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Angelic Bless  作者: よしおか
序章 その少年、白の衣に金の髪を靡かせて
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第一話 前夜-Before the beginning-

 首都の北にあるその森を『試練の森』などと呼び始めたのは一体誰だったのか。少なくとも自分の生まれるよりは前の人物だろうな、と胸中の素朴な疑問に自答しながら、フィーナ=ソル=ウェルランシェは歩を進める。

 首都から北へ向かう街道は日の光に照らされ、快晴。祖国が三十年の時をかけて整備した街道は風雨に晒されてあちこちが罅割れ、雑草が覗いていたが、敷き詰められた石畳が歩いて旅をする者の足を守り、長いスカートと長い袖の上着、真っ白な生地を金と紫の縁取りで彩るシェリア教の司祭服を着ていても、それらが汚れることはない。

 フィーナが『試練の森』へ向かうのは、神官兵団―――シェリア教を国教として定める祖国、神聖ディオネシア教皇国の国軍―――その末端に加わるためである。


 雲一つ見当たらぬ青空の下、女性司祭の衣服である長袖の上着に長裾のスカート、そして頭からうなじまでをすっぽりと覆う垂帽子(たれぼうし)(白い布製の帽子。丸帽に布で裾を付けた様な形状で、修道女のベールとは別物)を被った人間が歩く姿は見ているだけでも汗が出そうなもので、帽子の下の澄ました表情が動くことはなくとも頬を滑り落ちる大粒の汗が、フィーナが決して今快適な気分で歩みを進めている訳ではない事を如実に物語っていた。

 そのフィーナの傍らを、彼女の旅荷物の大半―――と言っても、数日分の下着と携帯食料の固いパンと飲み水のガラス瓶程度で必要最低限だが―――を背負って歩く初老の女性が、心配そうにフィーナに話しかけた。


「お嬢様、ご無理はなさらず…この辺りは街道も荒いですし、何よりお嬢様には初めての遠出です。森の近くには村がありますから、今日はそこで一泊して―――」

「いいえラズラ、今日中に森の奥へ向かいます。時間に余裕があっても、遅くなって良いものでもありません…それと、その“お嬢様”というのはやめて。もうそんな年でもありませんよ」

「…かしこまりました、フィーナ様」


 フィーナの身を案じて声をかけてくれる乳母ラズラに、ついついキツめの言葉を返してしまうフィーナ。そんな彼女の態度に眉をひそめる事すらせずに、ラズラはフィーナに傅いた。

 フィーナが苛立つのには、彼女なりの理由があった。

 彼女の生家であるウェルランシェ家は、この神聖ディオネシア教皇国に於いては特に名の知れた家である。代々が優れた“神聖術”の使い手として国に奉仕し、高位の神官として教会を牽引してきた、シェリア教の歴史書の中にもその名が散見される名家なのだ。

 ところがある事情によって、フィーナはウェルランシェの姓を名乗る事こそ許されてはいるものの、当主サイラスの実の娘であることを公にはできない。これはフィーナ自身、半ば諦めてしまっているのだが、彼女の母に当たる女性の生い立ちに問題があった、としか言えないことであった。

 故に、彼女は一歩家を出れば、『大司教サイラスの娘、フィーナ=ソル=ウェルランシェ』などではなく、『畏れ多くもウェルランシェの家人を名乗る“忌み子”フィーナ=ソル』でしか無いのだ。そんな彼女に好き好んで声をかける変わり者などというものは、数えようと思えば片手の指だけで足りてしまう。この十八年間フィーナの乳母と教育係を務めてきたラズラは、そんな“変わり者”のうちの一人だった。

 話を戻すと、フィーナは「名家のお嬢様」と呼ぶにはあまりにも冷遇された人生を送ってきた。その現状に甘んじてなるかと、彼女は修練を積んだ。教典の一字一句を諳んじるまでに読み耽り、命ある者の傷を癒す神聖術を学び、杖を用いた格闘の術を身に付けた。そして修練の末、今年の春の教会学術院卒業を以て、神官兵団の門を叩く資格を得たのである。

 そして遂に、神官兵団本部から入団試験の内容が知らされた。



『首都の北に広がる森の中心部に、この国で最初に建造された使徒像がある。その台座に記された言葉を全て書き写し、提出せよ』



 封書と、二枚のパピルス紙を受け取ったフィーナはすぐに旅支度を整え、ラズラを伴って首都を出た。

 北の森には凶暴な原生動物が生息していると聞いていた為、杖も新たに鉄製の物を取り寄せた。準備は万全であった。

 途中、街道沿いにいくつか置かれている旅人向けの休息所で体を休めながら、フィーナはラズラと共に北の方角を目指した。

 “教皇国の羽根”と呼ばれる、大陸の北方を覆う山岳地帯、ノス・ディアーノ聖峰。その麓から広がる森が、シェリア教の聖地が一つ、最も古い使徒シェリアの像を最奥に抱く、『試練の森』だった。




 ノス・ディアーノ聖峰の麓にある小さな村にフィーナとラズラが辿り付いたのは首都を発って二日後の、太陽が中天に登り切るか否か、という頃だった。聖地の付近といえども巡礼の旅で訪れるには険しい森の近くであるために巡礼者が訪れることも少なく、大人数が入れそうな建物と言えばシェリアウィズ神教会が運営する小規模な教会だけ。宿屋や食堂といった、所謂“よそ者”の為の施設などは無い小さな農村である。

 村の中央にある教会へと辿り着き、扉を潜ると、老いた神官が二人を出迎えた。着ている衣服の意匠から、フィーナよりも位の高い、大司祭の位にある人物だと見て取れた。


「いらっしゃいましたか。まずは長旅お疲れ様です。さ、どうぞこちらへ」


 この老司祭が、今回フィーナが受ける入団試験を司る人物であった。

 聖堂から、懺悔室の脇にある通路を抜けて小さな部屋へと向かう。そこが、大司祭の執務室のようであった。


「お初にお目にかかります、大司祭様。首都にて司祭の修行をしております、フィーナ=ソル=ウェルランシェと申します。こちらは…」

「フィーナ様の世話役を務めさせていただいております、ラズラ=ティフォンと申します、大司祭様」

「おお、あのウェルランシェの家の御仁でしたか。私はこの教会を取り仕切っております、ロドニオ=ライヒです」


 フィーナの自己紹介に、老司祭…ロドニオ大司祭もまた自己紹介で応じる。簡潔なその自己紹介に、フィーナとラズラは好感を持つ。

 中央の司祭―――特に、宗教国家であるディオネシアに於いては、他国で言うところの貴族に等しい神官家の出身ならば、自分の名前を告げる前に「我が家は彼(か)の○○家の流れを汲む家系で云々」と、祖父母と父母の功績を紹介してからようやく自分の紹介に入るようなものだが、おそらくロドニオ大司祭は庶民の出身なのだろう。

 ラズラに持たせていた手荷物の中からパピルス紙の一枚を取り出し、フィーナはロドニオ大司祭に来訪の目的を告げる。


「早速ですが大司祭様、試験監督の押印をお願いします」

「構いませんが…今から向かうのですか?」


 性急に過ぎる、と言っても過言ではないフィーナの行動に、ロドニオは驚く。

 この試験は、神官兵団本部から受験者に配布された二枚のパピルス紙の片方に、現地の試験監督が試験開始と終了の印を押し、それを以て試験課題突破までにかかった時間を計るのだ。

 故に、試験開始の印を押すのは直前―――今回の試験内容であれば、フィーナが森へ足を踏み入れる直前でなければいけない。


「お止しなさい。今から森に入っても、奥に辿り付く頃には夜ですよ?今日の所はひとまず教会(ここ)で体を休めて、試験に備えると良いでしょう」

「ですが、大司祭様」

「なりませんよ、フィーナ殿。あなたにどれだけ自信があろうと、あの森を半日で行き来するなど、到底無理です。さあ、部屋を用意してありますから、今日はもう休みなさい」

「…わかりました。それでは失礼します…」


 頑として譲らぬ、とばかりに首を振るロドニオ大司祭に宥められ、結局フィーナは折れる。目に見えて肩を落としながら退室したフィーナは、そのまま、大司祭が今晩の宿として用意していた部屋へと向かった。


「では私も、フィーナ様の部屋へ行きますので、これで失礼します、大司祭様」

「ああっと、世話役殿。一つ聞きたいのですが…」


 フィーナの後に続こうとしたラズラを、大司祭が引き留める。はて、何の質問だろう、と思案を巡らせるラズラに、大司祭は問いかけた。


「不躾ですが、ひょっとすると彼女は、あの“ウェルランシェの忌み子”…ですかな」

「…それについて、私からお話しすることはありません」


 ラズラの答えは、大司祭の問いを半ば肯定するものだった。


「やはり…いや、十年前は私も首都に居りましてな。あの(・・)騒動については聞き及んでおります。すると、此度の兵団への志願も…」


 再びの大司祭の問いに、沈黙で以て返答するラズラ。しかし、大司祭にはそれで通じる。

 大司祭は、フィーナが幼少の頃に首都で巻き込まれた騒動を知っていた。故に、何故フィーナが忌まれるのかも心得ていたのだ。


「あの騒動の中生き残り、神官兵として己の今に挑もうとしている…強い娘さんですな。この国の次代を担うのは、フィーナ殿のような強い意志を持った若者でしょう。明日の試験はきっと上手くいきますよ」

「…ありがとうございます、大司祭様」


 色眼鏡を付けずにフィーナという個人を見てくれるロドニオ大司祭に、ラズラは深々と頭を下げた。







 一方、用意されていた部屋に入るや否や、ベッドの上に手荷物を乱暴に放ったフィーナ。


(一刻も早く試験課題をクリアしなきゃいけないのに…!)


 課題そのものをこなせるか否かはもとより、出立から帰還までの日程もまた、試験の評価対象なのだ。多少、無茶な行軍で村までの道程を縮めたので時間の余裕はあるのだが、今のフィーナには余裕の存在すら解らなかった。

 余人が見れば、それもまた若さゆえ、と一笑に付されるだろう。けれど、フィーナにとってはこの試験こそがディオネシアに於いて…祖国に於いて、自分が存在を認められるか否かの分水嶺だったのだ。

 苛立ち任せに、彼女は頭を覆っていた垂帽子を取ると、その中に無理矢理収められていた髪がばさりと広がる。

 その色は、冬の夜空を想わせる、艶のある黒だった。


 フィーナ=ソル=ウェルランシェは、今年で十九歳になる。名家であるウェルランシェ家の長女として生まれながらも、彼女は生家から半ばその存在を黙殺されて生きてきた。故に彼女は、「やや婚期を逃しつつある頃」と揶揄される年齢になっても、同じ神官の男性に嫁ぐこともなく、また教義としての“神との結婚”をすることもなかったのである。

 これは決してフィーナに非がある訳ではなく、むしろフィーナは気立ては良い方だし、他国であれば貴族と呼ぶのが相応しいであろう、「ディオネシアの神官家」の生まれであることを鼻にかけることも無い。

 その原因は、持って生まれたフィーナの容姿にあった。

 黒髪。

 それが差別用語の意味合いを持っていたのは、フィーナが生まれた頃までだったと聞いている。東の島国ヴァンヘイムとの、三十年続いた戦争が原因だ。フィーナの祖父に当たる人物が神官兵団を率いる聖堂騎士として従軍し、戦死したとも。

 戦争が終わったのは父の十歳の誕生日。それから、少数ながらも難民としてイファルナ大陸へ流れてきたヴァンヘイムの民は各地に分散し、その中に、運よく司祭に取り入ることに成功した女が居た…それが、フィーナの母に当たる女性らしい。


 黒髪の民との戦争は終わった。それでも偏見が完全に消えた訳ではない。



『―――見ろよ、あの黒髪』

『気持ち悪い…』

『骸に群がるカラスの羽のよう。不吉な子だわ』

『まるで伝承にある、東の国の暗殺者じゃないか…』



(黙れ、黙れ、黙れ!私のせいじゃない!!この『呪いの色』は私が悪いんじゃない!!)


 生まれ持った、黒い長髪。奇しくもそれはヴァンヘイムの民を…戦時中、聖堂騎士団を散々苦しめた暗殺者達を象徴するもの。そして一神教による統治を否定する彼らはディオネシアの民にとって、神の恩恵を拒む愚かな人でなし、だったのである。

 地獄のような三年間を過ごした学術院では友人などと呼べるものは当然出来ず、卒業と同時に縁は切れた。そして、学術院が教会によって運営される教育機関であり、通っている生徒たちの大半が神官家の人間である以上、例え教会の単なる神官になっても、フィーナを蔑み、嘲笑った者達はどこにでもいるだろう。

 フィーナがディオネシアの社会で認められる手段は最早、一つしか残っていなかったのである。

 それが、武を重んじ、力で以て神の教えを説く神官兵団の中で、優れた神官兵として伸し上がる事だった。


(神官兵になれば、私は胸を張ってウェルランシェの娘を名乗ることが出来る。“あの子”と共に歩くことだって…)


 思い出すのは、半分しか血の繋がっていない妹の笑顔。

 大きな屋敷という閉鎖された空間の中で、自分の黒髪を笑うことなく接してくれる数少ない人。

 妹に恥じない立派な姉でありたい、その為にも、フィーナは堂々と実の名を名乗れるようになりたかったのだ。

 窓から南の方角を…妹が暮らしているであろう首都の方角の空を見詰め、祈る。


(女神シェリア様。どうかご加護を…)


 両の掌を合わせて、フィーナは目を閉じ、ただ妹と共に幸せに暮らせる未来を思い描いた。






 だから、フィーナは気付かなかった。

 北に広がる『試練の森』へ、南の空から光が落ちたことに。

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