42話
講義が終わったあとも、奈央と由美の追及はしばらく続いた。
「で? いつから陽向君呼びなの?」
「どこまで進んだの?」
「進んでない! 何も進んでないから!」
そんなやり取りから逃げるように、私は次の予定を理由に、早々に稽古場へ向かっていた。
夕方の空気は冷たい。
マフラーに顔を埋めながら、足早に駅へ向かって歩いていると、ポケットの中でスマホが震えた。
「……ん?」
画面を開く。
送り主は、陽向君だった。
『ごめん! あの後、友達から俺も質問攻めされちゃって話せなかった』
続けて、わんこが泣きながら頭を下げているスタンプが送られてくる。
思わず、くすっと笑ってしまった。
(陽向君も、大変だったんだ)
返信を打とうとしたところで、さらにメッセージが続いた。
『本当はちゃんと直接誘いたかったんだけど、早くしないと予定埋まっちゃうかもしれないから、先にメッセージで誘わせてもらうね』
「……誘う?」
その言葉に、指が止まる。
胸の奥が、嫌な予感ではなく、期待のようなもので小さく跳ねた。
『今月の24日って、講義の後とか……予定空いてたりする?』
「……っ」
思わず足を止めてしまった。
今月の二十四日。
世間では、クリスマスイブと呼ばれる日。
この日に予定を聞かれるのは、少なからず何かしらの意味があると捉えてもおかしくない。
(……え。これって)
いやいやいや。
落ち着け、私。
ただ予定を聞かれただけ。
別に、そういう意味だとは限らない。
……でも、でもだよ?
(デート……誘われてる、よね)
じわじわと顔が熱くなる。
駅前を行き交う人達のざわめきが、少しだけ遠くなった気がした。
でも、すぐに別の予定が頭をよぎり、火照った頬を冷ましていく。
演劇サークルの年内最後の活動日。
活動後の忘年会。
それに……凛が言っていた。
『もし理子が行かないなら、私も欠席にしようかなって思ってたんだけど』
その言葉を思い出した瞬間、浮き上がりかけていた心が、地面に戻ってくる。
(……そうだ。私……そっちに行くって、もう言ったんだった)
――何もなければ。
そう付け足して返したはずだ。……でもそれは、あの場での口約束だと言えど、凛を裏切る事になる。
私はしばらく画面を見つめたまま、動けなかった。
嬉しい。
行きたい。
陽向君に誘われて、嬉しくないわけがない。
……でも。
先に行くと決めた場所がある。
私は小さく息を吐いて、返信を打ち始めた。
『誘ってくれてありがとう。すごく嬉しい』
そこまで打って、一度手が止まる。
嬉しい。
それは、嘘偽りない本心だ。
だからこそ、ちゃんと伝えたい。
『でも、24日はサークルの年内最後の活動日で、その後に忘年会があって……』
送信ボタンを押す前に、何度も読み返す。
冷たくないだろうか。
断っているだけに見えないだろうか。
胸の奥が、きゅっと痛む。
私は少し迷ってから、もう一文を足した。
『だから、その日は難しいかもしれない。ごめんね』
送信。
10秒もかからずに既読がついた。
「……早い」
心臓が、またうるさくなる。
『そっか! 全然大丈夫! 急に聞いてごめんね!』
明るい文面。
でも、それが余計に胸に刺さった。
続けて、わんこが「しょぼん」と耳を垂らしているスタンプが送られてくる。
(……ずるい)
そんなスタンプを送られたら、余計に放っておけなくなる。
私はスマホを両手で握りしめた。
ここで終わったら、きっと前の私と同じだ。
予定があるから、ごめん。
それで終わり。
でも、今は。
私はもう、逃げないって決めたんだから。
『でも』
短く打って、すぐに送る。まだ会話を切らさない為に。
やっぱり、すぐに既読がつく。
『24日は難しいけど……別の日なら、私も会いたいです』
送った瞬間、心臓が跳ねた。
(……送っちゃった!)
会いたい。
たった四つの文字の並び。
ただそれだけのはずなのに、指先まで熱くなる。
数秒。
いや、本当は一秒すらも経っていないのかもしれない。
そうだとしても、私には……ひどく長く感じた。
そして。
『ほんと!?』
『会いたいって言ってくれた!?』
『え、嬉しい!! めちゃくちゃ嬉しい!!』
怒涛の勢いでメッセージが届く。
最後に、わんこがその場でぐるぐる回っているスタンプまで送られてきた。
「ふふっ……」
思わず吹き出して笑ってしまう。
通りすがりの人に見られていないか、慌てて口元を隠した。
『うん。いつがいいかな? 陽向君の都合もあるだろうし』
今度は、少しだけ素直に打てた。
『ううん、大丈夫!! ……ステラもあるけど、1日中じゃないから!』
『そっか笑 年末は少し忙しいけど、予定確認してまた送るね』
『うん! 無理しないで! 星野さんの都合がいい日で大丈夫だから!』
『ありがとう。陽向君も、レポート頑張ってね』
『がんばる!! 星野さんに会うために爆速で終わらせる!!』
その言葉に、また頬が熱くなる。
(……もう。本当に、まっすぐなんだから)
スマホを胸元に寄せる。
二十四日は、会えない。
それでも。
断ったはずなのに、胸の奥は不思議なくらい温かかった。
だって私は、ちゃんと言えたから。
会いたいって……。
スマホの画面を見つめながら、私はしばらくその場から動けなかった。
会いたい。
たったそれだけの言葉なのに、送った後も胸の中で何度も反響している。
(……私、本当に送ったんだ)
今さらになって恥ずかしさが込み上げてきて、私はマフラーに顔を埋めた。
通り過ぎていく人達の視線なんて、今まで気にしたことなんてなかったはずなのに。
それなのに、今の私はやたらと周りが気になってしまう。
大きく深呼吸をしてからスマホをポケットにしまって、もう一度歩き出す。
稽古場へ向かう足取りは、いつもより軽かった。
* * *
「理子、今日ちょっと浮ついてない?」
「えっ」
稽古場に入って、基礎練習を終えて、軽い立ち回りの確認をしていた時。
美咲さんにそう言われて、私は思わず背筋を伸ばした。
「浮ついてる、ですか?」
「悪い意味じゃないよ。身体はよく動いてる。でも……何だろう、ちょっと意識が上にあるかな」
「……すみません」
「謝るほどじゃないって。ただ、年末は公演続くからね」
「……はい」
注意されたのに、なぜか怒られた感じはしなかった。
美咲さんの言葉はいつだって、現場で怪我をしないためのものだ。
夢を届けるためには、まず自分の身体を守らなきゃいけない。
私は深く息を吸って、もう一度構え直した。
足裏で床を感じる。
膝を柔らかく。
視線は前へ。
「もう一回、お願いします」
「はい。じゃあ最初から」
合図と同時に、私は踏み込んだ。
やっぱり、いつもより身体が軽い。
それでも勢いに流されないように、一つ一つの動きを丁寧に繋いでいく。
腕を振り、身体を捻る。
無心でブレイブを宿している最中に、ふと陽向君のメッセージが脳裏に思い浮かんでしまう。
『星野さんに会うために爆速で終わらせる!!』
……だめだ。
思い出した瞬間、口元が緩みそうになる。
「……理子。顔」
「っ、はい!」
「良い事を思い出して笑うのは構わないけど、今は集中してね」
「……はい、すみません」
美咲さんが悪戯っぽく笑う。
私は必死に真顔を作り直して、もう一度構えた。
でも、その後の動きは不思議なくらい悪くなかった。
嬉しいことがあると、身体まで前へ進みたがるのかもしれない。
そんなことを思ってしまって、私はまた少しだけ恥ずかしくなった。
* * *
稽古が終わる頃には、外はすっかり夜になっていた。
「お疲れ様でした!」
「お疲れー。星野さん、帰ったらちゃんと温かいもの飲んでね」
「はい。ありがとうございます」
軽く頭を下げて稽古場を出る。
ふわりと冷たい夜風が頬に当たった瞬間、身体の熱が一気に引いていく気がした。
駅へ向かいながらスマホを確認するも、陽向君からのメッセージは届いていなかった。
……きっと、彼もレポートと戦っているのだろう。
(……頑張れ、陽向君)
彼とのトーク画面を閉じ、未読の数字が膨らんでいたサークルのグループメッセージを開く。
『最終告知! 年内最後の活動日、二十四日です! 活動終了後は、そのまま忘年会やります! 参加できる人は今日中にリアクションお願いします!』
「あ……」
危ない危ない、気付かなかったらスルーしてしまうところだった。
既に複数のリアクションが付いている部長のメッセージを長押しして、グッドマークのリアクションボタンへ指を動かす。
忘年会に行くと決めたのは、流されてじゃない。
ちゃんと、自分で考えて返事をしたんだから。
私は画面を見つめて小さく息を吐き、それからグッドマークのリアクションを押した。
そのままスマホをポケットにしまおうとした、その時だった。
ピコン、と新しい通知が届く。
今度はグループではなく個別のメッセージ。
送り主は、凛からだった。
『理子、二十四日の忘年会は結局どうする?』
いつもの凛らしい、飾り気のない言葉。
その一文を見た瞬間、昼休みに凛が言っていたことを思い出した。
『もし理子が行かないなら、私も欠席にしようかなって思ってたんだけど』
私は少しだけ指を止めてから、返信を打つ。
『今ちょうど参加にしたところ。行くよ』
送信。
今度は、すぐに既読がついた。
『そっか』
たった三文字。
それだけなのに、画面越しの凛が小さく息を吐いたような気がした。
少し間を置いて、次のメッセージが届く。
『よかった』
凛からの返事を見て、今度こそ私はスマホをしまった。




