第2話 貧乏令嬢はめげない
「……ふざけているのか?」
不機嫌そうにブラッドリーが顔を顰める。彼の後ろで、執事――テレンスが焦った表情になった。
しかし、この程度の不機嫌顔でめげるグローリアではない。
(少しの間働いていたレストランのオーナーより、ずっとマシだもの)
貴族とは名ばかりの家で育ったグローリアは、金のために平民に混ざって働くこともあった。
一時期働いていたレストランのオーナーは常に不機嫌だった上に、貴族であるグローリアにやたらときつく当たった。
それに比べれば、不機嫌そうに睨まれるくらい、どうってことない。
「いいえ、本気ですわ。わたくし、ブラッドリー様に一目惚れしましたの」
「……勝手にしろ」
吐き捨てるように言うと、ブラッドリーはそのまま部屋を出ていってしまった。
すると、テレンスが慌てて近づいてくる。
「グローリア様、申し訳ございません。ブラッドリー様は少々、気難しい方でして」
「そうみたいね」
「おかげで使用人もなかなか定着せず……恥ずかしながら、現在は私と妻のアニーで屋敷の家事を行っております。その分、給金はたっぷりといただいておりますが」
「まあ……!」
思わず口を大きく開けたグローリアに、テレンスが申し訳なさそうに頭を下げる。
「二人も使用人の方がいらっしゃいますの!?」
「……はい?」
「わたくしも入れて三人ですわよね? 三人もいれば十分過ぎますわ!」
実家では、家事の大半をグローリアが一人でやっていた。
父親は仕事が忙しかったし、母は病気で休んでいたし、弟は幼かったからだ。
そんなグローリアにとっては、ずいぶんと楽な環境である。
「あ、あの……」
「なにかしら?」
「まさか、我々の仕事を手伝ってくださるつもりなのですか? 奥様であるグローリア様が……?」
「……手伝わない選択肢がありますの?」
きょとんとした顔で首を傾げたグローリアを見て、テレンスは同情するような表情を浮かべたのだった。
◆
「夕飯の支度が終わりましたので、掃除を手伝いにまいりましたわ」
広くて快適な台所を出たグローリアがテレンスのもとへ行くと、テレンスは掃除の手をとめて目を見開いた。
「……夕飯の支度がもう終わったのですか?」
「ええ。あとは食べる直前にスープを温めてお肉を焼くくらいですわ。掃除が終わっていない箇所があれば手伝いますわよ?」
グローリア様は休んでいてください、というテレンスの言葉を押し切り、夕飯の支度をさせてもらった。
何もしないでじっとしているのは落ち着かないし、他にできることもない以上、妻としてせめて家事の手伝いをしようと考えたのだ。
「掃除なんて、グローリア様にはさせられません。大切なお手が汚れてしまいます」
「洗えば落ちますわよ。それにわたくし、皮膚も丈夫ですの」
「ですが……」
とやりやっていると、テレンスの妻であるアニーが現れた。
彼女が両手で持つカゴには、汚れた服が何着も入っている。
「洗濯かしら? 手伝いますわよ」
「いえ、奥様。ゴミ捨てでございます」
「……ゴミ!?」
思わずカゴをぶんどり、中身を確認する。
中に入っているシャツは確かに汚れているが、どれも上等な物ばかりだ。
「これくらいの汚れで!?」
「……これくらい、ですか?」
「洗い方を工夫すれば綺麗になりますわよ!? わたくしがやりますわっ!」
◆
「奥様、この液体はなんですか……?」
「わたくしが実家から持ってきた、特製洗剤ですわ」
アニーと共に中庭へ移動したグローリアは、水をためた桶の中に緑色の液体を数滴垂らした。
グローリアが山の草を用いて作った、オリジナルの洗剤である。
「この洗剤を溶かした水の中に入れて、丁寧にこすればたいていの汚れは落ちますの」
シャツの汚れは、ほとんどが泥と血だった。おそらく、ブラッドリーが訓練や実戦によって汚したものなのだろう。
「ほら、落ちましたわ」
「……奥様、恐ろしくないのですか? 血で汚れたシャツなど……」
「言われてみれば、確かに不衛生ですわね。手袋をして洗う方が安全でしたわ」
「あっ、いえ、そうではなく……」
アニーは戸惑っているようだ。もしかしたら、貴族の令嬢は血で汚れたシャツそのものを怖がると思っていたのかもしれない。
(でもわたくしも、血で服を汚すことは何度もあったのよね。人間の血はさすがにないけれど)
どうしても肉が食べたいが金がなかった時、父に教えてもらって狩りをしたことがある。
獣の処理もできるし、血自体にはそこそこ免疫があるのだ。
「わたくし、実はたいていのことはできますの。特に、力仕事なら任せてくださいまし!」
テレンスもアニーも、おそらく60代だ。力や体力を使う仕事があれば、グローリアがやった方が効率がいいだろう。
「そんなわけにはいきません!」
「いいんですのよ。わたくしも暇ですもの」
「……ですが」
アニーを困らせたいわけではないが、効率よく仕事はしたい。
というわけで、グローリアはいったん話を逸らすことにした。
「それより、聞きたいことがありますの」
「な、なんでしょう?」
「ブラッドリー様の女性の好みですわ! わたくし、初夜の準備をしなくてはいけませんもの」
「……あの、奥様。ブラッドリー様に『愛するつもりはない』と言われたとおうかがいしたのですが……」
「ええ、確かに言われましたわ」
はっきりと言われた。だが、だからといって諦める理由にはならない。
(っていうか、そもそも結婚したんですもの、わたくし達)
既に役所に書類の提出は済ませてある。なにより、婚姻を望んだのはブラッドリーなのだ。
跡継ぎのためなのか、世間体のためなのか、他に理由があるのかは分からない。
だが、結婚をした以上、グローリアは妻として頑張るつもりだ。
なにより、一目惚れした相手が夫という状況で、アピールをしない理由がない。
「ですが、『愛さない』と言われたわけではありませんもの。わたくしが絶対、ブラッドリー様の気持ちを変えてみせますわ!」
高らかに宣言したグローリアをしばしの間呆然とした顔で見つめた後、アニーは慌てて拍手をしたのだった。




