53話
「ッ……!? 星野さんっ!?」
陽向君の声を背に受けながら、気付けば私は走り出していた。
おしゃれするために履いてきた少しヒールのある靴。それでもブレイブのガワを纏っている時のブーツに比べれば十分に動きやすい。
数メートル程度の距離をあっという間に詰め、母子と男の間に滑り込むようにして、身体を割り込ませた。
「うおっ、なんだお前」
男が濁った目で訝しげにこちらを睨む。
それでも、私は一歩も引かなかった。
二人を庇うように右腕を広げ、左腕は隙のないように胸の前で構えておく。
「——大丈夫。もう、大丈夫だからね」
背中越しにそう声をかける。
「……っ、ぅ……」
「怖かったね。でも、もう平気だよ。……お母さんは、娘さんをしっかり守ってあげてください」
できるだけ、優しく。
できるだけ、安心させるように。
「あぁ? なんだお前、関係ねえだろ!」
男が大声を出しながら一歩詰め寄ってくる。
声と共に吐き出される息に、強い酒の匂いがむわりと鼻をついた。
それでも私は一歩も退かなかった。
「関係あります」
私は、はっきりとそう答えた。
「困っている人がいたら、放っておけません!」
……その言葉が自分の口から出た瞬間。私はふと我に返った。
(……これ。……ブレイブの台詞だった)
何度も何度も。舞台の上で誰にも聞こえないように、スピーカーから聞こえて来るブレイブの声に合わせて、小声で呟いていた台詞。
目の前にいるのはアクターの怪人でもない、ただの酔っ払いのおじさんなのに。
今の私はステラ・ブレイブではないのに。
それでも――身体は、もう動き方を知っていた。
相手との距離。重心の位置。腕の角度。
何度も稽古で叩き込まれたものが、頭で考えるより先に、私の身体を動かしていく。
「これ以上近付かないでください。警察を呼びますよ!」
「あぁ!? こっちは被害者なんだぞ?? 調子乗ってんじゃねえぞ!」
男が酒の缶を地面に叩きつけ、乱暴に手を伸ばしてくる。
その瞬間、私は半歩だけ身体をずらした。
掴まれるより早く、相手の手首の外側へ回り込む。
演技のために習っていた、合気道をはじめとした武術の動きが、自然と身体を動かしてくれる。
触れるか触れないかくらいの一手で、男の勢いを見当違いな方へと逃がし、その背を押して距離を取った。
「っ、なんだよ……!」
男がたたらを踏む。
私はその隙に、母親へ小さく声をかけた。
「今のうちに、少し後ろへ!」
「は、はい……!」
母親が女の子を抱きしめたまま、一歩、二歩と下がる。
女の子は泣きそうな顔で、私を見上げていた。
その手には、まだブレイブのぬいぐるみキーホルダーが握られている。
「……ブレイブ?」
女の子の震える小さな声が耳に届く。
違う。
私は今、ブレイブじゃない。ただの星野理子だ。
そう思ったのに、ただ……背後の女の子を安心させたくて。辛い顔をさせたくなくて。
私は舞台の上でブレイブとして何度も子供達に返してきた決めポーズを取って、笑顔を見せる。
「大丈夫だよ。私が……守ってみせる!」
「っ……!」
女の子が目を大きく開き、はっとしたように私の顔を見上げた。
今の言葉も、ブレイブが誰かを助ける時によく言うセリフだったから。
同時に、バタバタと背後から駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「星野さん!」
視線を僅かに向けると、走ってきていたのは、やっぱり陽向君だった。
彼はスマホを片手に、私の隣に立って足を止める。
「警察呼んだよ! あと近くの店員さんにも声かけたから!」
「ありがとう、陽向君」
気付けば、私達の周囲を野次馬が取り囲んでいた。
スマホのカメラを向ける人。半笑いを浮かべながら見物を決め込む人。眉を顰めて不安気に見つめる人。
それでも誰も止めには入ろうとしてくれなかった。
(……やるしかない……か)
静かに構えを続行する私を庇うように、陽向君が一歩前へ進み出た。
「星野さんは下がって、ここは俺が」
「で、でも……!」
「星野さんに無茶させる訳にはいかないよ!!」
陽向君の珍しい大声に、思わず構えを解こうとした時だった。
「ブレイブ……!」
女の子の小さな声が、背中越しに聞こえた。
「ブレイブ! がんばれー!!」
「っ……!」
その声に鼓動が早くなり、胸が熱くなっていく。
アドレナリンが大量に分泌されているのか、なんだか身体の奥から力が湧いてくる。
何度も舞台の上で聞いてきた声だから。
何度も私を前へ押し出してくれた声だから。
私も一歩前へ出て、もう一度しっかりとブレイブの戦闘ポーズを取った。
「ううん、大丈夫。私……強いから!」
「……え!?」
「うるっせえんだよ! どけやガキ!」
「ぐっ!?」
男が酔いで濁った目を血走らせ、今度こそ本気で飛びかかってきた。
咄嗟に止めようと男へとかかっていった陽向君を突き飛ばし、まっすぐに私へと襲い掛かってくる。
……大きい。
当然だ。相手は大人の男性。私よりずっと背も高く体重もある。
でも——。
(……見える)
酔っているせいか、動きが単調だ。
振り上げた腕の軌道も、踏み込む足の位置も……全部読める。
私は身体を沈めて、その突進を紙一重でかわした。
伸びてきた腕を、手のひらで下から軽く支える。力で受け止めるんじゃない。相手の勢いに、少しだけ方向を与えてやるだけ。
「うおっ……!?」
男の身体が大きく泳いだ。
(……よし!このまま崩せば!)
そう思って手首を返そうとし――
「っ……!」
ぐん、と。思った以上の力で、腕を引き戻されてしまった。
(……重い!)
酔っていても、相手は男性だ。それに理性のない力任せの抵抗。
舞台や組手の相手役とは違う。息を合わせてくれる相手じゃない。
――技が、きれいに決まらない。
「このアマぁ……!!」
男が腕を振り回すようにして無茶苦茶に拳を降らせてくるも、素早く身を引いてやり過ごした――その瞬間だった。
「——っ、そこまでだ!!」
突き飛ばされていた陽向君が、背後から男の身体に組み付いた。
「なっ……!」
ブンブンと振り回される両腕を、後ろから抱え込むようにして羽交い締めにする。
「星野さん、下がって!!」
「陽向君っ!!」
「いいから!!」
「離せっ、この……!!」
男が激しく身をよじって暴れ、陽向君の身体が大きく揺さぶられ、振り回される。
「っ、く……!」
だめ……押さえきれない!
彼は決して細身じゃないけれど、相手は自棄になった大人の男だ。
「陽向君……!」
思わず私が駆け寄ろうとした、その時。
「——おい! なにやってんだ!!」
陽向君でも、酔った男でもない。別の男性の声が通りに響いた。
振り返るとスーツ姿の男性が、野次馬の輪の中からこちらへ走ってくるのが見えた。
「大丈夫か!?」
「手伝います!!」
続いて、若い男性が二人。
さらに近くの店から飛び出してきたらしい店員と、続々と人が集まっていく。
「くそっ、暴れんなって!」
「地面に押し倒せ! 酔っ払いだから無茶苦茶に動きやがる!」
あっという間に数人の男性が男を取り囲み、それだけの人数に押さえ込まれては、男も抵抗しきれない。
「離せ! 離せやこらぁ!!」
「じっとしてろって!」
地面に組み伏せられてもなお、男が口汚く喚き散らす。
だが、彼に出来る事はそれまでだった。
「警察、もう呼んであるって!」
「救急も念のため呼んでおくか?」
「お子さん、大丈夫ですか!?」
野次馬の中から口々に声が上がっていく。
……さっきまで、誰も足を止めなかったのに。
誰もが、視線を逸らして通り過ぎていたのに。
(……そっか)
ふと、思った。
きっと皆、どうしていいか分からなかっただけなんだ。
誰かが動けば。誰か一人が、最初の一歩を踏み出せば……勇気は広がっていくんだ。
多くの人々が、自分ではない誰かの為に動いてくれる。
……ステラの物語みたいに。
「……っ、はぁ……」
緊張の糸が切れて、私はその場に立ち尽くした。
今更になって、膝が少しずつ震え出していく。
……怖くなかったと言えば、嘘になる。
当たり前だ。
舞台の上とは違う。
台本もなければ、段取りもない。
相手役でもない、本気で殴りかかってくる人間。
……本当は、ずっと、怖かった。
(……ブレイブも、こうだったのかな)
ふと、そんなことを思った。
いつも堂々としていて、真っ先に飛び出していく彼女も……本当はこんな風に震えていたのかもしれない。
「……星野さん!」
声をかけられて、私は顔を上げた。
男から離れた陽向君が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「大丈夫!? 怪我とかしてない!?」
「……うん。大丈夫」
「ほんとに!? どこも痛くない!?」
彼は私の腕やら肩やらを、確かめるように何度も見回している。
……その必死さが、なんだかおかしく感じてきてしまって……私はついつい、吹き出してしまった。
「ふふ、本当に平気だよ。……陽向君こそ大丈夫?」
「俺は全然! ちょっと揉みくちゃにされただけだから」
そう言って彼は、少し乱れた髪や服を直しながら笑った。
(……よかった)
「あ、あの……!」
ホッとしたのもつかの間、背後から震える声が聞こえた。
振り返ると、男に絡まれていた母親が、女の子を抱きしめたまま、深々と頭を下げていた。
「本当に、ありがとうございました……!」
「い、いえ! そんな……!」
慌てて私も頭を下げ返した。
「私、どうしていいか分からなくて……。この子を守らなきゃって思うのに、身体が動かなくて……。本当に、助かりました……!」
「……無事で良かったです」
私はそう答えながら、少しだけ膝を折る。
私の事をじっと見つめたままの女の子と、目線を合わせるために。
「怖かったね。……もう大丈夫だよ」
女の子は母親の腕の中でまだ震えていたが、その手にはまだブレイブのぬいぐるみキーホルダーがしっかりと握りしめられていた。
「……お姉ちゃん」
「うん?」
「ホンモノの……ブレイブみたいだった! カッコ良かった……!」
「……。 ありがと! 君の応援で、私も勇気を出せたよ!」
これも、ブレイブの言葉。
今の姿はブレイブではなくても、今はこの子にとってのブレイブであればいい。
そう思って、しっかりと決めポーズも取ってみせた。
「うんっ!」
やっと、女の子が笑顔を見せてくれた。
ホッとして立ち上がった私を、陽向君がじっと見つめていた。
「……陽向君?」
「……今の」
「え?」
「今の星野さん、ほんとに……」
そこまで言って、彼は言葉を止めた。




