34話
学園祭、二日目。
昨日、大仕事を終えた私は、今日はただの、一来場者だ。
「理子ー! こっちこっち! たこ焼き買お!!」
「奈央、さっきクレープ食べたばっかりでしょ」
「別腹だってー!」
奈央に由美に凛。
いつもの四人で賑わうキャンパスを、あてもなくぶらぶらと歩いていた。
昨日までのあの緊張が、嘘みたいだ。
肩の力がすっかり抜けて、ただみんなと笑って、食べて、歩く。
……こういう時間が、たまらなく心地いい。
まず、私達が足を止めたのは、文芸サークルの古本市だった。
「わ、掘り出し物ありそう!」
由美が目を輝かせてずらりと並んだ本を物色し始める。
「……由美って、意外と本好きだよね~」
「ふふん。勉強にもなるし、古本のあの独特の香りがたまに嗅ぎたくなるんだよねー! あ、これ理子が好きそうじゃない?」
由美が箱から取り出し、差し出してきたのは、少し古い演劇論の本だった。
「……ほんとだ。ちょっと気になるかも」
「でしょ? 私、目利きには自信あるんだから! 凛にはこれ! 奈央はこっち!!」
「……へぇ?」
「わ!!」
パラパラと少し中身を確認して、結局私はその一冊を購入した。
凛と奈央も散々悩んだ挙句、購入する事に。
……由美のこういうところ。地味に凄い。
「ありがとうございましたー!」
ホクホク顔の文芸サークルの部員さんに見送られ、私達はまた別の屋台へと歩いていく。
次に捕まったのは、奈央だった。
「あーっ! 射的! 射的あるよ!! 凄い、縁日みたい!」
見れば、軽音サークルが企画した射的の屋台。
棚には手作りらしいぬいぐるみや雑貨が並んでいる。
「へぇ、景品ハンドメイドなんだ……! 凛、一緒にやるよ!」
「なんで私やる前提なの」
「だって凛、なんでも器用そうだもん!」
「……偏見だなぁ」
そう言いながらも、凛はコルク銃を手に取った。
手慣れた動作でボルトを引き、様になる構えで狙いを定める。
ぱすっ。
少し気の抜けた音と共に飛び出したコルクが、見事に一番大きなくまのぬいぐるみを撃ち落とした。
「わあーっ! 一発!? やっぱり凛すっごいよーっ!!」
「はは……まぐれだよ」
クールにそう言う凛だけど、その口元がちょっとだけ得意げに緩んでいる。
(……ふふ。凛のこういう顔。ちょっと可愛い)
凛は撃ち落としたくまを受け取ると、そのままはしゃぐ奈央にあげていた。
「ありがと凛! 一生大事にする!」
「そんな大げさだなぁ」
その後も私達は思い思いに学園祭を楽しんだ。
美術サークルの展示を覗いたり。
軽音のライブを少しだけ立ち見したり。
由美が占いサークルの出店で「今日は素敵な出会いがあるかも」なんて言われたり。
「えー、出会い!? どこどこ!?」
「知らないよ。占いだもん」
そんな風に笑い合ったり。
……昨日までのあの張り詰めた時間とは、まるで別世界みたいに。
穏やかで優しい時間が流れていた。
「次、どこ行こっか!」
「んー……あ! あっち、まだ回ってないよ!」
歩き出した奈央を先頭に、ぞろぞろと歩き出す。
思い思いに二日目の学園祭を満喫していた——その時だった。
「——あ」
ふと、前方から歩いてくる賑やかな一団に、目が留まった。
……高坂君のグループだった。
男女数人で、楽しそうに笑い合いながらこちらへ歩いてくる。
その中心に、いつもの爽やかな笑顔の高坂君がいて。
……そして、その隣に見たことのない、派手な感じの女の子がいた。
華やかなメイク。おしゃれな服。
その子が高坂君のすぐ隣を——随分近い距離で歩いている。
その子が何か楽しそうに高坂君に話しかけて。
高坂君も、それに笑顔で応えて。
……なんだろう。
その二人の距離が、やけに……目についてしまって。
私は——すれ違うまでのほんの数秒間。ついその光景を、ずっと目で追ってしまっていた。
その時。
高坂君も――こちらに気付いた。
目が合う。
彼の笑顔が、一瞬止まる。
何か言いたげに、その口が微かに動きかけて、止まる。
彼の隣にはあの女の子がいて。
私の隣にはみんながいて。
結局、私達は何も言えないまま。ただ静かにすれ違った。
賑やかな彼らの声が遠ざかっていく。
――胸の奥で小さな小さな棘が、柔らかい所へと突き刺さったような不快感が残る。
……何でだろう。
……何で、こんな……。
「……理子?」
ふいに隣から凛の声がして、はっと、我に返る。
凛が少し心配そうに——いや、どこか見透かすような目で私を見ていた。
「……どうか、した?」
「……ううん」
私は慌てて首を振る。
「なんでもない。……ちょっと、ぼーっとしてた」
そう誤魔化して、笑ってみせる。
凛はしばらく私をじっと見つめて、それ以上は何も聞かずに笑みを浮かべた。
「そっか。昨日頑張ったし仕方ないよ。……次、どこか行きたいブースある?」
「うーん。奈央達に任せちゃおうかな」
視線を奈央の方へ向けると、彼女達はスマホで次の行先をワイワイと話し合っている所だった。
「リコリンー!! まだ食べれるよね!? 料理研究サークルがこの後ライブキッチンやるんだって!!!」
「まとめ呼びでゆるキャラ化やめい」
「はは……。奈央、まだ食べるの?」
私のツッコミもどこ吹く風か。凛の呆れ交じりの問いにも、奈央は「別腹別腹!」と、もう歩き出している。
……ついさっきまで感じていた胸の棘は、その無邪気なやり取りに、そっと押し流されていった。
(今は……考えるの、やめよう。今はみんなと楽しむ時間なんだから)
* * *
料理研究サークルのブースでは、大きな鉄板の上で豪快に料理が作られていた。
「わー! いい匂い!!」
心地良い音を立てて、良い焼き色をしたハンバーグがくるくると返される。
数量限定と書かれた看板にデカデカと書かれていたのは、『焼き立てのハンバーグとグリルチキンとソーセージのミックスグリル』の文字。
鉄板の隣に設置されたアメリカンなグリルからも、炭火の香りとこんがり焼けた鶏肉とソーセージの暴力的な香りに、近くを歩く人々が思わず足を止めていた。
「どうしよう、思ったよりガッツリ……! 一人一皿いける!?」
「んー……むりかなぁ。まだいける気はするけど……念の為。理子は?」
「シェアなら何とか……?」
「由美と理子に同意かな」
「えーっ!! ……じゃあ二皿にしとこっか!」
「奈央はさっきから食べすぎだよ……」
由美は呆れたように笑いながら、るんるんで並びにいく奈央の背を追いかける。
自然と私と凛は、臨時で設置されているイートインコーナーの机の場所取りに向かった。
「……! 凛! そこ!!」
「ん、取った。ナイス理子」
イートインコーナーは思ったより混み合っていたが、なんとか四人分の席を確保して、私と凛は並んで腰を下ろす。
見れば、奈央と由美はまだ列の途中。
わいわいと賑わうブースを、頬杖をつきながらぼんやりと眺めていると。
「……理子」
隣から、凛が、ぽつりと、声をかけてきた。
「ん?」
「昨日、無理させたでしょ。……身体、大丈夫?」
その言葉に、私はパチパチと目を瞬かせた。
「ああ、うん。平気だよ」
「ほんとに? 三日で、あれだけの内容詰め込んだんだよ? ……疲れ、溜まってるんじゃない?」
凛の声は、いつも通り淡々としている。
しかし彼女の瞳は、どこかじっと私の様子をうかがっているようで……。
凛って本当によく私を見てる。
昨日今日だけの事じゃない。
ずっと……私の事を気にかけてくれている。
「……大丈夫だよ、ほんとに」
私は笑ってそう返した。
「凛の方こそ。野獣、あんなにハードに動いてたじゃない」
「私は、慣れてるから」
「私だって、慣れてるよ。……こう見えても、プロなんですけど?」
「ふふ、そうだった」
二人でくすくすと笑い合う。
それ以上……深くは聞かれなかった。
ただ、「無理はしないでね」と、それだけ付け足して。またブースの方へと視線を戻す。
そのさりげない気遣いが、本当に嬉しかった。
(凛は、やっぱり……優しいなぁ)
微笑んで凛の横顔を見つめていた。その時。
「おまたせーっ!! きたよーっ!!」
奈央と由美が、湯気の立つミックスグリルを手に戻ってきた。
「うわー! すごい、豪華!!」
「見て見て! チキン、めっちゃジューシー!」
紙皿上でも、まだじゅうじゅうと美味しそうな音を立てている、ハンバーグとチキンとソーセージ。
その暴力的な香りに、もう既に満足していたお腹が鳴りそうになる。
「「いただきまーす!!」」」
四人で手を合わせて。さっそく半分に切り分けて思い思いに頬張った。
「……あつっ、おいし!!」
噛むごとにジューシーな肉汁が溢れ、炭火特有の香ばしさが口いっぱいに広がる。
「でしょでしょ! 並んだ甲斐あったー!」
奈央が幸せそうに頬を緩ませる。
……ああ、美味しい。
みんなでこうやって食べるご飯って、どうしてこんなにも美味しいんだろう。
さっきの小さな胸のざわめきさえ、全部このあたたかい時間が優しく包んで溶かしてくれる。
私はみんなと笑い合いながら、その幸せな時間を噛みしめていた。
――その時だった。
ポケットの中でスマホが小刻みに震え、メッセージの着信を知らせてくれる。
何気なく画面を確認してみると、宛名は高坂君だった。
『さっき会ったよね!? 声かけたかったんだけど、タイミング逃しちゃって……ごめん!』
『高校時代の友人に案内頼まれて、連れ回されてたんだ〜!』
……そっか。
あの、派手な女の子は。
高坂君の高校時代の友達だったんだ。
胸の奥に刺さっていた小さな棘は……それでも抜けてくれなかった。
『大丈夫だよ。私も、友達と回ってたから』
そう返信を打って。……少しだけ迷ってから、一文を付け足した。
『昨日は、来てくれてありがとう』
送信して、すぐに既読がついた。
『こちらこそ! 最高の舞台をありがとう!! 見れてよかったよ! 星野さんのベル、ほんとに』
そこで、何故かメッセージが一度途切れる。
少しの間を置いて、再び通知が鳴った。
『本当に良かったよ! また、講義で!』
(……ふふ)
また、胸がざわりとする。
彼と話すのが、もう当たり前になってしまって。
もっと……話したいなと、思ってしまうようになってしまって……。
そんな欲に蓋をするように、スマホをそっとポケットにしまった。
* * *
夕方。
すっかり日が傾いた頃、私達は駅で解散した。
「今日は楽しかったねー!!」
「理子! 凛! また大学で!」
奈央と由美がそれぞれの路線のホームへ、手を振りながら去っていく。
階段の上に消えて行く二人を見送って、残るのは凛と私の二人だけ。
「……行こっか」
「うん」
並んでホームへと向かう。
夕暮れのオレンジ色の光が、二人の影を長く伸ばしていた。
まもなくやってきた電車に揺られながら、私達はいつも通りに他愛のない話をしていた。
内容は、今日の学園祭の事。
奈央の食べっぷりや、射的のくまのぬいぐるみの事。
時々窓から差し込む夕日の茜色の陽光に目を細めながら、ぼんやりと別の事に思いを馳せていた。
昨日のあんなに濃密な時間が、今はもう遠い昔みたいに感じられる。
スポットライトの光と熱を浴びながら、凛と二人で美女と野獣の世界を舞台上に作り出していた。
あの瞬間は、私達は本当にベルと野獣だった。
魔法のような時間を過ごして、その最後には……柔らかいキスを落としてくれた。
至近距離で見つめ合った凛の瞳は、どこまでもまっすぐで、どこか切なげで――。
(って、違う違う違う!)
……私はそっと記憶を脳の片隅へと押しやった。
考えない。……考えないって、決めたんだ。
「……理子?」
突然話が途切れて、凛の視線が私へと注がれる。
「……あ、ごめん。太陽がまぶしくて」
自分でもよく分からない言い訳をして、笑顔で誤魔化した。
……果たして、誤魔化せたのか……分からないけれど。
* * *
やがて、電車が最寄り駅に到着する。
ガヤガヤとした喧騒に会話を掻き消され、会話が途切れた所でお互いにしばらく黙ったまま、改札を出て二人で歩く。
いつもの、分かれ道。
ここから先は、それぞれの家の方向だ。
「……じゃあ、私、こっちだから」
「うん、お疲れ様。また大学でね」
いつものように別れを告げて、凛は歩き出した。
……でも、今日は数歩でその足を止めて、再びこちらを振り返った。
「……理子」
「うん?」
凛の眼差しが、夕暮れの薄闇の中でまっすぐに私を射抜いていた。
……何か言いたそうな。
でも言えない……みたいな。
昨日、舞台の上で見たあの熱を帯びた瞳と、どこか似たまなざしで。
「……凛?」
彼女の名前を呼ぶと、凛は一瞬何かをこらえるように唇を噛む。
……それから、ふっといつもの優しい笑みに戻った。
「……ううん。また、明日」
その言葉に。
何度も聞いた、何でもないその言葉に。
私は……なぜだか胸が締めつけられた。
「……うん。またね、凛」
軽く手を振って凛が夕闇の中へと歩いていく。
その背中を、私は少しの間見送っていた。
(……帰ろう)
何となく見上げた藍色に染まった空に、一番星が寂しく瞬いていた。




