52話
あれから、どれくらい時間が経っただろうか。
陽向君の過去の話を終えた後、私達の会話は自然といつも通りのステラの話になっていた。
「でさ!! 十七話のあの話、覚えてる?」
「あ、あれだよね? ドリームが一人で敵に立ち向かう話」
「そうそう!! あれ神回すぎない!?」
「わかる。……みんなが駆けつけてくる場面、何回見ても泣きそうになるよね」
「だよね!! よかった、分かってくれる人がいて!!」
嬉しそうに身を乗り出す彼に、私も自然と笑ってしまう。
……さっきまでの、あの静かな空気が嘘みたいだった。
でも、それでよかったんだと思う。
彼はもう、私の前で何も隠さない。
こんな風に——思い切り、好きなものの話ができるのだから。
最初に頼んだアールグレイはあっという間に飲み干して、次は彼が飲んでいたバニラフレーバーのものを一杯貰って。
それも飲み終わったら、店員さんに勧められた別の茶葉を試して……もはや何杯目の紅茶なのか分からなくなりつつあった。
「あ、これも美味しい」
「ほんと? どれどれ……うわ、ほんとだ! 全然違う!」
「香りが……なんかこう、もっと甘い感じ」
「そうそう! これも当たりだね!」
二人で紅茶の飲み比べに夢中になってしまう。
こんな贅沢な時間、いつぶりだろう。
……いや、初めてかもしれない。
誰かと、ただ好きなものについて話して。
時間を気にせず笑い合う穏やかな時間。
……それに、その相手が……陽向君なんて。
「そうだ! 星野さんに聞きたかったんだけど」
「なっ! なな、なにかな?」
「歴代ステラのキャラで、一番好きなのって誰?」
「……えっ」
それはもちろんブレイブだ。
でも——それを言うのは、なんだか少しだけ照れくさい。
自分が演じているキャラクターを「一番好き」と言うのは。
いやでも……本当に好きだから、隠す事もない……か。
「……ブレイブ、かな」
その名を聞いて、彼がぱあっと顔を輝かせる。
「一緒じゃん!! やった! 同担~!」
「ふふ、そんなに喜ぶこと?」
「喜ぶよ! だって、推しが同じって最高じゃん?」
……そう言われると、嬉しいような、くすぐったいような。
「星野さんは、ブレイブのどこが好き?」
「……えっと」
私は少し考えてから、こう答えた。
「何でも一番に切り込んでいく勇気があるのに、本当はちゃんと怖がっているところかな」
「……へぇ」
「ブレイブって、いつも堂々としてるけど。でも本当は怖いんだと思う」
カップを両手で包みながら、私は続ける。
「敵と戦うのだって怖いはずだし。誰かを守るのだって、失敗したらどうしようって思うはずだし」
「……うん」
「でも、それでも前に出る強い子。……そこが好きかな。憧れもあるけどね」
私がそう答えると、陽向君は真剣な眼差しで、しばらくじっと私を見つめていた。
「な……なに?」
「いや……」
彼は少し目を伏せて、それからふっと笑った。
「星野さんの見方、なんかいいなって」
「……そうかな」
「うん。……ブレイブのこと、ちゃんと見てるんだなって」
(……見てるよ。誰よりも近くで)
……そんなこと言えるはずもないけれど……ね。
窓の外を見ると、空はもうすっかり暗くなっていた。
街灯とネオン。行き交う車のヘッドライトの明かりが夜の新宿を眩しく照らしている。
「……あ。もうこんな時間」
思わずそう呟いてしまった。
時計を見ると、既に五時を回っている。
……あれから二時間以上もここにいたらしい。
「うわ、ほんとだ!? やば、話しすぎた……!」
「ふふ、楽しかったからね」
「……うん、ほんとに楽しかった。ありがとう、星野さん」
「こちらこそ。陽向君」
陽向君は少し名残惜しそうに空になったカップを見つめていたが、椅子に掛けていた上着へとゆっくりと手を伸ばした。
「……そろそろ、出よっか」
「……うん」
私も荷物置きから鞄を拾い上げ、上着を手に取り、陽向君の後に続いて階段を降りて行った。
* * *
店を出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。
「うわ、寒っ……!」
思わずといった様子で、陽向君がマフラーに首をうずめる。
(寒がりなワンコ……)
思わず笑ってしまいそうになるのを、手の甲に爪を立てて無理やり堪え、何でもないように返事をした。
「ほんとだね。……お店の中、あったかかったから」
そう言って私もコートの襟を少しだけ立てた。
すぐ目の前に見える靖国通りには、足早に行き交う人々の姿。
年末の新宿は、夜になっても賑やかさが衰えることを知らないらしい。
「じゃあ、駅まで戻ろっか」
「うん……!」
二人並んで歩き出すも、少し歩いたところで、陽向君がふと足を止めた。
「……ねえ、こっち通らない?」
「え?」
彼が指差したのは、大通りから一本外れた道。
脇道でも人は多いが……それでも大通りに比べればまだ落ち着いている。
「多分、こっちからでも駅に出られると思うんだ。……なんか、あっちは人多すぎて」
「……そうだね。ちょっと疲れちゃったかも」
正直、あの人混みをまた歩くのは少し億劫だった。
私が頷くと、彼は嬉しそうに笑って、そちらへと歩き出した。
* * *
二人で歩く脇道は、大通りに比べれば人通りも少なく、賑やかさもない。
すれ違う人も、私達を追い抜いていく人も、スマホの画面を見つめながら忙しなく早歩きで通り過ぎていく。
その中で、私達だけはゆっくりと周りを眺めながら、取り留めもない話をしながら歩いていた。
話すたびに、白い息が街灯の明かりの中で、ふわりと浮かんでは消えていく。
……不思議だった。
今日はこんなにたくさん話していたのに、まだ話す内容はなくならない。
時々話が途切れて沈黙が流れても、居心地の悪さは感じなかった。
ふぅ……と吐いた白い息が消えて行くのを見送りながら、今日一日を思い返してみる。
新宿の駅で、彼が私を見つけてくれたこと。
背伸びして入った、老舗のカリー。
デパートを冷やかして歩いた時間。
二人で必死に頭を捻った脱出ゲーム。
そして……紅茶の店で聞かせてくれた、陽向君の話。
(……全部、大事な時間だったな)
思い出すだけで、胸がぽかぽか温かくなる。
胸だけじゃない。顔も……熱い。
冬の冷たい空気が今は心地良い……。
……もっと、こういう時間が欲しい。
彼と、こんな風に過ごせる時間が。
そんな風に思ってしまうくらい。私はもう、この人のことが——。
「……星野さん」
「っ、な、なに??」
急に名前を呼ばれて、私は思わず声が裏返ってしまった。
「あはは、なんで驚くの」
「べ、別に……! ちょっとぼんやりしてて」
……危ない。
考えていたことが、顔に出ていないだろうか。……陽向君に見られてないだろうか?
そう思い、恐る恐る視線だけ動かして彼の顔を伺うも、彼の目は少し空を見上げていた。
ほっとして息を吐いた時――陽向君が、ふいに少しだけ歩調を緩めた。
「星野さん。今日、本当に楽しかった」
「……うん。私も」
「なんか……今日一日で、星野さんのこと、もっと知れた気がする」
その言葉に、胸がトクンッと高鳴るのを感じた。
(……私は)
彼のことを、たくさん知った。
でも彼が知った「私」は――まだ、半分だけ。
「……あのさ、また」
彼が言いかけた――その時だった。
「——きゃっ!」
小さな悲鳴が聞こえ、何だろうと二人同時にそちらを振り返る。
私達の進行方向の少し先の道端で、小学校低学年くらいの女の子が、地面に尻もちをついていた。
その手から離れたであろう小さなリュックサックが道に転がっている。
そして——リュックにつけられた、ブレイブのぬいぐるみキーホルダーが目に入った。
「……あぁ?」
女の子の前に立っていたのは、安い缶チューハイを手にしていた中年の男性だった。
少し足元がふらついていて、顔が赤い。
……酔っているんだ。
「ご、ごめんなさい……! すみません……!」
慌てて駆け寄ったのは、女の子の母親らしき女性だった。
買い物袋を提げたまま、必死に頭を下げている。
「すみません、うちの子が……」
「はぁ? おいおいねぇちゃんよ、ぶつかっといて、それだけかぁ!?」
男がじろりと母親を睨みつける。
「こっちは酒もこぼれて、服が汚れたんだけど? どうしてくれんの、これ」
「……っ、す、すみません……」
母親は、女の子を庇うように抱き寄せながら、ただ頭を下げ続けていた。
でも——男は、それで引き下がる様子がない。
「謝れば済むと思ってんのか? おい!」
大声で親子を威圧しながらずんずんと詰め寄っていく。
母親が、びくりと肩を震わせた。
「ひっ……」
女の子が母親の腕の中で小さく悲鳴を上げ、身体を母へと寄せる。
周囲を見回しても、酔った男を止めようとする人はほとんどいない。
関わりたくないのか、視線を逸らして足早に通り過ぎていくか、もしくは面白そうにスマホのカメラを向ける人しかいない。
母親は女の子を抱きしめたまま、動けずにいた。
反撃してこない様子に調子付いたのか、男は更に威圧するように大声で喚き散らし、唾と手にしている缶から酒を撒き散らしていく。
「……あれ、良くないよね。俺、警察呼ぶよ。不味かったら止めに入るから、星野さんは少し離れて——」
陽向君がスマホを取り出している時、私の目は――震える女の子が、リュックに下げていたブレイブのぬいぐるみキーホルダーを握り締めているのを捉えていた。
「助けて……ブレイブ……!」
「っ――!」
私の身体は——考えるより先に動いていた。




