勇者とゴンザレスの声が聞こえてきた。


「メルル~?」「あ。火です!」


 暗闇から走ってくる二人組。徐々に、暗黒の中から彼らの輪郭が見えてくる。

 ──そうだ。メルルが姫様の衣服を持ってきたということは、姫様は今、裸だ。

 彼女の身体の丸みが思い起こされる。


 急いでマントを広げた──瞬間、メルルが勇者の顔面に拳を叩き込んだ。

 中空で縦に三回転はする勇者の肉体。何事かと驚愕するゴン──すぐに察したのか、彼は顔を手で隠して、滑るように蹲った。


「ウギャアアアアアア!!」

「オイラは何も見てない、オイラは何も見てない、オイラは何も見てない……」


 肩で息をするメルルは、勇者を睨み付けた。

 一気に騒がしくなった。

 ふと、声が出る。


「……はは」


 ──ああ。なんだか、拍子抜けだ。

 持っている衣服に気がついて、顔を向けないよう、背後の姫様に差し出す。


「姫様」

「…………」


 彼女は無言で受け取り──何故か、力強くだ──テキパキと着替える……音がする。

 勇者の叫び声と、メルルの怒声。怯えるゴン。


「……もう、こっちを向いてもいいですよ」


 それではと、姫様に向き合う。

 彼女は顔を赤らめて、下唇を噛み、衣服の裾を両手で掴んでいる。

 その眼は、オレを睨んでいた。

 喧噪を背負いながら、姫様に尋ねた。


「姫様、先ほどはなんと言おうと?」


 赤色が深まっていく。目蓋を閉じ、眉が歪んでいった。


「もう! 何でもないです!!」


 語気を強めて、肩を怒らせる。

 そのまま、ズンズンと足音を立てて、先ほど来た方向に向かってしまわれた。

 急いで火に土をかけ、消化する。


「姫様?」

「もう!!」


 どうしたのだ。

 だけど、やっと、オレの中の感情に決着を付けることができた。

 オレは、姫様を愛している──。


□ □ □

 オレが戦っていた場所から、小半刻歩いた場所。

 勇者たちは、『ギルレモ村』で野営をしていた。

 焚き火に照らされながら、情報共有を行う。

 ……姫様の機嫌が悪そうだった。やはり、オレの情報を伝えるべきではなかった。


 彼らがウェルバインド家で朝食を摂っていたときだ。

 突如、メルルに神託が下りたという。

 内容は、日が昇る頃、『ギルレモ村』と『アンドリュ村』に魔王軍が侵攻すると。

 『アンドリュ村』にオレが向かうことまで見えていたようだ。

 合流することも考えていたが、『ギルレモ村』には魔物の群れしか見えなかった。

 侵攻には、魔王軍の者が群れを統率することが多い。だが、群れの長だけが見えなかった。

 竜魔四天王、またはその眷属が関与している可能性が高く、数が大規模だったため、勇者一行の戦力を『ギルレモ村』に注力させたという。

 戦力を偏らせたことについて、メルルに頭を下げられた。


「いや、謝るな。正しかったと思う。オレのところは数が少なかったから、なんとかなった」


 紙一重ではあったが、それを口にはしない。


「それより、村人たちは無事か? 『アンドリュ村』の人たちは、既に退避していたようだったが……」


 答えたのは、ゴンだ。


「オイラたちが向かっている最中、たくさんの馬車で退避していました。魔物の侵攻があった際は、全てを投げ捨ててでも逃げなさい。……事前に、領主様がそう命じていたそうです。そのために、馬車と馬を多く支給していたそうで」


 ──父上が?

 勇者が引き継ぐ。


「朝にご同席されたウェルバインド公に聞いたんだ。ずっと前からそうしてるんだってさ。『民は、領地の宝だ』とも言ってた。討伐隊も民の一部。喪いたくないから、戦うより逃げることを優先させている──って。あと、これはイゾルダさんが言っていたことなんだけど、魔物の侵攻で村が潰れてしまったとき、ウェルバインド公が私財を擲って、街に住まわせてるらしい」


 ──驚いた。

 その判断が正しいとは思えない。だが、やりたいことは分かった。

 自分自身に向き合えた直後だからか、やっと、父上の事を理解できた気がする。


「そう、だったか……。それで、竜魔四天王は倒したのか?」


 勇者は肩を竦める。


「いいや……群れを先導していたのは、竜魔四天王の眷属──風の児の眷属だった。『魔力風』っていう、魔力を吸収する上級の風魔法を使ってくる」


 風の眷属の特徴を聞くと、それは翠色の球体で、球の周りに風を纏っていると。


「了解した。複数体いる可能性を考慮して、朝日が昇るまでは待機しよう」


 全員が頷く。

 先ほど姫様からお聞きした、四天王と眷属が姫様の前に現れること。それが本当なら、次も姫様を狙う。

 ……オレのやることは変わらない。

 彼女を、愛しているから護る。

 それがオレの、『バルムンク・ウェルバインド』としての使命だ。

 決意を胸に秘めた。


 ──光だ。

 オレの胸に付けた結束の紐飾りの水晶が、輝いている。

 メルルが、ゴンが、姫様が、驚くように見つめた。

 勇者だけが、それを安心したような瞳で見つめている。

 戦士の里でゴンの紐飾りが輝いた時と同じ……。

 暗闇を裂くような光は、胸に吸い込まれていく。

 漏れないように、胸を押さえる。

 光は、心に──泥に侵された底を、照らした。

 憎悪も、嫉妬も、傲慢も。全て、オレのモノだ。オレ自身のモノなのだ。

 全てが『バルムンク・ウェルバインド』なのだ。


 ──ああ。ひとつ。ひとつだけ、彼に言わなければならない事がある。


 絶対に口に出さないと誓っていたことだ。

 だから、口が滑らかに動くことに驚きを隠せない。


「勇者」

「ん? どうした、バルムンク」


 彼は話しかけられたことに、意外な顔をしていた。


「お前を見つけた大樹の森。あのとき、姫様を護ってくれて……ありがとう。イサム」 

 オレは、やっと彼の名前を口にした。口に出来たのだ。


「そして、今まで『勇者』に当たり、邪険にしてすまなかった。許してくれ」


 立ち上がって、頭を下げた。

 これも、自己満足だ。

 彼が許さなくとも無理はない。

 だけど、言わなければならなかったのだ。

 オレの心の傷が癒えた訳ではない。でも──受け入れることはできた。


「────」


 イサムからの返答は無い。


「…………」


 駄目、だったか。

 仕方がない。オレの過去の言動は、消えないのだから。

 目を伏せる。

 すると、メルルの声が聞こえた。


「ね、イサム。良かったね」


 ──?

 何事かと顔を上げると、イサムが俯いていた。その背に、メルルが手を添えている。

 彼は静かに肩を振るわせながら、涙を零していた。


「お、おいイサム。どうした? 嫌だったか? 嫌だったよな、すまん……。なら、今まで通り、役職名で──」


 涙を手で拭った彼は、顔を上げた。


「んいや……嬉しくてさ、また、名前を呼ばれて。──ありがとう、バルムンク。これからもよろしくな」


 イサムは手を伸ばした。

 ふと、掌の火傷を見る。もう、痛くはなかった。

 その手を強く掴む。


「──ああ。よろしく頼む」


 オレたちは真に、仲間となった。



「ところでイサム。また、と言ったが……以前はいつ呼んだのだったか?」


 疑問だった。

 名前だけは呼ぶものかと、自分で言うのも何だが、頑固を押し通していたはずだ。

 思い出を探るように、勇者は言った。


「あー……あれだよ、戴剣式の時」

「そうだったか……」


 王の前だ。そうだったのかもしれない。


「ま、そんなこといいだろ? てか、さっきメルルがワーキャー言ってたけど、姫様と何してたんだよ?」


 イサムは水差しを傾けながら、姫様とオレの顔を交互に見る。

 固唾を飲み込むゴンの嚥下音。

 目を細めてイサムを見るメルル。『ジュノ高原』に住む狐のようで、愉快な顔だ。

 姫様は慌てふためいた。右手に持っている水差しから水が溢れ、零している。


「え!? い、いえそんな、何も……。ねぇ? バルムンク?」


 オレも、イサムに倣って喉を潤す。

 ああ、何もなかった。

 姫様に相談された件については、彼女の口から話した方がいいだろう。

 オレとしては、自分の感情に名前を付けられただけだ。


「ええ。仰る通りです。ただ──」


 ほっと胸に手を当て、一息を付く姫様。

 イサムの目を見て、オレは口を開く。


「ただ、オレが姫様を愛しているということが、分かっただけだ」


 もう一度、喉を鳴らしながら水を飲む。

 なんだ? やけに水が美味く感じるな。戦闘の後、何も飲み食いしていなかったというのはあるが……。これはおそらく、メルルの水魔術で出した飲料用の水だろう。

 優秀な魔導師の水魔術から生み出された水は、井戸水などとは比べものにならない質を誇ると聞く。

 今のオレの肉体状況だと、有り難いものだな。

 水差しが空になってしまった。


「すまない、メルル。もう一杯くれ」


 水差しの奥を覗いてから、メルルに顔を向ける。

 が、メルルは口を大きく開けていた。


「……? どうした?」


 怪訝に思ったオレは、周りを見る。

 ゴンとイサムはメルルと同じ表情をしている。

 姫様は、今までに見たことがないような、赤い顔をしていた。


「なんだ? みんな、変な顔をして……メルル、水を頼む」


 もう一度、水差しを差し出す。


「お、おう……」


 ようやく口を閉じたメルルが、水差しに水魔術を注ぐ。


「助かる……」


 ああ、喉が潤う。一息で飲み干した。

 酒はさっぱり分からんが、飲料水については分かる気がするな。

 世界を平和にしたら、商売に手を広げてみるのも面白いかもしれん。近々、相談してみるか。

 時間も時間だ。休息を提案しよう。


「さて、そろそろ休息を取ろう。姫様はお疲れでしょう。オレたちが見張っておくので、お休みください。イサム、ゴン。半刻交代でいいか?」


 男連中に言う。メルルも……休んで貰っていいだろう。


「お、おお」

「…………あ、はい」


 オレは腕を伸ばす。断裂した筋繊維が悲鳴をあげる。

 忘れていた。


「ぐっ……姫様、お休みになるまえに、回復魔術をかけていただけますか……? 戦いの最中、やられていたことを失念していました」


 顔を赤くしたまま、彼女は静かに頷く。

 そして、上級の回復魔術をかけてくださった。

 筋繊維に、上級は勿体ないのでは……? と言いたがったが、余計な事は言わないでおく。


「ありがとうございます──助かりました。……ん? なんだイサム。言いたいことがあるなら言え」


 勇者がまだ口を開けている。


「え? 嘘?」

「何がだ」

「いやいやいや、だってバルムンクお前、愛してるって……」


 ああ、言ったとおりだろう。


「そうだが」

「ええ~……え? ってことは……?」


 イサムは姫様に顔を向けるが。

 姫様はふるふると顔を振った。

 彼は椅子から転げ落ちた。


「【なんてこった】……」


 よく分からない単語を言い放つ。

 悪口を言われた気分だ。


「……どんな意味だ? それは」

「こっちの台詞だよ……」


 そう勇者は呟いた。

 いつの間にか、メルルが姫様の頭を抱きしめている。

 姫様の角が、豊満な胸に埋もれる。

 珍しい光景だった。メルルはいつも、必要以上に姫様には近寄らない。だが初めて、仲の良い友人同士のようなやり取りを見せていた。


「かわいそうに。かわいそうに……お姉さんが話聞いてあげるからね……」

「うぅ~! メルルさぁん……!」


 と、二人で天幕の中に入っていく。

 男だけが、焚き火の前に残った。


「……バルムンクさん、聞きたいんですけど」


 ゴンに問われ、答える。


「なんだ?」

「愛してるって、その……交際したいとか、その、そうなりたいとかって意味ですか?」

 四つん這いとなっているイサムが小声で言う。

「よく言ったぞ、ゴン」


 聞こえているぞ。

 交際。つまり、恋慕の心があるかという事か。。

 なるほど、こいつらが騒いでいたのはそれか。

 合点がいった。

 だが、オレの中ではそういった意味ではない……気がする。何というのだろう。またもや、言葉が見つからない。

 口に出して、整理をしてみる。どうやらオレは、言葉に出すのが苦手なようだから。


「そうか。愛とは、色々な意味があるのか……」


 頷く二人。


「そ、そうっすよ! 例えばイサムさんなんか、もうメルルさんとそんな感じじゃないっすか! それと比べるとどうですか!?」


 え? ゴンってそういうの分かるの? と呟くイサムを尻目に考える。

 それは──否定することはできない。間違いなく、姫様は魅力的な女性だ。欲望が湧くことも……ある。

 ──幼い頃、彼女という星を魅た時はまた、別の意味だったように思える。

 ……数刻前に、姫様に抱かれて思い起こされたのは、母上と父上の情景だった。


「ううむ……当然、姫様は魅力的なお方だ。しかしこの愛は、また別のモノのような気がする。そうだな……」


 そうだ。

 言葉に出来る。


「──ああ、『家族』だ。当然、王族になりたいだのと言うつもりはない。だが、彼女とは『家族』になりたいのだと思う。……何なのだろうな、この気持ちは。──いや、不敬だった。忘れてくれ」


 何を失礼なことを口走ってしまったのだ。

 こいつらの前だから、かもしれない。


「あー……」

「もう段階すっ飛ばしてるんですね」


 納得したような表情を見せられた。


「──? 意味が分からんぞ」


 大きく溜息をつくイサム。

 ゴンもそれを真似た。


「バルムンクってさ……結構鈍感な奴だよな……」

「ですね」

「おい、貴様ら……」


 イサムは地面に寝転びながら目を閉じた。


「まあいいか……近々、姫様の方からアプローチされるだろ。……しかし、なんでこの歳になって【シュウガクリョコウ】の夜みたいなことしてるんだ、俺たちは……」


 また、意味の分からない単語を放った。

ご覧いただき、誠にありがとうございます。

感想や評価、ご指導ご鞭撻を賜れば幸甚に存じます。

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