1話
上京し、春から始まった大学生活も、気が付けばもう二年目に入っていた。
私――星野理子の日常は、至ってシンプルだ。
講義に出て、友人と昼食を取り、稽古場へ向かう。
演劇サークルに入ったのも、スーツアクターの事務所に所属できたのも、全部ここに来てから掴んだものだ。
特別派手な毎日じゃないけれど、充実しているとは思う。
ただ一つ、この大学に来て気になった事があるとすれば……。
「陽向くーん! 今日の昼どうする?」
「あ、俺も行きたい! 待って待って」
「陽向じゃーん! 今日夜ヒマ??」
……あの人の存在、だろうか。
今日は学食のど真ん中。ある日は教室、大学へ向かう道端でも。
自然と人が集まり、その中心に彼はいた。
高坂陽向。
入学してすぐに名前を覚えた。正確には、覚えさせられた、が正しいかもしれない。
「ねえ見て、高坂くんだ」
「本当だ~! やば、今日も顔が良いっ!」
廊下ですれ違うたびに、周りがざわつく。
……確かに、整った顔立ちをしている。
柔らかな物腰で、男女問わず誰とでも自然に話せる。スポーツも万能らしく、入学早々からラブコールを受け、あちこちのサークルに顔を出していると聞いた。
自然に浮かべられる眩しい笑顔が、また誰かに向けられている。
偶然、彼を囲む集団の近くで食事を取っていた私と友人の奈央・由美・凛は自然と、楽しげに話をしながらカレーを頬張る高坂君へと視線を送っていた。
「……高坂君って、本当にどこ行っても人気だよね」
思ったより熱の籠もらぬ呟きに、奈央が目を見開いて私を見た。
「え、理子。高坂君に興味ないの??」
「んー……今は演劇とか劇団の方が忙しいし、充実しているから別にいいかなぁ~なんて」
「え~?? てか理子全然化粧っ気もないし、勿体ないよー??」
「どうせすぐ汗とかで落ちちゃうんだから、最低限でいいの」
私の冷めた返答に奈央は唇を尖らせた。
そんな私達のやり取りを聞いていた凛が、わざとらしい身振りで手を上へ差し伸べた。
「ふっふっふ、理子は生粋の演劇馬鹿だもんねー」
「……まあね」
凛は私と同じ演劇サークルの部員。女子にしては高い身長と少し低めの声で、服装と髪型をいじれば中性的な男子にも見える。
彼女もどちらかと言えば、恋愛よりも演技に情熱を燃やすタイプだ。
乙女らしさを感じさせぬ私と凛に、奈央と由美はじっとりとした視線を一瞬向け、再び高坂君へと関心を戻した。
「……そういえば、聞いたんだけどね! 高坂君……あんなにモテてるのに彼女いないんだって」
「え、そうなの!? じゃあまだチャンスあるじゃんっ!! ――あ、高坂君こっち見た気がする!! きゃーっ!」
(……高校気分、抜けてないなあ)
きゃーきゃーと沸く周囲を横目に、私はカフェオレをストローで啜りながらそっと視線を逸らした。
別に彼が嫌いなわけじゃない。
ただ、あの人は私とは違う世界の人間だ。
私からわざわざ彼に関わる事なんて、これから先もないだろう。
第一、どう話せばいい? 何を話せばいい?
キラキラした世界の人は、キラキラした人と付き合えばいい。
私には関係のない事だ。
——そう思っていた。
あの公演の日までは。
* * *
ハイタッチ会が終わり、スタッフに誘導されて舞台袖へと戻る。
「お疲れ様でしたー!」
スタッフさん達の声に、私とホープ役・ドリーム役の二人は顔を見合わせて頷いた。
楽屋に戻って、ようやくガワを脱ぐ。
スーツから解放された瞬間の、あの何とも言えない感覚。全身びしょびしょで、髪もインナーも汗だらけ。
それでも、今日の公演は――無事完走できたと思う。
「理子、今日のラストのアクション良かったよ!」
ドリーム役の先輩、美咲さんが笑顔で言った。
「ありがとうございます……! ちょっとタイミングズレたかなって心配で……」
「全然! お客さん的には絶対わかんないよ」
「そうそう! 理子ちゃんのブレイブは最高にキラキラしてるから、私は好きだな~」
ホープ役の夏美さんもタオルで顔を拭きながら笑みを見せる。
「夏美さん……! ありがとうございますっ!!」
美咲さんと夏美さんのその言葉に、ようやくほっと肩の力が抜けた。
「演者さんは帰った帰った!」と、裏方の団員からのご厚意もあって、私はさっと着替えを済ませ、荷物をまとめる。
最後に鏡の前で、ずっと短く結んでいた髪を解いて、後ろ側で一本に結んでおく。
肩甲骨辺りにしっとりした髪の毛の感触を覚え、ようやく気を少し抜いていく。
すると頭の中では、ずっとさっきの光景がちらついていた。
(……本当に、あれって高坂君だったのかな)
ハイタッチ会で感じた、白手越しの確かな体重。
キラキラした目で名前を呼ぶ声。
真っ赤になった顔。
「また、会いに行くよ……か」
(……って!! 違う違う!! 落ち着け私!)
あれはステラ・ブレイブへの言葉だ。星野理子には、何の関係もない。
そう自分に言い聞かせながら、各所に挨拶をして会場を後にした。
「お先に失礼しますっ!! お疲れさまでしたっ!!」
「はーい! お疲れ様ー!」
* * *
初夏の夕方の風が、汗だくの身体に心地よかった。
搬出口から出て、駐車場の脇を歩く。
いつもなら、このまま足早に真っ直ぐ駅へ向かって家に帰るだけ。
でも今日は……何となく、気分が向いた。
この吹いている夕風が心地良いからか、今日のハイタッチ会で、彼に会ってしまったからだろうか。
自然と、会場の出入り口の方へと歩を進めていた。
既に来場者は全員会場外へと出され、すぐに解散する人と、余韻に浸る人で分かれる。
今日も余韻に浸りグループになって騒ぐ大きなお友達の姿がちらほらと視線に映った。
口々に今日の公演への感想や作品やキャラクターへの愛を語り合っている。その姿を見るとどこかくすぐったい思いになってしまう。
頑張って良かった。そうじんわり思えるから。
「さてと……帰ろうっと……」
ふと、会場を背にスマホを自撮りモードにして、画角と格闘している人影が目に入った。
(……?)
よく見ると、その人物の肩には大きな痛バ。腕には抱えきれないほどのぬいぐるみ。首からは赤いタオル。
そして上半身には、ステラ・ブレイブが両面に描かれているフルグラフィックTシャツを纏っていた。
(あ)
視線に気付いたのか、その人物がこちらを向いた。
目が、合った。
「……高坂、くん?」
つい、口から彼の名前が出てしまった瞬間、しまったと思った。
彼の顔から血の気が引いていく。
目が泳ぎ、口をパクパクさせて、完全にフリーズしている。
いつも学食の中心で笑顔を振りまいている高坂陽向とは、別人のようだった。
(え、どうしよう……警戒されてる? 話したことないのに声かけたら変だよね。失敗した!?)
私も顔から血の気が引いていくのを感じていた。
(……待って、この空気……しんどい……ッ!)
互いに黙ったまま、視線を泳がせて沈黙の苦しみに耐えていた。
地獄のような数秒間。……私にとってはもっと長かったが、ようやく高坂君に動きがあった。
彼は再起動したばかりの古びたロボットのように、ギギギと片腕を上げると、口の前で人差し指を立ててぎこちなく笑って見せた。
「な……内緒にしてくれたら、嬉しいな~……なんて」




