第二話 邂逅-Girl meets angel-
明けて、翌日。早朝のうちに村人達―――特に、狩猟で生計を立てる者達―――に向けて、本日は森の中心部へと足を踏み入れないように、と告げる旨の立看板が森の入口に立てられた…もっとも、『森の中心部』なるものが明確に区別されているわけもなく、看板を目にした者達とて精々が意識の隅に置いておく程度のものなのだが。
時刻はヘナの刻(おおよそ午前六時に相当する)。まだ朝日の上りきらぬうちに起床し、聖堂で祈りを捧げた後に朝食を取ったフィーナとラズラ、ロドニオ大司祭の三人は、村の入り口まで足を運ぶ。
目的地は試練の森。ここからはラズラも傍を離れ、フィーナが一人で森の奥へ向かわねばならない。
「では、行って参ります」
「お気を付け下さい、司祭様…武運とご加護を」
「武運とご加護を。フィーナ殿、命を落としては何の意味もないのです。決して焦ってはなりませんぞ」
ラズラと大司祭に見送られて、フィーナは麓の村を後にした。
もうそろそろ、中天に陽が昇るか、といった頃。さくさく、と草擦れの音を立てながら、フィーナは森の中の道を歩いていた。
長い黒髪は常のごとく垂帽子の中に収め、履き慣れた兵靴に包まれた足から余計な疲労を感じることもない。
獣道しか無いと思っていた山の斜面は意外にも整っており、そのおかげか当初の想定以上に体力に余裕があった。そういえば元々は、教皇国が成立する前の古い時代に大陸を統べる古王国の都があった場所らしい。ボロボロに風化してはいるものの辛うじてその痕跡を残す石畳を見て、フィーナは首都で調べた『試練の森』の情報を思い出す。
既に神話の時代。この世界は一度、一人の王の下で一つの国として束ねられたことがあったという。しかし慢心した王は、人の世界を統べた次は神の世界を統べようとした…結果、神々の怒りに触れた王は雷によって命を落とし、王を焼き滅ぼした雷光は、そのまま世界を四つに切り裂いたそうな。
神々に見捨てられ、ただ滅びを待つばかりであった世界の中から、やがて神との対話に臨んだ聖者が現れた。
その者こそが、後にシェリア教の象徴として讃えられ神格化されることになる、『最も若き女神』としてその身を人から神々の一人として昇華せしめた人間…神聖使徒シェリアである。
シェリアに従い、彼女を神の世界へと送り届けた教会にはいつしか多くの人が集まり、やがてそれは新たなる国となった。それがフィーナの暮らすこの国、神聖ディオネシア教皇国である。
そして、ディオネシアの繁栄と共に歴史に忘れられ、名前すら失われた都…それが、このノス・ディアーノ聖峰の中心部に位置する遺跡群。今回のフィーナの試験が行われる試練の森からさらに北上した場所であった。
(私の目的地とは、然程関係も無いのだけれど)
試練の森に建つシェリア像は、広大な廃墟と化していた古い王都から今のディオネシアの首都…最初のシェリア教会のある場所まで人々を誘導するため、目印として建てられたという。
(この国で最も古いシェリア像の建つ場所。そして…)
思案しつつ、フィーナは辺りを見遣る。
不意に、がさり、と葉擦れの音を耳にした彼女は、手近な木の陰に隠れて腰を落とす。自分以外の誰か…或いは、“何か”の存在を感じ取ったのだ。
大木の幹から半身をずらして視線を走らせると、視界の端の方、数十メートル向こうで地面に横たわる石柱から、子どもと同じくらいの身長の影が姿を見せる。
(現在は、凶暴な原生動物の巣窟になっている危険区域)
視線の先に居たのは、赤銅色の肌に樹の蔦を巻き付け、頭頂部から一本の角を生やす小鬼。この森に生息する妖精種族が一つ、鼻歌鬼だった。
尖った耳と、同じ位に尖った鼻。そして何より、彼らの最も大きな特徴は、その名前の由来ともなった“歌”である。
―――ゲキケケッ♪ キキケケッ♪ ゲキキケケケギィッ♪
ごろごろと喉笛を震わせ、ギロの演奏でもするかのような独特の音を発する鼻歌鬼。それは、一定のリズムを以て発せられており、音楽を嗜む人間が耳にすれば「おや?」と思わずにはいられない。
彼らの特徴の一つに、時折発する声が歌を歌っているように聞こえる、というものがある。俗説として、彼らの歌は独自の言語である、感情が高ぶった時に発する敵意の表れ、或いは求愛行動であるなどと言われているが、正確なところ何を示す物なのかあまり詳しくは解っていない。
歌を楽しむような頭など持たぬくせに、と胸中で毒づくフィーナに気付く事も無く、小さな鼻歌鬼は独特の音を奏でながらトテトテと歩く。歌っているような声と相まって、どことなくスキップしているようにも見えるから不思議だ。
(…そういえば、鼻歌鬼って死んだ動物の肉を食べるって話だけど…こんなところまで狩りに?)
ふと、フィーナは自分の知識と現在の状況とで生じた差に意識を向けた。
フィーナが現在立っている場所は、シェリア像への参道でもあり、狩りで生計を立てる者達が森に足を踏み入れる時にはこの道を中心にする、というくらいには人の出入りのある地点だ。そんなところに、動物の死肉や木の実を漁る生物が降りてくるとは考えにくい。
考えられるのは、狩人が見逃した動物の遺骸が転がっていたか、それとも“ここを良く通る生き物の遺骸が転がっていたか”のどちらかであるが…
(いやいや、それは有り得ません)
心中で首を振り、フィーナは自らの推測の一つを否定する。
春の、未だ肌寒い時期であるために人影は無いが、ここはシェリア教の聖地巡礼の旅において、欠かせぬ場所とも呼ばれている。
鼻歌鬼を始めとする凶暴な原生動物が生息していることから危険区域に指定されているが、逆に言ってしまえばその程度である。
参拝に行きたければ、申請さえすれば教会の神官兵が護衛を務めてくれるし、傭兵を雇うのも一つの手段。そもそも、街も無く、宗教的な意味合いを含まぬ観光地も無いこの場所まで旅をしてくる行動力のある人間なら、何かしら武術の心得がある方が一般的だ。
地元の住人、それも良く考えずに森に入ってきた子供でもない限りそれなりの装備を整えて登頂に臨む筈だし、そもそもこの地への巡礼者は麓の村にあるロドニオ大司祭が居た教会で、一度礼拝に参加しなければ登頂を許されない。
死者や行方不明者が出ればすぐに捜索隊が組織されるはずだし、そうそう人間が原生動物の餌食になるという事も無い。
管理不行き届きや責任を追及されることを恐れて中央への報告や捜索隊の派遣を怠る、という事が無いと言い切れないが、ロドニオ大司祭の雰囲気を考えるにそちらの方が余程有り得ないだろう。
(あの大司祭様の管轄で、そんな事が起こるとも思えないし…偶然かしら?)
黙考に耽っていたフィーナが異変に気付いたのは、がさごそ、と新たな葉擦れの音が響いた後。
(っと、もう一匹居たのね…って、え?)
そこで目にした光景に、フィーナは完全に硬直する。
彼女の視線の先から、先ほどの鼻歌鬼に続いてもう一匹、別の鼻歌鬼が姿を現す。そこまでなら良い。
問題は、現れたもう一匹の鼻歌鬼が引きずっていた物体である。
そこかしこが泥に塗れているが、フィーナの首から腰までと同じであろう長さの何かから、これまたフィーナの手足と同じような長さの何かが伸びている。一見すると人の身体に見えるそれらを包んでいるのは、泥の汚れが無ければ白いのであろう布。それはフィーナの司祭服と同じく、白地に金と紫の縁取りが施されている。
つまりどこからどう見ても、ぐったりと倒れ伏したまま足を持って引き摺られている、人間の成人男性だった。
「え、えぇぇええええええええええっ!?」
あんまりにもあんまりな光景に、ついつい驚きの声を上げてしまうフィーナ。
しまった、と声を上げた後に思ってももう遅い。
「ゲキャッ!?」
「ギケッ!!」
フィーナの存在に気付いた鼻歌鬼は、せっかく手に入れた獲物を取られてなるものかと、元来た道を引き返す。
「あ、ちょっ…ま、待ちなさいっ!」
一瞬遅れて、その背を追うフィーナ。走り出した鼻歌鬼に引きずられる男性の身体が二度三度と土の上をバウンドするのを見て顔を青褪めさせる。
死者の亡骸を痛めつけるなど、言語道断。
フィーナの頭の中を占めていたのは、その一言であった。
泥だらけになった服装から見るに、恐らく自分と同じ神官か、或いは神官兵か。どちらにせよ、死者の亡骸を鼻歌鬼の腹に収めさせてしまう訳には行かない。
同胞の遺体を野蛮な鼻歌鬼から取り返すべく、フィーナは野を駆ける。
「こらぁあっ!!その人を置いて行きなさいっ!」
数十秒ほど。木の根を飛び越え枝を避けて走って居るうちにようやっと追い付いた背中に向かって、フィーナは怒鳴る。もっとも、鼻歌鬼が人間の言葉を理解できるなどとはフィーナは思っておらず、ただ感情のままに漏れた言葉だったのだが。
「ギキャッ!?」
「ゲケキキキッ!?」
しかしその鬼気迫る様子は伝わったのだろう。自分たちを追いかける人間の姿に驚いた鼻歌鬼は、動きを止めると鋭い爪の生えた手を振り上げ、フィーナに躍り掛かる。
だが、フィーナとて神官兵を志す身。その程度の奇襲に対応できない程軟な女性ではない。
上体を逸らして爪の一撃を躱すと、すれ違いざまに右手に握った鉄杖を鼻歌鬼の腹部にめり込ませる!
「せぇいっ!!」
「ギャベッ!?」
気勢を上げるフィーナと、奇声を上げる鼻歌鬼。身体をくの字に曲げて倒れる鼻歌鬼から意識を逸らし、フィーナはもう一匹の―――男性の足を掴んで引きずっていた鼻歌鬼へと目を向ける。一緒に獲物を運んでいた仲間が居なくなった事で、自分よりも倍近く大きな人間という荷物が邪魔になったのか、既に男性の足を放り、そこらに落ちていた石を手に取って胸元へと抱えていた。
(投げるつもり…!?)
鼻歌鬼に持ち上げられた拳ほどの大きさの石を見て、フィーナもまた鉄杖を構える。
予測の通り、鼻歌鬼は振りかぶった石をフィーナに向かって投げつけて来た。
「っ…この!」
何とか石を躱したフィーナは態勢を整え、残った鼻歌鬼に向かって鉄杖を振り下ろす!
「ゲブッ!」
鼻っ柱を殴打され、鼻歌鬼が地に伏す。その顔から横数センチに、鉄杖の先端ががづん!と音を立てて突き立てられた!
「ギヒッ…!?」
「はぁっ…はぁっ…っ、その人を放して、何処へなりとも行きなさい!」
精一杯の大声で怒鳴ると、鼻歌鬼たちはフィーナに恐れを成したのか、這う這うの体で逃げ出した。
「はぁっ、はぁっ…ん、すぅ…はぁーっ」
その背を見送り、大きく深呼吸をして乱れた息を整えるフィーナ。
やがて、思い出したように男性へと駆け寄る。
「この人は…」
泥の付いた顔を拭うと、自分と同じぐらいに白い肌に、金の髪が見えた。年は、フィーナよりニ、三歳年下だろうか。まだあどけなさの残る、少年と言っても良い年齢か。
不謹慎ではあるが、その少年のあまりの美しさに、どきりと鼓動が高鳴った。
金の髪に白の衣。その姿はまるで―――
「…天使、様?」
思わず、子供の頃に読んだ絵本の中の天使の姿を連想したフィーナ。
実際、少年の姿はディオネシアに於いてはとても“模範的”な神官の姿だ。
シェリア教に於ける天使とは、大抵が「金の髪に金の瞳を持ち、背には純白の翼を戴く」とされている。
その為、金髪、或いは輝金眼の瞳を持って生まれてきた子供は、生まれや血筋の如何に関わらずに教会の洗礼を受けることが出来る。例え貧民街で生まれた親もわからぬ子であろうと、牢獄の中で生まれた犯罪者の子であろうと、場合によっては高位の神官家へ養子として迎えられる事すら有り得るのだ。
話を戻すと、フィーナが御伽噺の中で耳にした天使の姿と、この少年の姿はあまりにも似通っていた。
それこそフィーナが一瞬とはいえ、天使様が地上に降り立ったのでは? と突飛な想像をしてしまうぐらいには。
そんな馬鹿な、死者の亡骸を前に私は何を、とフィーナが自分を恥じているうちに。
「ぅ、あっ…」
「え」
とうに亡くなっていると思った少年の口元からこぼれた呻きにフィーナは再び硬直し、次いで、盛大に混乱した。
「え、生きて…ええええっ!?だ、だってさっきあんなに引きずられて…!?」
暫くそのまま右往左往していたフィーナだが、少年の手が震えながら持ち上げられると、その手を握り大声で呼びかける。
「だ、大丈夫ですか!?しっかりしてください!」
「ぁ…こ、こ…は…」
脱水症状を起こしているのだろうか、少年の声は随分とかすれている。瞼が薄く開き、海青眼の瞳がフィーナを捉えた。
「ここはディオネシアの北方、試練の森です!あなたはここで倒れていたんですよ!」
少年の意識を途切れさせてはなるまいと、必要以上に大きな声で語りかけるフィーナ。原生動物を呼び寄せてしまうかもしれないという懸念はあったが、少年の意識を何とか保つことが最優先であった。
「ディオネシア…しれんの、もり…? う、げほっ、げほ…!」
「ああっ、こ、これ!お水、お水飲んでください!」
喋っているうちに喉を傷めたか、少年が大きく咳をする。
慌てたフィーナは急いで背嚢の中からガラス瓶を取出し、その飲み口を少年の口に添える。少年は口元に近づいたガラス瓶に驚くことも無く、そこから水を口に含む。
ごほ、と再び咳き込み、水をこぼしてしまったが、少年はガラス瓶に入っていた水を飲み干すと、安心したかのように意識を失ってしまった。
「っ、しっかり!」
急に体の力が抜けた少年にまたも慌てるフィーナだったが、握った手から微かに脈を感じ取り、安堵に胸を撫で下ろす。どうやら気絶してしまったようだった。
ひとまず応急処置をせねばと思い立ち、フィーナは少年の身体を慎重に地面に横たえると、彼の傍らに座し、手にした杖に意識を集中する。
神聖術。シェリアの教えに帰依した神官達の中でも、医学を専門に学んだ者達にしか使えない、癒しの術であった。
「“円の歪みを御手にて正し、環へと成して清めとせ”…っと」
呪文を唱えると同時、少年の身体が淡い光に包まれ、顔や手に刻まれていた裂傷と擦過傷が塞がる。
神聖術の中でも初歩の初歩たる、止血の術式だった。
傷が塞がったことで痛みも消えたのだろう、心なしか、少年の表情が先ほどよりも幾分か和らいだように見えた。
「止血は良し…けど、ここじゃ十分な治療は…」
この術式は身体の傷に対して止血はするが、失った体力を回復させるようなことは出来ない。
これより上位の術ならば各種治療は可能だが、フィーナの修めた神聖術の中に、地に方陣を描く大がかりな術式も無しにこれだけの重症者を癒せるものは無い。
さて、これからどうすれば良いのか。フィーナは状況を確認しながら、今自分が何をするべきか考える。
この少年を伴ったまま聖地へ向かうのは、流石に不可能だ。しかし、彼をこの場所に置いて行くのも危険すぎる。というかどちらも人道的に色々とマズい。
対して、彼を麓の村まで連れて行く場合。ロドニオ大司祭か、無理ならばラズラに彼を任せて、自分は再び試験に挑むことが出来る。が、一度印を押された試験時間の記入用紙は、開始時刻の印を押し直すことは出来ない。必然的に、フィーナが試験課題を突破するのにかかった時間は、記録上は一日多くなってしまうのだ。
そんな事で悩むなど薄情な、とフィーナを謗るのは簡単だが、彼女にとっては正しく人生の岐路であるのだ。多少、邪なことを考えてしまったとして、彼女を責められる者は居まい。
たっぷり数分間悩んだ後、結局彼女が出した答えは、といえば…
(戻る…しかありませんよね…ああ、私の試験がぁぁ…)
何とか彼女は、神官としての奉仕の心以前の、人としての道理を見失うことは無かった。
ともかく衰弱している人間を置いて行くことも出来ず、やむなくフィーナは一度、ふもとの村まで戻ることになったのであった。
この時。この少年との出会いこそが、後に自分の運命を左右する出来事となったことなど、今のフィーナが知る由も無かった。
[用語解説:この世界の目の色の呼び方]
直接色で呼ぶのではなく、その色の宝石になぞらえた呼び方をします。
金→輝金眼
銀→澄銀眼
赤→灼紅眼
青→海青眼
緑→静碧眼
黒→夜空眼
と言った感じに。




