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彼の推しの中の人が私だなんて言えるわけがない!  作者: 濃厚圧縮珈琲


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47話

 そして迎えた十二月二十八日。


「……全然眠れなかった」

 

 ベッドの上で、私はぽつりと呟いた。


 スマホの時計は、まだ六時半。

 待ち合わせは十一時半だから、まだ全然余裕はある。

 だけど二度寝する気にはなれなかった。


 ……もし万が一、寝過ごしてしまったら? と、恐ろしい事態を想像するだけで、眠気はどこかへ逃げ去ってしまっていた。


 

 昨晩、いつも通り目を閉じても一向に眠気がやってこないまま、何度も寝返りを繰り返した。

 ちょっぴりうとうとしたかと思えば、ハッと目が覚めて。

 時計を確認する度に、深夜二時、三時、四時半と、時間だけが進んでいった。

 

 ようやく眠れたのは、明け方近くだった気がする。



(……遠足前の小学生か、私は)



 自分で自分に呆れながら、ゆっくりと身体を起こす。

 不思議と身体は重くなかった。


 むしろ——妙に、頭が冴えている。

 深夜テンションがそのまま持続している状態、とでも言えばいいのだろうか。


 冷たい水で顔を洗って完全に目を覚ました後、朝食を取ろうと冷蔵庫を開ける。


 (やっぱり……緊張、してるのかな)


 全然お腹は空いていなかったけど、ヨーグルトとバナナだけを無理やり胃へと押し込む。

 ちゃんと食べておかないと、絶対に途中でバテる。そう自分に言い聞かせて、やっとだった。


 それから、クローゼットの前で、私はしばらく固まっていた。


「……何を着ればいいの」


 この前のデートの時も悩んだけれど、今回はそれ以上だ。

 だって今回は……。ちゃんと『デート』だって、お互いに確認したのだから。


(……いや、落ち着け。落ち着け私!)


 深呼吸をして、一枚ずつ服を手に取って鏡の前で合わせていく。


 まず、この前着ていった服は除外。

 同じ格好で行くのは嫌だった。


 かといって、あまり派手なのは私らしくない。


 ……そもそも、そんなに服を持っていない。

 冬服のバリエーションなんて、たかが知れている。


「……これは、地味すぎ」


「これは……ちょっと、気合い入れすぎ?」


「うーん……違う」


 着ては脱ぎ、脱いでは着て。

 気付けばベッドの上には服の山ができていた。


(……もう、何やってるんだろう)


 鏡の前で、はぁ……と大きく息を吐く。


(……舞台の衣装なら、迷わないのに)


 決められたものを、完璧に着こなすだけだから。


 でも、自分で選ぶとなると——途端に分からなくなる。

 今までやってこなかった事へのツケが一気にきた気分だった。 


 悩みに悩んで、最終的に白いニットに、少し明るめのロングスカート。その上にはいつものコートを合わせる事にした。


「……うん。これなら変じゃないはず」


 派手すぎず、地味すぎず。

 ……多分。


 次に取り掛かるのはメイク。

 いつもの最低限のナチュラルメイクじゃなくて、しっかり丁寧に。


 奈央たちに教えてもらったやり方を必死に思い出しながら、鏡に映る自分の顔をじっと睨みつけるようにみつめた。


 下地を塗って、ファンデーションを馴染ませて。

 眉を描いて、アイシャドウを薄く乗せて。


「……っ、失敗した」


 途中手が少し震えてしまい、アイラインが少しよれてしまったのを慌てて綿棒で直す。


 本番前のメイクなら、こんなに失敗しないのに。

 あの時は、誰かに施してもらうか、慣れた手順でやるだけだから。


 でも今は……この顔を見せる相手のことを考えると、どうしても、手元が狂ってしまう。


 最後に、リップ。

 いつもより少しだけ明るい色を選んでみる。


「……こんな感じ、かな」


 鏡の中の自分を見つめて、私は小さく息を吐いた。


 悪くない、と思う。

 ……多分。


 髪もいつものように結ばず、そのまま下ろした。

 この前、陽向君が「髪、下ろしてるの新鮮だね」と言ってくれたのを、なんとなく思い出していたから。


(……べ、別に! それを気にしたわけじゃないけどね!)


 支度が終わって時計を見るも、まだ九時過ぎだった。


 ……いくら何でも早すぎる。

 待ち合わせまで、まだ二時間近くある。


(……どうしよう)


 落ち着かなくて、部屋の中をうろうろしてしまう。


 テレビをつけてみるけれど、内容が全然頭に入ってこない。

 スマホをいじっては消してを繰り返す。


 ……ソワソワが、止まらない。



 結局、私はもう一度鏡の前に立った。

 服装のチェック。

 髪の毛の乱れ。

 メイクの崩れ。


 ……大丈夫。どこもおかしくはない。


 それなのに、五分後には、また同じことを確認していた。


(……はぁ。私……こんなに落ち着きのない人間だったっけ)


 舞台の上では、あんなに堂々としていられるのに。

 どうして、ただの自分になった途端、こんなにも自信がなくなるんだろう。


 ふと、あの日の言葉が蘇る。


『……私じゃ、高坂君と釣り合ってないって。でも……夢ぐらいみてもいいじゃん』


 ……そう。

 夢くらい、見てもいいはずだ。

 だって今日は、ちゃんとしたデートなんだから。

 ……彼が、そう言ってくれたんだから。



*   *   *



 十時前。


 私はもう我慢できずに荷物をまとめ始めた。

 財布、スマホ、ハンカチ、ティッシュ。

 リップに、小さな手鏡。


 ……あと、念のため、絆創膏。


(……いや、なんで絆創膏)


 自分でもよく分からないまま、鞄に詰め込む。

 最後に、玄関の鏡でもう一度、全身を確認した。


 変なところはないか。

 髪は乱れていないか。

 コートのボタンは、ちゃんと留まっているか。


(……大丈夫、だよね)


 深呼吸を、一つ。


 ……なんだか、公演の本番前より緊張している気がする。

 いや、本当に。

 数千人の前でブレイブを演じる時だって、こんなに落ち着かなくはなかった。


 ……不思議だ。

 たった一人の前に立つことが、こんなにも、心をざわつかせるなんて。


 私は、鏡の中の自分に向かって、小さく頷いた。


「……よし」


 パンッと両頬を軽く叩く。

 いつもと同じ気合いの入れ方だ。


「……いってきます」


 誰もいない部屋に、いつもの一言を残して扉を開けた。


 冬の朝の冷たい空気が、ふわりと頬を撫でる。

 空は雲一つない、綺麗な冬晴れだった。


 最寄り駅までの道を、白い息を吐きながら歩く。

 いつもより、少しだけ早い足取り。


(……いや、待ち合わせまでまだ一時間以上あるんだから、急ぐ必要なんてないのに)


 落ち着け……と何度も自分に言い聞かせながら、改札を通る。


 ホームで電車を待っている間も、何度もスマホを確認してしまう。

 時刻を見て、まだ早いことを確認して。

 陽向君とのトーク画面を開いて読み直して、また閉じて。


 ……本当に、何をやっているんだろう。


 電車に揺られながら、窓の外を眺める。

 年末の車内は、いつもより空いていた。

 帰省ラッシュはもう少し後だからか、それとも仕事納めを終えた人が多いからか。

 流れていく街の景色を見ながら、私はぼんやりと考えていた。


 ……今日、どんな話をするんだろう。

 前回みたいに、他愛のない話で笑い合えたらいい。

 でも——今回は『デート』だ。

 お互いにそう確認した上での、今日。


(……意識、しちゃうよね)


 考えるだけで、頬が熱くなる。

 慌てて、マフラーに顔を埋めた。


 ……それに、私の中にはもう一つ、消えない疑問があった。


 どうして、陽向君は私を誘ってくれたのか。

 ……ステラの話ができるから?

 同じ趣味を持っている、数少ない相手だから?


 ……きっと、最初はそうだったはずだ。


 彼が私に声をかけてきたのは、私が秘密を知ってしまったから。

 そして、ステラの話ができる相手だったから。


(……今も、そうなのかな)


 ――ズキリ。


 彼が私に向けてくれる笑顔も、優しさも。

 もしかしたら、全部——ステラ仲間としてのものなのかもしれない。


 ……そう考えると、急に足元が心細くなった。


(……ううん。今日は、そういうこと考えるのやめよう)


 首を振って、私は窓の外に視線を戻した。

 せっかくのデートなのだから、楽しまないと……損だから。



*   *   *



 新宿駅に着いたのは、十時二十分過ぎだった。


 ……早すぎる。

 待ち合わせは十一時半だし、まだ一時間近くある。


(……どうしよう)


 人の波に流されながら、私はとりあえず改札を出た。

 年末の新宿は、想像以上の人出だった。


 買い物袋を提げた人、大きなスーツケースを引く人、待ち合わせらしくスマホを見ている人。

 ……こんな中で、本当に見つけてもらえるんだろうか。


『ちょっと人多いかもだけど、絶対星野さんの事見つけるから!』


 昨日の彼からのメッセージを思い出す。


(……見つけられるのかな、本当に)


 私はコンコースの隅に立って、スマホを取り出した。


 時刻は十時三十分。

 ……待つには、長すぎる時間だ。


 今から他の場所に行ったところで、全然落ち着かない気がする。

 そう思って、結局私はその場でぼんやりと人の流れを眺めていた。



*   *   *



「ねぇねぇお姉さん可愛いね。いい仕事あるんだけど、やってみない? 軽くお酒飲んで話すだけでいいんだけど」


「結構です」


 何度目かのナンパ? キャッチ? を振り切って、改札口から吐き出されてくる人の波をぼんやりと眺めていた。


 手持ち無沙汰で、何度目かのスマホチェックをしていた時、ぶるっと手の中で振動が走る。


『星野さんって、どの改札から出る予定かな?』


(……え、早い)


 右上の時計を見ても、まだ待ち合わせまで三十分近くある。

 私も相当早く来たけれど——彼も、同じくらい早く来てくれていたのかな?


 そう思うと、自然と口元が緩んでしまう。


『東改札側です』


 続けて待ち合わせ場所の目印を伝えようとして、指が止まる。


 ……ふと、いたずら心が湧いた。


『かなり人多いですけど、ちゃんと見つけてくれますか?』


 送信してから、自分でも驚いた。

 ……こんなこと、前の私なら絶対に言わなかったのに。


『任せて! 絶対見つけるから!!』


 その返信に、思わず笑ってしまう。

 ……本当に、素直な人。


 私はスマホをしまって、その場に立ったまま、彼を待つことにした。

 

 長い大きな電光掲示板の近くの壁に寄りかかって、改札口をじっと見つめる。

 若いカップルから外国人観光客。小学生くらいの子供のグループに同年代くらいの女の子グループ。

 でも一番多いのはスーツ姿のサラリーマンだった。


「ごめん、お待たせ!!」


「っ……!」


 声に思わず顔を上げると、陽向君ではない若い男の子が、私の隣の女の子へ声をかけただけだった。

 

(なんだ……)


 そのまま二人へ視線を向けていると、彼は女の子を軽く抱き締めて、手を繋いで歩いていく。


 ……昔は、誰が誰と付き合っていようが、どんなにイチャイチャしていようがどうでも良かった。

 私の恋人は、お芝居だったから。今更誰かの事を考えるよりも、自分の動きを磨く時間にしたい。


 ずっと、そう思ってたのに。


 思わず手にしている鞄の取っ手をぎゅうっと握り締めてしまう。


 彼の……陽向君の事を考えている時間が、楽しい。それに……苦しいし、辛いし、落ち込む事もある。


 ……それでも、心がふわふわして、幸せな気分になれる。



(……知らなきゃ良かったなぁ。こんな気持ち)


「はぁ……」


 視線を足元に落とし、マフラーに口元を埋める。


 ……また誰かが隣に立った。

 この数十分で何度も誰かが隣に立っては去っていく。


 ただ、今来た人は……妙に距離が近い。 

 またナンパかもしれないと、一歩距離を離した。


「っ……」


 また一歩、距離を詰められた。

 そっと顔を上げ、視線を向けると――。


「こんにちは、星野さん! やっと気付いてくれた!」


 陽向君だった。


「……ほんとに、見つけてくれたんだ」


「はは、言ったじゃん! 絶対見つけるって」


 得意げに胸を張る彼に、私は思わず笑ってしまう。


「すごいね。どうやって?」


「んー……なんとなく? こっちにいるかもなぁ~って。そうしたらばっちり!」


「なにそれ」


「いや、ほんとに! なんか、星野さんだけ浮き上がって見えたっていうか……」


 そこまで言って、彼は急に、はっとしたように口を閉じた。

 そして——耳が、みるみる赤くなっていく。


「……あ、いや! 今のなし! ごめん、変なこと言った!」


「……ふふ」


 その慌てぶりがなんだかおかしくって、胸がじんわりと温かくなった。


(……浮き上がって見えた……か)


 こんな人混みの中で。

 彼の目には、私だけがそんな風に映っていたということ。


 ……それって。


(……いや、深く考えるのはやめよう)


 慌ててその思考を打ち消す。

 期待して、勘違いして、後で落ち込むのは——もう嫌だから。


「じゃあ、行こっか!」


「うん!」


 彼が歩き出す。

 その隣に並びながら、私はそっと鞄の持ち手を握りしめた。

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