2話
「な……内緒にしてくれたら、嬉しいな~……なんて」
長い長い沈黙とにらみ合いの末に、彼――高坂陽向が漏らした言葉は、口止めの願いだった。
いつもの陽キャスマイルを作ろうとして、でも顔が強張っているせいか、その笑みはとてもぎこちなく、いつも大学で振りまいている笑顔には到底遠くて――
「ぷふっ」
「え”っ!」
私は思わず笑ってしまった。
この私の反応を受けて、彼はショックを受けたように狼狽えていて……その姿が面白くて、更に笑ってしまう。
「終わった……ずっとバレなかったんだけどなぁ……」
この世の終わりのような顔をしながら項垂れる彼に、私は笑い過ぎて流れた涙を拭いながら、ぽつりと言った。
「……今日のショー、よかったですか?」
「……え?」
「その、泣いてたので」
「────っ!? そこも見られてたの!?」
顔を上げた彼の頬は、ハイタッチ会の時と同じくらいに羞恥に赤く染まっていた。
両手で顔を覆って、天を仰ぐ。
「はあ……もう終わりだ……」
表情豊かで、コロコロと顔色が変わる彼をちょっぴりいじめたくなる悪い気がムクムクと湧いてくるが、ぐっとこらえて真面目に答えた。
「大丈夫ですよ、誰にも言いません」
ピタリと動きを止めた彼が、ぼそりと呟く。
「……本当に?」
「本当に」
私が『嘘ではないよ』と真剣な表情で静かに答えると、彼はそっと顔を覆っていた手を下ろして、じっとこちらを見た。
まだ疑ってるのか探るような目だったけれど……やがてふっと息を吐いて、肩の力を抜いた。
「ありがと。助かる」
安堵して浮かべた笑みは、やはり大学で騒がれるのも頷ける甘い笑顔だった。
……あまり直視していると太陽を肉眼で見たように潰れてしまいそうなので、そっと目を逸らした。
「それと……良かったよ」
「え?」
「ショーの感想。聞いたんでしょ」
観念したのか、彼はぬいぐるみを胸に抱き直して、どこか遠くを見るような目をした。
「良かった。……いや、良かったなんて程度じゃなかったッ!!」
声のトーンが、さっきまでと全然違った。
照れでも、誤魔化しでもない。熱の籠った声。
「今日のステラ・ブレイブなんだけどね! あのアクターさん……ゴホン」
彼は言いかけて、一度自分で言葉を止めた。
「……いや、違う。今日この会場に来てくれたブレイブは、本物のブレイブだった」
「……!」
「アニメで見てた通りの動きで、殺陣も、ちょっとした仕草も、全部……ブレイブそのものだったんだよ。だから、なんか……さ」
彼は少し困ったように笑った。
「気付いたら、泣いてた」
私は、何も言えなかった。
それが、それこそが私の目指していたものだったから。
ずっと……誰かにそう思ってほしくて、稽古してきた。
でも今日、高坂君には……届けられていたんだ
泣きそうになるのを、ぐっと堪えた。
「……そっか」
小さく、でも確かに笑って返した。それが精一杯だった。
彼はこちらをじっと見てから、少しだけ首を傾げた。
「……なんで泣きそうな顔してるの?」
「……してません」
「してるよ」
「してません!」
頑なに言い張る私に、彼は何か言いたそうにしながらも、結局それ以上は追及しなかった。
少しの間、二人して夕風の中に立っていた。
「……ステラ☆フォース、好きなんですか?」
私から口を開いたのは、自分でも少し意外だった。
「好き……まあ、うん。……ま、バレてるし、今更隠す事もないか。もちろん大好きだよ」
彼はぬいぐるみの頭をぽふぽふと叩きながら、苦笑した。
「子供の頃に、親に戦隊ヒーローショーに連れて行ってもらうはずが、間違えてステラシリーズのショーに行っちゃってさ。女の子向けなのにーって文句言ってたのに……見たらそこからずっと抜け出せなくて」
ぽふぽふとぬいを叩く手は、次第に愛おしげに優しく撫でる手つきへと変わっていく。
「それからずっと追ってる。アニメだけじゃなくてステージショーもね。やっぱり本当に彼女達が存在しているんだって、実感させてくれるし」
「……わかります」
「え?」
気が付けば、私は頷いていた。
「ステージで戦うヒーローって、なんかこう……アニメと違うじゃないですか。ちゃんと、同じ空間にいるから」
「そう!! そうなんだよ!!」
彼の目が、ぱっと輝いた。
「画面の中じゃなくて、ちゃんと『いる』んだよな。同じ空気を吸ってる感じがしてさ! しかもハイタッチして触れ合える……こんな幸せな事はないよ」
その瞳に、嘘や誇張は見受けられなかった。ただまっすぐに、慈しむようにグッズとぬいへと優しい視線を落としている。
そこで私はもう一つ、疑問を投げかけてみた。
「ブレイブが好きなのは、どうして……?」
「……ブレイブって、強いだけじゃないじゃん?」
彼は少し遠くを見るような目になった。
「困っている人が居たらすぐに駆け付けて。子供が泣いてたら必ず気付いて励まして。どんなに苦しい戦いでも絶対に諦めずにいつも一番前でみんなを守っててさ」
(……そうだね。ブレイブはそういう子だよ)
心の中で相槌を打つ。
「カッコいいよね。それでいて……ちゃんと彼女も一人の女の子なんだ。ただ偶然……特別な力を得てしまっただけの、ただの女の子。時々ふと見せる切なげな表情も、年相応な姿も健気で可愛いっていうか」
彼は少し照れたように頭を掻いた。
「だから今日、ステージを見ていて本物だって思ったんだよ。あの子、気持ちまでちゃんとブレイブだったから」
胸の奥が、ぎゅっと鳴った。
(気持ちまでブレイブだった)
それは私が、ステージに立つ時にいつも自分に言い聞かせている言葉だった。
スーツの中の私が、どれだけブレイブであれるか。それだけをずっと、考えてきた。
「……ブレイブ、これからもっとかっこよくなりますよ」
口から出てから、しまったと思った。
「え、なんで言い切れるの?」
「……い、いや、なんとなく! そういう気がするっていうか!」
「なんか詳しくない?」
「詳しいですよ! 好きなので!!」
誤魔化すように言い張る私を、彼はじっと見て。
それから、ふわっと笑った。
「……はは、ちゃんと話が分かる人と話したの、初めてかも」
「……え?」
「周りにそういう趣味の人いなくてさ。それに……ほら、自分で言うのもあれだけど、そんなキャラじゃないじゃん? バレないようにずっと一人で行ってたから」
その言葉が、少し寂しげな瞳が思いのほか私の胸に染み込み、突き立っていく。
「……私でよければ、聞きますよ。それなりにステラシリーズ詳しいですし」
気が付いたら、私は自然とそう言っていた。
彼に……興味が湧いてしまったのだ。
「ほんとに?」
「本当に」
彼はしばらくじっと私の顔を見てから、少し眩しそうに目を細めた。
「……あのさ」
「……なんですか?」
「君、どこかで会ったっけ? 俺の名前知ってるし……」
「……同じ大学ですよ。それに同期」
「え!?」
「高坂くんのこと、一方的に知ってたんです。有名人なので」
一拍おいて、彼は盛大に噴き出した。
「それは……恥ずかしいな!!」
「……今更ですよ」
「確かになっ!!」
二人して吹き出して笑った。
高坂君とこんな話をする日が来るなんて、過去の私には想像もできなかった。
……楽しいかもしれない。
そう、思ってしまったから。
「……高坂君は、また今後もステージの現場回るんですか?」
「ああ! もちろんっ!! ブレイブのいるところ、俺の影ありってな!」
そう言って楽しそうに笑う彼は、大学の皆に囲まれて浮かべる笑顔よりも、はるかに輝いて見えた。
「……じゃあ、また今後も会場とかで会うかもしれませんね」
「おっ……!! じゃあ次も予定合えば一緒に回ろうよ! 俺、こんな感じでグッズフル装備だけどそれでも良ければ!」
「はい……! 私はむしろそういうグッズは少ないかもだけど、しっかりステラシリーズは追ってますから」
「そっか……! それもまた正しい推し方かもなっ!」
少年のように、ニッと歯を見せて笑う姿に、私も自然と笑みを浮かべていた。
「それで……ええと……」
彼は言葉を続けようとして、口ごもってしまう。それにチラチラと私の顔を見ている。
(……あ、名乗ってなかったかも)
スゥ……と息を深く吸い込むと、彼へと軽く頭を下げる。
「私は星野理子です。よろしくお願いしますね、高坂君」
「っ……! うん! よろしくね、星野さん!」
こうして、一組の秘密の同志が生まれてしまったのだった。




