37話
(……なんだか変だ。今日の私)
朝、大学に着いた瞬間からずっとそう。
「——理子? 聞いてる?」
「え、あ……ごめん。何かな?」
「もうー、聞いてなかったでしょ。今度のクリスマスの話!」
奈央が、頬を膨らませる。
「ご、ごめんごめん。えっと……クリスマス会だっけ」
「そうそう! みんなでケーキ食べようって話! ……って、もう! また上の空だ!!」
「はは……ごめんね」
曖昧に笑って無理やり誤魔化す。
(……だめ、全然話が頭に入ってこない……)
賑わうキャンパスの人混みを歩きながら、私の目は——無意識に人混みの中に、とある人を探してしまっていた。
(……いない、か)
……何やってるんだろう、私。
昨日、あんなに決意したくせに。
いざ大学に来たら、こんな風にそわそわして落ち着かなくて……自分でも呆れるよ。
講義棟に着いても、講義室に入って席に着いても。
私は時々こっそりと教室内を見回してしまう。
(……まだ、来てないみたい)
いつもならこんなことしない。
彼が来るか来ないかなんて、気にしたこともなかったのに……。
「理子、なにきょろきょろしてんの?」
「……っ、な、なんでもない! ちょっと、寒気しただけ!」
「寒気? 大丈夫……? 風邪とか引いた?」
「いや!! 大丈夫! 元気元気!!」
由美に不思議そうに見られながらも、私は慌てて机の上のノートに視線を落とした。
(……あーもう。落ち着け私!)
それでも落ち着けと思えば思うほど。
入口の方が気になって仕方なかった。
そして——チャイムが鳴る少し前。
「——セーフっ! ふぅ……お疲れー!」
賑やかな話し声とバタバタとした足音と共に、男子グループが講義室に入ってきた。
その中に――高坂君が友人たちと笑い合いながら、こちらの方へ歩いてくる。
(……あ)
……彼の姿を見つけた瞬間。
心臓がトクンッと跳ねた。
いつもなら、目が合う前にそっと視線を逸らしていたはず。
でも……今日は。
彼もこちらに気づいたのか、ばちっと視線が絡んだ。
高坂君の目が少し開かれ、大きくなる。
……視線を逸らそうと、いつもの癖で顔が動きかけるも、ぐっと耐える。
昨日、決めたじゃないか。
ちゃんと向き合うって。
もう、逃げないって。
だから——私は、視線を逸らす代わりに、小さく笑って……そっと手を振った。
彼からでなく、私から。
私の小さな手振りに、高坂君は一瞬ぴたりと足を止めた。
その目がさっきよりも大きく見開かれて――すぐにいつも通りの爽やかな笑顔で、手を振り返してくれた。
……でもその耳が、ほんの少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。
いつも余裕たっぷりの彼が、こんなちょっとしたことで。
……何故かそんな小さなことでも、じわじわと嬉しくて、自然と笑みが深くなる。
「……ちょっと待って。今の、なに?」
奈央が目をキラキラさせて、私の腕を掴んだ。
「理子から手振った?? え、理子から??」
「ベ、別に。ただの挨拶だよ」
「いやいやいや!! 理子が男子にそんなこと、今までしたことないじゃん!! しかも高坂君に!!!」
「な、なにが!?」
由美も興味津々な様子で身を乗り出してくる。
「理子ぉ……なんか、今日、変だよ? やっぱり」
「へ、変じゃないよ! 普通!」
二人がかりの追及に、私はしどろもどろになりながらも、ちらりと隣を見た。
隣に座る凛は——何も言わずに、ただ静かに私を見ていた。
その瞳が、いつもより何かを見透かすような色をしていて――。
……でも凛は、ただ小さく微笑んだだけで、何も言わなかった。
やがて、教授がやってきて、講義が始まる。
教授の声を聞きながら、私はノートを取りつつ、自分の内側の変化を感じていた。
教室の少し離れた席に座っている高坂君。
彼の気配を、視線を——なぜかずっと、意識してしまっている。
……不思議だった。
今までは、こんな風に彼の存在を、常に感じ取ってしまうことなんてなかったはずなのに。
こんな風に、彼を気にしてしまうことなんてなかったのに。
(そっか……。これが——気になるってことなんだ)
昨日認めたばかりのこの気持ちが今、こうして確かに日常の隅々にまで浸透していってる。
もう、止められそうにない……。
* * *
講義が終わり、次のコマの学生と、退出していく学生とで、入口付近は大渋滞を起こしていた。
「うわぁ……。次一個上の階の教室で良かったぁ」
「ほんとねー。ちょっと落ち着いてからいこ?」
「賛成。さすがにあれに飛び込むのはちょっと」
「……うん」
荷物をまとめて、席に座ったまま人混みが引くのを待つ。
その時、ポケットに入れていたスマホが震え、メッセージが届いたと知らせてくれる。
まだ三人が動かなさそうなのを見て、私はそっとスマホの画面を開いた。
『さっきは、ちょっとびっくりした! 星野さんから手、振ってくれるなんて思わなくて』
送り主はやっぱり、高坂君だった。
彼からのその言葉に、私は少し恥ずかしくなりながらも、素早く返信を打った。
『えっと、普通じゃないかな? 友達、だし』
『いや、普通じゃないよ!』
『いつもは俺の方から話しかけるまで待ってるっていうか……。だから、ちょっと嬉しかったよ!』
続けて喜ぶわんこのスタンプが送られてくる。
(高坂君みたいなんだよね、このわんこちゃん)
くすっとつい笑みが漏れてしまう。
『……そう、だったっけ?』
『そうだよ!笑 星野さんって凄いクールなんだなって思ってた!』
……なんだ。
そんなところまで、見られていたんだ。
それが少し気恥ずかしくて……同時に嬉しくもあった。
『高坂君のお友達の邪魔しちゃ悪いかなって思ってて。……今度からは、迷惑じゃなければ、こっちからも話しかけてもいいかな?』
思い切って、そう送ってみる。
送った瞬間に既読が付いた。
『もちろん!! いつでも大歓迎だよ!!』
メッセージに続けて、ブレイブが『やったね!』と喜んでいるスタンプと、わんこが喜ぶスタンプが連続して送られてくる。
「ふふ、大げさだなぁ」
ふと顔を上げて、彼が座っていたあたりの席を見ると、彼もこちらを見ていた。
少し離れているけど、途中何度も人が視線を遮っても、しっかりと私達は目が合っていた。
「——ッ!」
ニッと彼が笑った。
「ッ……!!」
ぶわっと顔が赤くなるのが鏡を見なくても分かる。
明らかに……顔が熱い。
(~~!! もう無理っ!!)
ブンッと風を切るレベルで顔を背けてしまった。
「あれ……理子、顔赤くない?」
「赤くない」
「えー?? 絶対赤いよ?」
「暖房のせいかな。私の席、風当たってたし」
「んん~??」
首を傾げる奈央にそれ以上構う事なく、パタパタと手で顔を扇ぎ、早く熱が引くのを待った。
* * *
「お疲れ様でした! お先に失礼します!」
「はーい、星野さんお疲れ様でしたー」
稽古が終わって、すっかり辺りも暗くなった帰り道を一人歩きながら、私は今日一日を振り返っていた。
そわそわして。
落ち着かなくて。
彼の姿を、どこかに探して。
目が合って、ドキドキして。
……講義中も、ずっと彼の気配を感じてしまって。
(……好きって、こんなに——落ち着かないものなんだ)
……知らなかった。
ずっと、蓋をしてきたから。
こんな風に、一日中誰かのことを、意識してしまうなんて。
正直……疲れる。
でも……嫌じゃない。
このそわそわも、ドキドキも。
全部ひっくるめたこれを、誰かを好きになるってことなんだろうな。
「はぁ……」
吐き出したため息が、白い靄になって寒空へと消えて行った。




