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彼の推しの中の人が私だなんて言えるわけがない!  作者: 濃厚圧縮珈琲


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46話

 十二月二十七日。


 三日間の公演も、いよいよ最終日。その三回目——つまり、最後の公演。


「……よし」


 楽屋で、私は最後のストレッチを終えて立ち上がった。


 正直、身体はもう限界に近い。

 太ももも、ふくらはぎも、肩も、腕も。全部が重たく張っている。


 でも、それを客席に悟らせるわけにはいかない。

 だって、この回に来てくれた子にとっては——今日が、たった一度の「ブレイブに会える日」なのだから。


「星野さん、最後だからって気ぃ抜かないでよ」


「もちろんです、横井さん」


「ふふ、そう言うと思った。……ま、私も同じだけど」


 横井さんが、いつも通りのクールな笑みを浮かべる。


「よーし! ラスト一本、いきましょー!」


 檜山さんが、拳を突き上げた。


「「おー!」」


 三人で声を合わせて、私たちは舞台へと向かった。


 最後の公演は、あっという間だった。


 いや——正確には、いつも通りの時間が流れていたはずだ。


 でも、集中していると、時間の感覚なんてなくなってしまう。


 名乗りを上げて、戦って、変身して、必殺技を放って。

 子供たちと踊って、手を振って。

 その全部を、私は最後まで、全力で走り抜けた。


『それじゃあみんな! また会おうねー!』


「またねー!!」


「ありがとステラぁー!!」


 降りていく緞帳。


 最後の一瞬まで、私は手を振り続けた。


 そして、お見送りのハイタッチ会。


 三日間で最後となる、この時間。


「ぶれいぶ、ありがとー!」


(こちらこそ、来てくれてありがとう!)


「らいねんも、あいたい!」


(うん! きっと、また会おうね!)


 小さな手と、何度もハイタッチを交わす。


 この子たちにとって、今日という日が、少しでも特別な思い出になっていますように。


 そう願いながら、一人ひとりを見送っていく。

 長い長い列の中に、やっぱり……彼がいた。


「……三日間、本当にお疲れ様でした!」


 陽向君が、そう言って手を差し出す。


(……ありがとう)


 ぽふん、と両手を合わせる。


 三日間で、何度目のハイタッチだろう。

 彼はきっと、行ける公演には全部来ていたはずだ。


 ……本当に、筋金入りだ。


「ブレイブ、また会えるの、楽しみにしてます!」


 その言葉に私は大きく頷いて、彼の持つぬいぐるみとバッグを指差し、両手でハートマークを送った。


「ッ……!!」


 陽向君の顔がみるみる歓喜に染まり、最高の笑顔を見せてくれた。


(大丈夫……。また、会えるよ)


 手を振って彼を見送り、次のお客さんとのハイタッチを続けていく。



*   *   * 



「最高でした!! ありがとうございました!!」


 最後のお客さんを見送って、通路の扉が閉まる。


「——お疲れ様でしたーっ!!」


 スタッフさんたちの、労いの声が響いた。


「お疲れ様でしたーっ!!」


 私たちも、全力で頭を下げて応えていく。

 早々に控室に戻って、マスクを外した瞬間。


「——終わったぁーーーっ!!!」


 声を上げたのは、檜山さんだった。


「終わった!! 三日間、全部終わったーっ!!」


「お疲れ様。……ほんと、よく持ったね、私たちの身体」


 横井さんが、椅子に崩れ落ちるように座り込む。


「……終わりましたね」


 私も、思わず床にへたり込んでしまった。


 全身が、重い。汗でびしょ濡れのインナーが、肌に張り付いている。


「……やり切りましたね、私たち」


「うん。九公演、事故もなく。……上出来だよ」


 横井さんの言葉に、私は深く頷いた。


 三日間、九回のステージ。

 その全部で、私はブレイブでいられた。


 ……疲労の向こう側に、確かな充実感がある。

 この感覚があるから、私はこの仕事を続けているんだと思う。



 着替えを済ませて、劇場を出る頃には、外はすっかり夜になっていた。


「星野さん、次は三十日だっけ?」


「はい。それまで別作品の方の現場が」


「あー、ハントレンジャーの方もあるんだっけ。頑張ってねー」


「檜山さんたちは?」


「私は明日から二日間は別のイベント。横井さんは……」


「私は二十九日と、ステラの三十日。三十一日は別のバイトで年越しまで働くよ」


「うわぁ……お疲れ様です……」


 三人で顔を見合わせて苦笑する。


 完全に休めるのは、大晦日から三が日ぐらいまでだろう。


「じゃ、また三十日に!」


「はい、またよろしくお願いします!」



 挨拶を交わして、それぞれ帰路につく。

 冬の夜風が、火照った身体に心地よかった。



*   *   *



 電車に揺られながら、私はスマホを開いた。


 案の定、陽向君からのメッセージが山のように溜まっている。


『三日間、全公演行きました!! 悔いなし!!』


『今日のブレイブも最高だった……!!』


『変身シーン、何回見ても鳥肌立つんだけど!!』


『あの一瞬でどうなってるの!? 魔法!? 三十日もめっちゃ楽しみ!!』


(……魔法だよ)


 思わず、くすりと笑ってしまう。


 ……ちゃんと、届いてた。

 私たちが必死に守っている、あの一秒の魔法が。


『よかったね。三日間お疲れ様』


『星野さんこそ、お仕事お疲れ様!』


 ガッツポーズのわんこのスタンプが挟まる。


『……そうだ、明日の事なんだけど!』


 その一文に心臓がどくんと跳ねた。


(……そうだった)


 いや、忘れていたわけじゃない。

 むしろ——ずっと、頭の片隅にあった。


 公演中は、集中していたから考える余裕もなかったけれど。

 こうして仕事が一段落した途端、一気に押し寄せてくる。


(……明日、デート、なんだ)


 スマホを持つ手に、じわりと汗が滲む。


『新宿に11時半に待ち合わせで大丈夫? ちょっと人多いかもだけど、絶対星野さんの事見つけるから!』


『うん、大丈夫! 楽しみにしてます!』


 なんとか、そう打って送信した。


『俺も!! めちゃくちゃ楽しみ!!』


『じゃあ、明日……よろしくね!!』


『はい。よろしくお願いします』


 やり取りを終えて、スマホをポケットにしまう。



 ……せっかくしまったのに、もう一度スマホを取り出して、トーク画面を開いてしまう。

 そして、またしまう。


(……何やってるんだろう、私)


 窓の外を流れる街の明かりを見ながら、私は深く息を吐いた。



*   *   *



 家に帰って、シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込んだ身体は疲労のピークに近かった。

 明後日にも仕事が控えているのだから、本当はしっかり休むべきなのに。


 ……なのに。


「……何着ていこう」


 気付けば、のろのろと立ち上がってクローゼットの前に立っていた。


(……いや、待って。まず休まなきゃ)


 自分にそう言い聞かせて、もう一度ベッドに向かう。


 でも、横になっても——目が冴えている。

 明日のことばかりが、頭の中をぐるぐると回る。


 どこに行くんだろう。何を話そう。

 ……ちゃんと、笑えるかな。

 変な顔してないかな。


(……もう、寝なきゃ)


 目を閉じる。

 でも、しばらくすると、また目が開いてしまう。


 ……時計を見ると、まだ十一時前だった。


「……はぁ」


 こんなに疲れているのに、眠れない。

 ……不思議だ。

 身体はくたくたなのに、心だけが、勝手に浮き足立っている。


(……明日、か)


 布団を頭からかぶって、私はぎゅっと目を閉じた。

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