58話
いよいよ夕方の公演の開演時間が迫る。
巻き直されたテーピングは、朝よりも少しだけ厚くなっていた。
右手首に触れると、まだ熱い。
保冷剤で冷やしても、奥の方に残った痛みまでは消えてくれない。
「確認するよ」
横井さんが台本の進行表を片手に、私たちを見た。
「二幕の殺陣、右からの受けは私が入る。檜山さんはその後の跳び込みを少し大きめに。星野さんは半歩下がって、中央に残って」
「はい!」
「ラストの集合技も、振り抜きは無理にしない。ブレイブは中心で構えるだけでいいからね」
……構成を少し変更した事で、二人に迷惑をかけてしまうかもしれない。
そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、横井さんは私の顔を見て小さく笑った。
「大丈夫。星野さんが中心に立って前を向いてくれれば、私達が線を作るから。だから、今日は頼ってよ」
頼って。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。
今までの私なら、ブレイブなら何があっても一番前に出なきゃいけないと思っていた。
でも、仲間を信じて任せること。
それもきっと、勇気なのだ。
「……分かりました」
私は小さく頷く。
「夕方の公演、よろしくお願いします」
「こちらこそ!」
檜山さんがにっと笑って、左手を差し出す。
横井さんも左手をその上に重ねて、私へ微笑んでみせた。
「じゃあ、年内最後。三人で走り抜けようね!」
「はいっ!!」
私も左手で、二人と手を重ねる。
「ステラフォース! いくよーっ!!」
「「「おーっ!!」」」
気合いの声と共に、持ち上げた手が花開いていく。
天井の照明にそのまま手を翳し、眩しさに僅かに目を細めた。
右手首はまだ痛む。
でも、胸の奥にあった怖さは、少しだけ形を変えていた。
怖い。
でも、私は迷わずに立てる。
だって……一人じゃないから。
* * *
夕方公演の会場は、朝とも昼とも違い、熱気に包まれていた。
年内最後の公演と言う事もあり、わざわざこの回を狙ってチケットを取る人も多いらしい。
まもなく開演のブザーが鳴り、変身シーンから物語が始まっていく。
ステージへと飛び出した時に見えた客席は、子供たちよりも大人の割合が多かったように見えた。
無心で演技を続けるも、何度も稽古で身体に染み込ませた右手を使う動きが出てしまいそうになり、何とか抑えていく。
大きく拳を握って表現する場面では、力を入れすぎない。
殺陣でも、あまり腕を大きく振らないように。それでもキレの悪くならないように努めていく。
受けの動きは手首ではなく、身体全体で逃がしていく。
かなり気を使っているが、それでも痛みは何度も顔を出した。
ズキリ、とグローブの内側で、右手首が熱を持って脈を打つ。
そのたびに、ドリームが一歩前へ出てくれた。
ホープが私の横に並んでくれた。
見てくれている人達には、いつもの公演との違いが分からないかもしれない。
でも、演じている私達だからこそ分かる。
私が倒れないように、二人が舞台の上でそっと手を伸ばしてくれている。
視線を向けた客席には、たくさんの光があった。
赤・黄・青のペンライト。
ぼんやりとした光に照らされる小さな手。
胸の前で抱き締められているステラのぬいぐるみ。
ステージを見上げる子供たちの顔。
この中に……彼がいる。
見つけようとしなくても、不思議と分かってしまう。
赤いペンライトを握って、誰よりも真っ直ぐにステージを見つめている人。
いつものように笑っている。
いつものように応援してくれている。
でも、その瞳がほんの少しだけ、祈るように見えたのは……私の気のせいだったのだろうか。
物語は恙なく進み、いよいよラストの決め技。
音楽が大きく盛り上がり、スモークが足元を白く包んでいく。
『みんなー! ステラ達に力を貸してー!』
MCのお姉さんの声に、客席から歓声が爆発した。
「がんばれぇー!!」
「ブレイブー!」
「ドリームー!」
「ホープー!」
左隣からドリームの気配が寄った。
右隣からホープが一歩、私に並ぶ。
支えられている。
そう思った瞬間、私は歯を食いしばるのをやめた。
一人で強がらなくていい。
だってブレイブは、三人でステラ☆フォースなんだから。
三人の影が、ステージの光の中で重なる。
私は右手を無理に振り抜かず、胸の前で拳を握った。
ドリームとホープが左右から大きく一歩を踏み出して、動きを大きく見せる。
『星の輝きを、あなたへ!』
ステージいっぱいに光が弾け、客席から割れるような歓声が上がった。
* * *
エンディングの音楽が流れ、私たちは客席に向かって手を振った。
右手は高く上げられない。
だから私は、左手を大きく振った。
右手は胸の前に添えたまま、深く深くお辞儀をする。
「ありがとー!」
「また会おうねー!」
「ブレイブー!!」
降りていく緞帳の向こうで、たくさんの声が重なっていく。
最後の最後に、赤いペンライトが大きく揺れた。
私はそれだけを特別に見つめないようにしながら、それでも心の中で、小さく呟いた。
見ていてくれて、ありがとう。
完全に幕が降り、年内最後のステージが終わった。
でも、気を抜くにはまだ早い。だって最後の一仕事が残っているんだから。
そう……ハイタッチ会だ。
ハイタッチ会が始まる前に、スタッフさんが私の隣へそっと立った。
「ブレイブ、右手は無理に出さなくていいからね。左手中心で。こっちでも声かけるから」
私は小さく頷き、ありがとうと手を振って応えた。
今回だけは右手は胸に当て、左手を差し出して片手でハイタッチしてもらうようにする。
いつものハイタッチとは少し違うが、ブレイブのポーズとして見えないこともない。
(……大丈夫。絶対に最後まで、届けるから)
まもなく列の案内が始まり、開いたドアから子供たちが足早に駆けて来る。
「ブレイブー!」
最初に駆け寄ってきた小さな女の子へ、しゃがんで視線を合わせながら左手を差し出す。
女の子は満面の笑顔で左手に触れた。
ぽふんっと軽い感触。
私は右手を胸に添えたまま、左手で手を振って見送っていく。
女の子は何も気にした様子もなく、嬉しそうに笑ってくれた。
続く女の子も、男の子も。時々混ざる大人のファンも、みんなが笑顔でハイタッチを交わして帰っていく。
右手を使わないことに、気付いている人もいたかもしれない。
それでも誰も不満そうな顔はしなかった。
「ブレイブ、ありがとー!」
「また来年! 遊びに来るねー!」
その声が届くたびに、胸の奥が少しずつ温かくなっていく。
(ありがとう。また会おうね)
ファンサも交えながら、ホープのぬいぐるみを抱えた少女を見送った後、次の人へと視線を向けると視界には足が映った。
(……次は大人の人か)
立ち上がって次に並んでいた人へと視線を合わせると――
「ブレイブ」
聞き慣れた声が鼓膜を震わせる。
そこには優しい笑みを浮かべる陽向君の姿があった。
いつもの赤いブレイブのTシャツ。
肩にかけられたブレイブのタオル。
少しだけ息を弾ませた、真っ直ぐな瞳。
昼の時と同じように、彼は私の前に立つ。
でも、今回はいつものように勢いよく言葉を重ねることはなかった。
「年内最後のステージ、本当に最高だったよ」
その声は、少しだけ静かだった。
私は頷きながらそっと左手を差し出す。
陽向君は、一瞬だけ私の胸の前に添えられた右手を見た――気がした。
それでも何も言わず、何も聞かないまま、ただ私が差し出した左手に、自分の手をそっと合わせてくれた。
ぽふん。
グローブ越しに伝わる、優しい感触。
ただ触れて、すぐに離れるハイタッチ。
「ありがとう、ブレイブ」
その一言に、私は右手で軽く胸を叩くようにして、大きく頷いた。
(応援、ありがとう……!)
そう伝えるように。
陽向君は一瞬だけ目を細めて、それからいつものように笑った。
「また、会いに来るね! 良いお年を!」
スタッフさんに促され、彼が列の先へ進んでいく。
私はそれを追いかけそうになる視線を、ぐっと堪えた。
だめ。まだ終わっていない。
最後の一人まで、私はブレイブでいるんだから。
列は、少しずつ短くなっていく。
ひとり。
また、ひとり。
左手だけで返すハイタッチにも、もう迷いはなかった。
そして、最後の小さな男の子が「ばいばい!」と手を振って通路の向こうへ消え、スタッフさんが静かに扉を閉めた。
ハイタッチ会が……終わった。
「……っ」
その瞬間、身体から力が抜けそうになった。
……終わったんだ。
年内最後のステージが。
年内最後のハイタッチ会が。
右手首は、まだ熱い。
胸の奥も、まだ苦しい。
それでも……私は最後までブレイブでいられた。
みんなに助けられた。
……あぁ。幸せだなぁ。




