5話目 リスも木から落ちる
黒装束の男が街を闊歩する。
道行く人々はその奇妙な風貌を見て自然と道を開ける。
当の本人は、ある重大な問題に気が付いていた。
(ファストトラベルで移動してたから忘れてたけど、アジトまで結構距離あったような……)
顎に手を当て、真剣に考える。
だが、その思索に耽る仕草すらも、周囲から見ればさらに怪しさと威圧感を増しているだけだった。
――気づけば、通りには数えるほどしか人がいなくなっていた。
(移動するなら……馬か? 確かこの街だったらあの商人がいたような……あいつもこの時点では俺のことを知らないはず)
男が目指すのは、この街一番の市場。
そこの最奥、ここまで市場を大きくしたリスの獣人『ラル』の元を目指す。
活気ある市場に、ぽつりと一つの「異物」が紛れ込む。
男は周囲の露店には目もくれず、ただひたすらに奥の大きな建物、この市場の本部ともいえる場所を目指して、くねくねと歩いていく。
ザワザワとしていた市場の喧騒が、男が通り過ぎるたびに、不自然なほど静まり返っていく。
唯一、その顔面から読み取れる『翁の面』の微笑みが、周囲の恐怖と不気味さをさらに増幅させていた。
本部の前に立っている門番が槍を構える。当然の行動だ、俺だって通したくない。その顔は恐怖でひきつっている。
「……何者だ。ここはラル様がおられる、怪しい者は通すわけにはいかぬ」
「少しラル嬢に用がある。馬を一頭用意して欲しい」
(嬢!? そんなの言う気なかったぞ俺、これってもしかして元々の景清のしゃべり方が反映されてるんじゃ……)
「嬢だと……? 貴様、ラル様を侮辱するなら……!」
門番の槍を持つ手に力が入る。と、その時だった。
「お待ちくださ〜い!!」
小銭がじゃらじゃら鳴る音と共に、茶色い毛玉がこちらへ近づいてくるのが見える。
近づいてくるにつれて、その姿が鮮明になった。
目は翠色の真ん丸な目に丸眼鏡、体の1.5倍はあるふさふさのしっぽに、その雰囲気には似つかわしくない黒いタキシードを身に着けている。
間違いない。あれが守銭奴ラルだ。
短い脚で器用に景清と門番の間に割って入って止まった。身長は景清の5分の1ほどの小柄な獣人。
「これはまた! 大変失礼いたしましたお客様! ……何を見てらっしゃるの? 下がりなさい!」
一喝し門番を引かせる。しかし、ラルの目には歓迎とは程遠い光が宿っていた。
「……して、お客様? 見るからに只者ではない雰囲気、こんなところに何か入用ですか?」
疑いを隠そうともせず、ラルはじっと景清の目を見つめる。正確には、翁の面の目のあたりを見つめている。
「馬だ。馬が一頭必要なのだ。そうだな……できるだけ長く走り続けられる馬がいい」
「長く走り続けられる……馬……?」
ラルの思考が加速する。
(ただの馬じゃなく、長く走り続けられる? 馬は歩かせれば長く体力は持つけど……わざわざ走り続けられるって……普通に考えたら遠いところにいち早く着きたいっていう気持ちなんだろうけど、だったらわざわざ馬なんか使わずに転移門とかを使ったらいいはずだし……もしかして……使えない理由があるとか?)
額から一粒の汗が垂れる。遠目から見てもただならぬ存在だと気づいて、商売のチャンスと思い駆けつけてきたはいいものの、こんな得体のしれないものに自分から関わってしまった。
「で、どうなんだ。馬あるのか? ないのか?」
男は抑揚のない機械のような低い声で再度問いかけてきた。
その再度の確認が、ラルの思考をより早める。
(間違いない、一刻も早くこの街から離れたいんだ。だから催促している。しかし、そんな危ないやつに馬を渡していいの?)
景清(一明)は心底不思議そうにしている。
(なんでここまで渋るんだ? あ、そうか。こいつ守銭奴とか書いてあったな……守銭奴っていわゆるケチってことだろ? じゃあ……)
「金なら出す。いくらだ?」
(これで渋らないだろ。景清は大盗賊だからな、金ならある)
ラルの喉がヒュッと小さく鳴る。
(やっぱり! 何か訳アリですわ! ここで駄馬を高値で売り付けてあとで傭兵に……)
思考を巡らせるため、目元から視線を外し、視線を下げたのが間違いだった。
「は? 何ですの……? その……穴……」
ラルの丸眼鏡の奥の目が、限界まで見開かれる。
黒装束の男の腹部――おそらく、へその上あたり。
そこには、向こう側の景色が完全に透けて見える、ぽっかりとした『空洞』が存在していた。
(あ、やばい。これはダメなやつですわ)
ここまで市場を大きくする上で、損得を見極める直感は無くてはならないものであり、一度も外れたことはなかった。
―――その直感が告げている。こいつを敵に回したら確実にダメだと。
「……でしたらあの馬を持って行ってください」
少し離れた所の厩を指さす。そこには漆黒の毛並みが艶やかな重種の馬がいた。
「お題は……500ゴールドで結構です」
もうその眼には商人としての貪欲さは微塵もなく、ただ今すぐに目の前の存在から逃げ出したいという一心だった。
(えぇ? そんなもん? やっぱ初期の街だから価格も抑えめなのか?)
「わかった。ありがたく頂戴しよう。釣りは取っておけ」
(細かいの数えるの面倒だし、1000ゴールド渡しとけばあとから何も言われないだろ)
どっさりとゴールドの入った袋を渡されたラルは、思考が停止した。
そして、我に返り、なにか言おうと顔を上げると、もうそこに先程の男の姿はなく、遠くで土煙とともに遠ざかっていく影しか残っていなかった。
手元に残された、ずっしりと重い1000ゴールドの袋を見つめ、ラルはぽつりと呟いた。
「……意外と……いい人なんですの?あの方…」




