3話
あの公演の日から、大学での日々が少しだけ変わった。……といっても、私の日常はあまり変わらない。
変わったのは、高坂君の私への態度だ。
「あ、星野さーん! やほー!」
「っ……!?」
講義のコマの合間に廊下を歩いていると、向こうから声がかけられる。
例のごとく友人数人に囲まれた彼が、こちらに向かって笑みを浮かべて気軽に手を振っていた。
彼の友人だけでなく、彼を見送る周囲の生徒達の視線が、ざっと私に集まった。
(……ひぇぇ)
多くの人の視線を受けるのには慣れている。慣れてはいるけど……嫉妬や羨望の眼差しに晒されるのは慣れてない……っ!
「こ……こんにちは」
軽く会釈を返すと、彼はにっこり笑って友人の輪に戻って遠ざかっていく。
「何、陽向の知り合い?」
「まぁね! それでさー!」
彼にとってはたまたま歩いていて顔見知りに声をかけた。ただそれだけの出来事なのに。
「……理子ぉっ!!」
隣を歩いていた奈央が、私の腕をがっしり掴んだ。
「え!? え!? まって、高坂くんと知り合いなの!?!? 何で認知されてるの!?」
「痛い痛い……! ちょっと縁あって」
「縁!? 縁ってなに!? どんな縁!?」
「……色々あって」
「色々っ!!」
由美もわたわたと前に回り込んでくる。
「いや待って ちょっと待って理子! あの高坂くんが普通に声かけてきたよ!? しかも理子の事呼んだよね!? 星野さんって!!」
「あー……うん、そうですね……」
「そうですねじゃないよ!?」
二人の熱量を横目に、私は内心で苦笑した。
確かに、あの高坂陽向に笑顔で名前を呼ばれた女子が、平常心を保てるかといえば……まあ、普通は無理なのかもしれない。
ただ私には、彼についての情報が多すぎた。
(ぬいぐるみ抱えて泣いてた人だからな……)
そう思うと、不思議と動じない。
凛だけが呆れたように肩をすくめて、私の横に並んできた。
「で、なんかあったの」
「……ちょっとね。たまたま話す事があって」
「ふーん、良かったじゃん?」
それ以上は聞いてこない。凛らしかった。
「ちょっと! 凛もちゃんと聞いてよ!! 理子も説明してよ!!」
「……まぁ、その。友達……?になった感じというか」
「ええええっ!! 私も高坂君に紹介してよぉぉぉー!!」
奈央の詰め寄りをかわしながら教室へ向かう。
秘密は、秘密のままにしておく方がいい。
――それが彼との約束だから。
* * *
私の日常は変わっていない……とは言ったものの、問題は高坂君と二人きりになった瞬間だった。
レポート作成の資料集めに大学の図書館に行った帰りに、たまたま彼と鉢合わせた。
「!!」
ばっちりと目が合う。その瞬間に高坂君の目がぱっと輝いた。
珍しく周りに誰もいないな~なんて呑気に考えながら、軽く会釈して通り過ぎようとした。
——でも、そうは問屋が卸さない。
「星野さん! ちょっといい!?」
彼はすれ違って去る事なく、すっとUターンして私の隣に並んで歩き始めた。
「……どうぞ」
「今週のステラ☆フォース見た!?」
(……来た)
大学では柔らかな物腰の陽キャイケメン。誰にでも優しく笑顔を振りまく高坂陽向。
それが今、目をキラキラさせて身を乗り出してくる全く別の生き物に変わっていた。
「ブレイブが今週ね、ドリームのピンチに間に合わなくて……でも最後に庇うシーンあったじゃん!?」
「……ありましたね」
「あそこで流れるBGMがね、第一話のあのテーマの変奏で……わかる!? あの伏線回収!!」
(……わかりますとも。というかこの先の展開も知ってるよ……とは言えないからなぁ)
「すごいですね。よく気付きましたね」
「でしょ!! このアニメ本当に細かいとこまで作り込まれてて——あと来月の新グッズ情報見た!? ブレイブの新しいアクスタ、もう表情も私服姿の可愛さがやばくて!!」
「ああ、確かに良かったですよね。私もストアに行って買おうかなって」
私の担当だし。と心の中で付け加える。
「でしょ!? わかる!? あのちょっといつもより柔らかい笑顔の細かさとか!! もうたまらんよね!!」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉を受け止めながら、私は内心でひとつ観察していた。
(……早口だ。めっちゃ早口だ)
大学にいる時の彼は、いつも余裕があって、言葉を選んで、相手のペースに合わせる。
それが今は、相手のペースも間も関係なく、ただ話したい事を全部ぶつけてくる。
(これが、本当の高坂君なんだろうな)
そう思うとちょっとだけ、面白かった。
「……ところで、次の公演……隣県開催だけど高坂君はいくの?」
私が言うと、彼の目が更に輝いた。
「行く行く!! もう発売日に即チケット取ったし!! 星野さんは?」
「あ……えっと、私も行きますよ」
「マジで!? 一緒に行く!?」
「……それは」
一瞬、返答に詰まった。
間違いなく現地にはいる。でも、一緒に行くわけにはいかない。
だって、恥ずかしいし。
「……考えておきます」
「そっか! まあ現地で会ったらよろしくね!!」
邪気のない笑顔で言う彼に、私は曖昧に頷いた。
(会いますよ。絶対に会います。それにハイタッチもするよ……)
それは言えない。絶対に言えない。
* * *
その日の夜、照明を消してベッドに倒れ込みながら私は天井を見つめて思慮に耽っていた。
高坂君は、面白い人だ。
大学で見かけていた頃の印象とは、随分違う。
あのキラキラした世界の住人が、二人きりになった途端にあんな顔をするなんて。
『ブレイブのいるところ、俺の影ありってな』
冗談半分だと思うが、本気の色が混ざっていたあの言葉を思い出して、くすりと笑った。
みんなが知っている高坂君と、私だけが知っている高坂君。
その落差が、なんとなく——ほんのちょっとだけ、面白い。
……といっても、これを機に仲良くなりたいとか、もっと話したいとか、そういう事は考えていない。
私は変わらず私のままだし、高坂君は高坂君のまま。
住む世界が違う人が無理にどちらかに合わせようとすれば、絶対にいつか崩れ落ちる。
だからこそ、今みたいなこっそりと彼と話す関係くらいで十分だ。
「世の中、分からないなぁ」
変わったイケメンがいるもんだと思いながら、私はブランケットに包まる。
目を閉じて身体の力を抜いていると、すぐに眠気が襲い掛かってくる。
それに抗う事をせず、眠りの海へと身を沈めていく。
明日も稽古がある。
早く寝よう。




