9階へ
パシャーン!
水面を強く打つと当然のように水しぶきがあがり、波が広がって水中の敵の姿を見えなくした。そして重りのついた鎖は、勢いを失いながらも水底へと沈んでいく。
腰まで水に浸かりながら進む8階において、フレイルという武器はトコトン相性が悪かった。
別に武具店のおばちゃんが嫌がらせをしたわけじゃない。E級の生徒が8階まで降りてくるなんてことは、帝魔の常識では無いことだ。特に俺はまだ1年という事もあり、また農家の出身でまともな魔法の訓練も、戦闘の訓練も受けることができなかった身だ。
普通のE級の生徒なら、3年生で5階まで進めば十分な成績と言えるのが、帝魔での常識。そこをソロで探索して8階にいることが不自然なのだ。
そして、俺が半年の間にB級まで魔力が上がった事は、現状では伏せられている。おおっぴらに口外するのはいらぬ敵を増やすことになりかねない。それは俺だけじゃなく、エトランゼ様の存在にも注目を集める事になるかも知れない。それだけは避けなければならなかった。
「とはいえ、戦えないんじゃ仕方ないな……」
リオから追加食材の依頼はあって、かなりの報酬も約束されているが、メインウェポンがこの有様では少々厳しい。アイラから借りたハンドアックスはあるし、短刀も研ぎ直して貰っているが、昨日のような掴み合いのバトルは勘弁願いたい。
そもそも俺の第一目標は、10階にいるミノタウロスから牛肉をゲットすることなのだ。
アイラがくれたマップには、10階までのルートが記されている。まずは目的を果たすのを優先させよう。
「暑っ」
海水が引き込まれ、腰まで水に浸かるような8階から一転、9階は蒸し暑い熱気に包まれていた。
6階のような焼ける熱さではなく、肌にまとわりつくようなジメジメとした湿気をはらんだ暑さだ。汗が出ても乾くこと無くまとわりついてきて鬱陶しい。
そして視界にはたくさんの樹木が連なり、蔦が絡み合うようにしてダンジョンを形成していた。
亜熱帯のジャングルのような場所だ。
「バラエティに富んだというか何と言うか。様々な局面に対応てきるようにって事なんだろうが、装備が大変だぞ……」
濡れる、暑いだけなら水着みたいな装備もありかもしれないが、こうしたジャングルは下草で手足を切ったり、虫などの毒でやられたりしやすい。露出は抑えたほうがいいのだ。
その点で帝魔の学生に配布されているジャージは、速乾性が高くて丈夫なので、鎧の下に着るには重宝しているのだが。
「でも汗をかくのは止められないよなぁ」
やはり長袖、長ズボンでは熱が籠もる。
「早い所、10階を目指すか」
愚痴っていても始まらないので、俺は先へと進むことにした。
生い茂る草木は微妙に視界を遮り、行動を制限する。アイラから借りているハンドアックスで邪魔な草木を打ち払いながら進むが、魔力で強化された体でも思った以上に疲れる。
キチキチキチキチ。
草木を打ち払う音の合間に、聞きなれない音が混ざっていた。固いものを高速で打ち合わせるような音。
俺は枝払いを中断し、周囲を警戒する。
蔦の絡み合うこのフロアの壁は、隙間から向こう側が覗けるのも1つの特徴だ。そこから垣間見えるのは黒い影。光沢のある硬そうな鎧が見えた。
そして次の瞬間、蔦の壁がはぜたかと思うと、壁の向こうにいた黒い影がこちらへと飛び出してきた。
このフロアのもう1つの特徴、壁を突き破る事ができるという特性だ。特に魔物側は容易に壁を越えてやってくる。
キチキチキチキチ。
その音は大きな顎を打ち鳴らす音だった。現れたのは等身大で立ち上がった蟻。黒光りする硬そうな表皮に、大きな顎。さらに前足の先端はのこぎり状に鋭いトゲが並んでいる。アレに撫でられたら、無数の切り傷ができてしまうだろう。
「蟻って自重の何倍も持ち上げられる怪力の持ち主だよな……等身大のコイツはどれだけの力があるのやら……」
あの顎に噛まれたら、脱出は困難だろう。そしてあの前足。掠めるだけでも肉を削がれそうだ。
触覚を蠢かし、こちらの様子を探っているようだが、目は見えてるんだか。というか、蟻がベースだとすると、こいつ一匹で済むとも思えない。さっきからキチキチ鳴ってる音は、こちらを威嚇しているというより仲間を呼んでるんじゃないか?
「まずいな、短期決戦に持ち込まないとっ」
俺は枝払いに使っていたハンドアックスを手に、巨大蟻へと切りかかった。蟻の方も素早く前足を使って対抗してくる。
「硬っ」
トゲの生えた前足は、体から見るとかなり細いのだが、魔力で身体強化した俺の一撃を難なく受け止めた。しかも、その刃が黒光りする甲殻にしっかりと受け止められている。
そして蟻の前足は2本あり、反対側の腕が俺を撫で払いに迫ってきた。
「炎の矢」
その手を無詠唱の攻撃魔法で弾きつつ、距離を取って蟻を観察する。その腕には目に見える傷は付いていなかった。
魔力は上がったが、魔法陣を使う無詠唱魔法は、魔法陣に流し込む魔力量に限界がある。過剰に魔力を流し込むと、回路がショートするように魔法が発動する前に魔法陣が焼ききれてしまうのだ。
なので俺の魔法の威力というのはそれほど上がってはいない。ただ、それでも無傷というのはショックだ。
「刃が通らず、魔法が通じない……」
しっかりと呪文を詠唱した魔法なら効果もあるだろうが、巨大蟻はなかなかに機敏だ。詠唱に気を取られると、回避が間に合わない可能性もあった。
「さて、どうするか」




