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彼の推しの中の人が私だなんて言えるわけがない!  作者: 濃厚圧縮珈琲


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44話

 乾杯を終え、料理が運ばれてくると、場は一気に賑やかになった。


 揚げ物の盛り合わせに、枝豆、だし巻き卵、サラダ。

 次々にテーブルへ並んでいく皿を前に、部員達の箸が容赦なく伸びていく。


「ちょっと待って! 唐揚げ消えるの早くない!?」


「舞台人は体力勝負だから」


「それっぽいこと言ってるけど、ただ食べたいだけでしょ!」


 くだらないやり取りに笑いながら、私も取り皿へ少しずつ料理を取る。


「理子、これ食べる?」


 凛が、私の皿にだし巻き卵を一切れ乗せてくれた。


「あ、ありがとう」


「さっきから揚げ物ばっかり見てたから」


「見てないよ」


「見てた」


「……ちょっとだけ」


 素直に認めると、凛は小さく笑った。


 いつもの凛だ。

 隣にいて、私のことをよく見ていて。

 何も言わなくても、さりげなく足りないものを差し出してくれる。


 そういうところに、何度助けられてきただろう。


「凛、今日はよく笑うね」


「そう?」


「うん」


「……楽しいから」


 凛はそう言って、ビールを一口飲んだ。


 その横顔はほんの少しだけ赤くて、いつもより柔らかい。

 それが店内の暖房のせいなのか、お酒のせいなのかは分からなかった。


「理子がいるし」


「……またそういうこと言う」


「事実だから」


 凛はさらりと言って、何でもない顔で箸を伸ばす。


 その言葉に少しだけ胸がくすぐったくなって、私は誤魔化すように烏龍茶を飲んだ。



*   *   *



 忘年会が始まってしばらく経つ頃には、テーブルの上に並んでいた料理は、すっかり無くなっていた。

 ツマミの枝豆や追加で頼んだ唐揚げは、もう数も残り少なくなっていて、空いたビールジョッキがテーブルの端にズラリと並んでいた。

 

 席に座る面々も、気付けば右隣に座る凛以外は乾杯の時と違う顔ぶれが並んでいる。

 私の対面は男子部員が並んでいたが、今は席の主は不在で、食べかけの焼き鳥と揚げナスが皿に寂しく残されていた。


 私の左側には――。


「ねぇ理子ちゃぁん~!! 理子ちゃんのベル私すっごい好きだったのぉ~!!! 見れてよかったって思ってるわけぇ~!!」


「み……美月先輩……! 近いです……!」


「いくら美月さんでも……理子は渡さないから……!」


「ちょ……凛……!? 腕引っ張らないで」

 

 左からは美月先輩に絡まれ、右からは凛にぐいぐいと腕を引かれ。

 私は完全に板挟みになっていた。


「えぇ~? 凛ちゃんずるいー! 私だってベルとお話したいのにぃ~!」


「今日はもう充分話したでしょ!」


「まだ足りないもーん!」


 完全に出来上がっている美月先輩は、頬を膨らませて子供のように言う。


 いつものクールで頼りになる先輩の姿は、どこにもなかった。


「理子ちゃんはずるいよぉ~。あの舞台だってさぁ……私のベル、取っちゃったんだもん」


「……美月さん、それは」


「あははっ、冗談だってばぁ! 理子ちゃんが代わりにやってくれて、本当に良かったって思ってるんだから!」


 美月先輩はそう言って、へにゃりと笑った。


「私ね、悔しかったの。すっごく悔しかった。……だって、あんなに練習したのに、舞台に立てなかったんだもん」


「……先輩」


「でもね。理子ちゃんのベル、本当に良かったの。私、客席で泣いちゃったんだから」


 その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなる。


「……ありがとう、ございます」


「うんうん! だからね、理子ちゃんは私の分まで、もっともっと舞台に立ってね! ……そうだ、次も主役やりなよぉ。理子ちゃん、絶対できるからぁ!」


「え、いや、それは……!」


「できる」


 隣から凛が短く……それでも強く言った。

 視線を向けると、彼女は私の腕を掴んだまま、まっすぐこちらを見ていた。


「理子なら、できるよ」


「……凛」


「私は、理子の舞台、もっと見たい」


 その声があまりにも静かで。

 さっきまでの酔った軽口とは少し違って聞こえて。


 私は一瞬、返事に詰まってしまった。


「……ありがと」


 美月先輩は私と凛のやり取りを見て満足そうに頷いて、それからまた私の腕にしがみついた。


「でも理子ちゃんは私のものー!」


「話戻った!?」


「だめです。理子は私のベルです!!」


「ちょ、ちょっと。私どっちのものでもないんだけど……?」


「だって理子は私の……!! くっ……もうビールがない……!」


「凛、もうそれ以上はやめとこうか」


「大丈夫」


「大丈夫じゃない人の返事だよ!?」


「理子が送ってくれるなら大丈夫」


「送る前提!?」


「理子ちゃぁ~んっ!!」


「わぁあああっ!?」


 ――賑やかで、くだらなくて。

 年末だからこそ、普段よりも大胆になったみんなの笑い声に包まれて、あっという間に時間は流れていった。


*   *   *


 忘年会がお開きになった頃には、外の空気は一段と冷たくなっていた。


「みんな忘れ物ないようにー! 飲んだ人は無理して一人で帰らない! 二十歳未満はさっさとまっすぐ帰ること!」


「よっ!! 部長!!」


「そして!! 二次会行く人!! カラオケいくぞぉぉぉぉー!!! クリスマスなんて知ったことか!!」


「そうだそうだ!! 部長に続け!!!」


 わいわいと店の前で、酔った部員が大声で会話をしたり、もう歌い始めていたり。

 酔っていない人と未成年組はそそくさと酔っ払い集団から距離を取って、それぞれ別れの挨拶を交わし、駅の方へ散っていく。


 私はマフラーを巻き直しながら、店を出る時からずっとくっ付いている凛へ視線を向ける。


「凛、大丈夫? 結構飲んでたけど」


「だいじょうぶぅ」


「ほんと?」


「うん~。理子がいるからぁ」


「それ、大丈夫の理由になってる?」


「なってるよぉ」


 即答されて、思わず笑ってしまう。

 凛の頬は、しっかりと赤い。

 足取りも危うくて、いつもより声もへにょへにょしていた。


 ……尚、最後に完全に酔いつぶれた美月先輩は、迎えに来た彼氏さんと、一足先にタクシーに乗って帰っていた。


「じゃあ、途中まで一緒に行こっか。心配だし」


「うん~」


 凛はぼんやりと返事をしながら、私の腕へと手を絡ませた。


 駅へ向かう道には、クリスマスイブらしく、イルミネーションが灯っていた。

 街路樹に巻かれた小さな光が、冬の夜風の中で淡く揺れている。


「……綺麗だね」


「うん? ああ、イルミネーションね。綺麗だよね」


「理子も見て」


「見てるよ?」


「もっとしっかり見なきゃ」


「ふふ、なにそれ」


 言われるまま、私は少しだけ歩く速度を落として、イルミネーションを見上げた。


 青や白の光が、枝の先まで細かく巻きついている。

 いつもなら通り過ぎるだけの景色なのに、こうして足を止めて見ると、少しだけ特別なものみたいに思えた。


「ほんとだ。綺麗」


「でしょ」


 凛がなぜか少し得意げに笑った。


「凛が飾ったわけじゃないでしょ」


「でも、理子に見せた」


「それは……うん。そうかも」


 なんだか変な理屈だ。

 でも、酔っている凛は少しだけ満足そうで。


 その横顔が可愛く見えて、私はまた笑ってしまった。


「今日の凛、ちょっとふわふわしてるね」


「してない」


「してるよ」


「してない。普通」


「普通の凛なら、ツリーもイルミネーションも気にしてないと思う」


「……じゃあ、今日は普通じゃないかも」


 凛はそう言って、少しだけ目を細めた。

 その声があまりに穏やかだったから、私は何も言えなくなる。


 クリスマスソングがどこからか聞こえて来る。

 どこか哀愁を感じさせるメロディーに、不思議と切なくなる。

 それでも腕に感じる熱い凛の体温のおかげか、寂しさはあまり感じなかった。


「……理子」


「ん?」


「今日、楽しかった」


「うん。私も」


「なら、よかった」


 凛はそれだけ言って、満足そうに前を向いた。


 その横顔は、いつもより少し幼く見えた。

 舞台の上で野獣を演じていた時とも、サークルで静かに台本を読んでいる時とも違う。


 今だけの、少しだけ力の抜けた凛。


「……凛」


「なに?」


「また来年も、こういうの参加しようね」


「うん」


 凛はすぐに頷いた。


 それから、少し遅れて。


「理子が来るなら」


「またそれ?」


「うん」


 悪びれもせずに言う凛に、私は呆れたように笑う。


「じゃあ、また来ようね」


「うん……!」


 凛の口元が、ふわりと緩んだ。


 その笑顔が、イルミネーションの光に溶けるみたいに柔らかくて。どこまでも綺麗で。

 何故か……胸がドキリと跳ねた気がした。




 ゆっくり歩いていても、駅まであと少し。

 イルミネーションの光が途切れて、道が少しだけ暗くなった、その時だった。


「……っと」


 凛の足元が、ふらりとよろけた。


「凛!」


 慌てて支えようと手を伸ばした瞬間、逆に――ぐっと凛に引き寄せられる。


「わっ……!?」


 気付けば、私は凛の腕の中にいた。

 コートの布地越しに、彼女の体温と鼓動が伝わってくる。


 お酒の匂いと、ほのかな香水の香りが混ざって鼻をくすぐった。


「り、凛……? 大丈夫?」


「……ん」


 返事は短かった。

 でも、私を抱く腕の力は、ちっとも緩まない。


「……凛?」


「……もうちょっとだけ」


 耳元に寄せられた凛の唇から、消えてしまいそうなほど小さな声が漏れる。


「……え?」


「……しばらく、このままでいてもいい?」


 その声が、あまりにも静かで……懇願するようで。

 私を抱く腕も、身体も震えていて……。

 どんな言葉を彼女にかければいいのか、分からなくなってしまっていた。


「……凛、寒いの?」


 やっとのことで、そう聞いてみる。


「……うん。寒い」


「……そっか」


 嘘だと思った。

 だって、凛の身体はこんなにも熱いのに。

 

 それでも私は、これ以上凛に何も聞かなかった。


 聞いてはいけない気が……したから。



「……いいよ。少しだけね」



 そう答えて、私はそっと、凛の背中に手を回した。


 通り過ぎていく人の足音。

 どこかの店から漏れてくる、クリスマスソング。

 冷たい夜風が、僅かな私達の間をすり抜けていく。


 凛は、何も言わなかった。

 ただ静かに、私を強く抱きしめたまま。


 ……どれくらい、そうしていただろう。

 実際には、ほんの数十秒くらいの出来事だったと思う。

 なのに私には、とても長い時間に感じられた。


「……ありがと」


 ようやく凛が身体を離す。

 その顔を見ようとしたけれど、彼女はすぐに前を向いていた。


「……ごめん。酔っ払いって、面倒だよね」


「……ううん」


「変なこと言った。忘れて」


 そう言って、凛は歩き出す。

 いつも通りに見せようとするような、少しだけ整った足取りで。


「……凛」


「なに?」


「……ううん。なんでもない」


 私は、それ以上何も言えなかった。

 聞きたいことは、たくさんあったはずなのに。


 どうして、あんなことを言ったのか。

 どうして、あんな声だったのか。

 ……どうして、あんなに強く、抱きしめられたのか。


 そのどれか一つすら声に出せないまま、私はただ凛の隣を歩いていた。


 空を見上げると、冬の星がいつもより近くに見えた気がした。

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