43話
十二月二十四日。
世間では、クリスマスイブと呼ばれる日。
そして私達大学生にとっては、冬休み前の最後の講義日でもあった。
「終わったぁぁぁぁ!!」
チャイムが鳴るなり、奈央が両手を上げて叫んだ。
「今年の私、よく頑張った! えらい!」
「はいはい、えらいえらい」
「由美ぃ! もっと心を込めて!」
「奈央ちゃんえらーい」
「雑ぅ!!」
いつもの調子で騒ぐ二人を見て、私は思わず笑ってしまう。
教室の窓の外には、冬らしい早い夕暮れが広がっていた。
キャンパスのあちこちには、小さなクリスマス飾り。
すれ違う学生達の会話にも、どこか浮き立つような響きが混じっている。
「リコリン~! メリークリスマース!」
奈央が突然、私達に向かって両手を広げた。
「リコリンやめい。って、まだ今日はイブでしょー?」
「いいの! 今日イブだから! メリークリスマスイブ!」
「急に雑になった」
「細かいこと言わない!」
由美が笑いながら鞄を肩にかける。
「二人はこの後、サークル忘年会だっけ?」
「うん。年内最後の活動して、そのあとにやるって」
「いいなぁ。演劇サークルって楽しそう」
「奈央達も来る?」
「部外者が乱入する忘年会、強すぎない?」
「差し入れのケーキ持っていけばワンチャン」
「ないない」
そんな軽口を交わしながら、私は荷物をまとめる。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。
『星野さんお疲れ! 今日、忘年会だよね? 楽しんできてね!』
『帰り寒いと思うから、温かくして気を付けて帰ってね!』
わんこがマフラーをぐるぐる巻きにして震えているスタンプが続く。
『ありがとう。陽向君もレポート頑張ってね』
そう送ると、すぐに既読がつく。
『頑張る!! 星野さんと会う予定のために!!』
相変わらず直球すぎて、勘違いしてしまいそうになる。
まるで……彼が、私のこと……好きみたいだって。
「……理子」
「え?」
「今、顔ゆるんでた」
「ゆ、ゆるんでない」
「いや、ゆるんでたっ! ねぇねぇ由美さん見まして?」
「見ましたわ。完全に恋する乙女の顔でしたわよ」
「違うから!」
「まさか理子ちゃんがねぇ……! 一足先に春が来ちゃったみたいですわ」
「本当にねぇ……。ほほほ」
「ちょっ、奈央!! 由美っ!!」
奈央と由美が楽しそうに騒ぐ中、凛だけは何も言わなかった。
ただ、私の手元のスマホと、私の顔を交互に見て。
それから、ほんの少しだけ目を伏せていた。
* * *
「じゃあ二人とも、良いお年をー!」
「良いお年を! 理子ー! 凛ー! また来年ね!」
奈央と由美が手を振りながらキャンパスを去っていく。
残されたのは、私と凛の二人だけ。
「……じゃ、行こっか」
「だね」
二人肩を並べて部活棟へと向けて歩き出す。
歩く度に揺れる凛の長い髪を見ながら、ふとその横顔に視線が吸い寄せられた。
「……凛、なんか機嫌いい?」
「……え?」
凛は少しだけ目を丸くして、数瞬視線を彷徨わせた後に、ふいと顔を逸らした。
「……別に。普通だけど」
「ふーん?」
「なに、その顔」
「ふふ、なんでもないよ」
素直じゃない凛に、私はふっと笑ってしまう。
だって。凛の口元はずっと、微かに緩んでいるのだから。
「……理子が来るって言ってたから」
「え?」
「忘年会。来るって言ってたから、ちょっと楽しみにしてただけ」
凛は前を向いたまま、なんでもないことのように言う。
「そっか。……私も、凛がいるなら安心かな」
「……そう」
短く返した凛の横顔が、さっきよりほんの少しだけ柔らかく見えた。
* * *
演劇サークルの年内最後の活動。……とは言っても、特別なことをするわけではなかった。
いつも通り、皆で軽くストレッチをして、発声練習をして。
それから来年の新入生歓迎公演に向けた簡単な読み合わせをして、最後に稽古場の掃除をする。
「一年分の感謝を込めて、しっかり床も磨けー!」
「「はーい」」
「……部長、テンション高いですね」
「この後忘年会だからな」
「現金だ……」
部員達の小声のやり取りにひっそりと笑いながら、モップをかけ、椅子を並べ直し、小道具の入った棚を整理していく。
学園祭で使った衣装や小道具の一部も、まだ部室の隅に残っていた。
野獣の爪。
村人達が使った農具。
そして、私が急遽着ることになったベルの衣装の飾り。
それを見つけて、私は少しだけ手を止める。
あの舞台。
あの拍手。
凛と踊った舞踏会。
そして、客席で私を見ていた陽向君。
「理子?」
「……ううん。なんでもない」
凛に声をかけられて、私は慌てて首を横に振った。
「それ、懐かしいね」
「うん。不思議だなぁ……。何だか、ずっと前の事みたい」
「……私は、昨日の事のように覚えてるよ」
「そりゃ、凛は野獣だったもんね」
「理子もベルだったでしょ」
「代役だけどね」
「でも、理子のベルだった」
凛はそう言って、小さく笑った。
その言い方が妙に真っ直ぐで、私は少しだけ返事に困ってしまう。
「……ありがとう」
「うん」
短い会話。
それだけなのに、胸の奥が少しだけくすぐったかった。
「はーい! 掃除終わった人から荷物まとめてー! このあと予約時間あるから遅れないように!」
部長の声が稽古場に響く。
それを合図に、私達は慌ただしく荷物をまとめ、年内最後の活動を終えた。
* * *
忘年会の会場は、大学から少し歩いたところにあるチェーンの居酒屋だった。
駅前にある、学生の飲み会でよく使われるタイプのお店。
入り口にはクリスマスの飾りと、「忘年会予約受付中!」のポスターが並んでいて、店内からは既に賑やかな笑い声が漏れている。
「うわ、年末って感じする……」
「人、多いね」
「予約してなかったら絶対入れなかったね、これ」
部長を先頭にぞろぞろと店へ入り、案内されたのは奥の半個室みたいな席だった。
長いテーブルに、掘りごたつ。
壁にはビールのポスター。
いかにもチェーン居酒屋! という感じの安心感がある。
「アルコールは二十歳以上の人だけー! 無理に飲ませるの禁止! ソフトドリンクも全然あり! 今日は楽しく、健全に!」
「お~。部長、ちゃんとしてる」
「当然! 部長として責任ある振舞いを」
「まぁまぁ、今日は無礼講でいきましょうよぉ~!」
ざわざわとそれぞれが思い思いに話している店内は、まだ誰もお酒が入っていないはずなのに、うるさいくらい賑やかだ。
私は無難に烏龍茶を選んだ。
年末の公演も近いし、下手に酔って喉を荒らすのも避けたいからだ。
凛は私の隣に座って、ビールを選んでいた。
「あれ、今日は飲むの?」
「うん。何となく、そんな気分でね」
「……そっか」
「理子は飲まないの?」
「うん。明日から公演続くし」
「はは、だと思った。じゃあ理子の分まで飲ませて貰おうかな」
「……大丈夫? 凛って強かったっけ?」
「……さぁね。万が一の時は、理子に任せるよ」
「もう、他人任せなんだから」
何気ない会話。
でも、隣に凛がいると、それだけで少し落ち着く。
やがて全員の飲み物が揃うと、部長がグラスを持って立ち上がった。
「えー、それでは! 今年も一年、演劇サークルお疲れ様でした!」
「お疲れ様でしたー!」
「学園祭では色々ありましたが、結果的に大成功! 急な代役、無茶なスケジュール、ロマン溢れるアドリブ、すべて含めて青春でした!」
「ロマン溢れるアドリブって何ですかー??」
男子部員からわざとらしいヤジが飛ぶと、部長がにやりと笑う。
「クライマックスを飾る、ベルの愛の口付け……! あれには痺れたね……!」
「ちがっ!! あれは……その、演出上の事故というか、ベルに飲まれたというか!!」
ボッと頬が赤くなるのを感じて、そうだよね!? とチラリと凛を見るも、凛は涼しい顔で笑みを浮かべていた。
「最高でした」
「凛!?」
「事実だから」
さらっと言われて、私は何も返せなくなる。
テーブルのあちこちから、楽しそうな声が上がった。
「いやー、あそこ客席どよめいたもんね」
「ベルと野獣、もはや本物だったよ!」
「今年のベストカップル賞だよ、あれ!」
「カップルじゃないです!」
慌てて否定する私の隣で、凛がほんの少しだけ笑う。
「……違うの?」
「違うでしょ!?」
「そっか」
「なんでちょっと残念そうなの!?」
凛は何も答えず、ただ楽しそうに目を細めた。
その表情が、いつもより少しだけ柔らかく見えて。
私はなぜか、胸の奥が小さく揺れるのを感じた。
「はいはい、そこ二人で世界作らない!」
「作ってないです!」
「乾杯前から漫才しない!」
部長が笑いながらグラスを掲げる。
「とにかく! 今年一年、本当にお疲れ様でした! 来年も楽しく、真剣に、いい舞台を作っていきましょう! ——乾杯!」
「「「乾杯!」」」
グラスがぶつかる音と、陽気な歓声が賑やかに重なっていく。
私も手にしたグラスを掲げた後、隣の凛のグラスとそっと合わせた。
「凛、乾杯」
「うん、乾杯」
チンッと軽い音を立てて乾杯を交わした後、烏龍茶を一口飲む。
クリスマスイブ。
本当なら、陽向君と過ごしていたかもしれない夜。
でも今、私の隣には凛がいて。
目の前には、今年一緒に舞台を作った仲間達がいて。
こんなイブも悪くないと、素直に思えた。
そう思った瞬間、隣の凛が小さくこちらを見る。
「……理子」
「うん?」
「……ううん。今日は一緒に来てくれてありがとう」
「ふふ、こっちこそ。忘れてたから……誘ってくれてありがと、凛」
そう答えると、凛は少しだけ目を伏せ、それからいつもより柔らかく笑った。




