30話
遂に迎えた学園祭当日の朝。
いつもよりも早く目覚め、カーテンを一気に開けると、窓の外から差し込む日の光が網膜を焼く。
「うぐっ……」
空は雲一つない、綺麗な秋晴れだった。
(……いよいよ、本番だ)
目は覚めたものの、もう一度倒れ込んだベッドの上で、私はしばらく天井を見上げていた。
三日間。あっという間の、怒涛の三日間だった。
台詞も動きも歌も。できる限りのことは、やったつもりだ。
それでも——不安がないと言えば、嘘になる。
ゆっくりと身体を起こし、大きく伸びをする。
もう、迷わない。
みんなが支えてくれたから。凛が信じてくれたから。美月先輩が、託してくれたから。
なら後は応えるだけだ。
最高のベルを、今日の舞台で咲かせるだけ。
「……よし!」
両頬をパンッと叩いて、私はベッドから立ち上がった。
* * *
大学の近くに差し掛かった時点で、周囲は学園祭の熱気に包まれていた。
キャンパスを歩けばあちこちに模擬店が立ち並び、手作りの看板や装飾で彩られている。
いつもの大学とは、まるで別世界だった。
まだ早朝且学園祭の開始時刻前な為、今走り回っているのは、各ブースの学生や学祭実行委員の生徒達だ。
食材がまだ来ていない。部長はどこだと鬼気迫る顔でスマホに声を荒げる人もいる、そんな賑わいの中をすり抜けて、まっすぐサークル棟の大ホールへ向かう。
私達の演目の開演時間は、午後。
人が一番集まる、本命の時間帯。
逆に言えば……逃げ場のない、大舞台だ。
「理子、おはよう」
楽屋代わりの部室に入ると、凛がもう来ていた。
「おはよう、凛。……早いね」
「理子こそ。私はどうにも落ち着かなくて、早く来ちゃったよ」
そう言いながら、凛が余裕そうにふっと笑う。
その顔はいつも通り落ち着いて見えるけれど、付き合いの長い私には分かる。
凛も少しだけ緊張しているんだ。
「……お互い、頑張ろうね」
「うん」
二人で拳をこつんと合わせた。
* * *
あっという間に過ぎてしまった午前中は、最後の追い込みに費やした。
控室の隅で台詞をさらい、動きを確認する。
演者以外の部員達も、それぞれの持ち場で慌ただしく動いている。
大道具の最終チェック。音響と照明の確認。衣装や小道具の準備等々。
同じホールを使う映像研究会の映画が終わったタイミングで、すぐに搬入と準備ができるように役割分担を改めて確認する姿が見えていた。
昼を過ぎるとキャンパスに漂う熱気は、さらに増していった。
開けた窓から軽音バンドやゴスペルサークル、チアダンスと野外ステージからの大音量が部活棟まで届き、大いに盛り上がっているのが見なくても伝わってくる。
衣装に着替える前、最後にスマホを確認すると、SNSの通知が溜まっていた。
アプリを開くと、まず目に飛び込んで来たのはグループトークの奈央と由美からの応援メッセージ。
『リコリンー! 絶対観に行くからね!! 頑張って!!』
『理子! 凛! 応援してるからね!』
二人には既に代役の事を伝えてある。
……もちろん、滅茶苦茶に驚かれたけれど、全力で応援してくれて、前の方の席で見てくれると約束してくれた。
そして、もう一件は高坂君からだった。
『今、学園祭来てるよ! 星野さんの舞台、絶対観るから!! 楽しみにしてる!!』
その文面に、心臓が、とくんと跳ねた。
(……本当に、来たんだ)
彼が客席に来る。
素顔の私が舞台に立つのを、見にきている。
ライブの時とは、違う。
あの時は、マスクの中に隠れていられた。
でも、今日は——素顔で。星野理子として、彼の前に立つ。
(……緊張するなぁ)
でも私は、緊張も迷いも吹っ飛ばすように首を振った。
今日の私は、ベルなんだ。
高坂君がどう思おうと、誰が見ていようと。
私はベルとして、この物語を紡ぎあげるんだ。
(……見ててね、高坂君)
そんな事を思って、自分でも少しおかしくなった。
ライブの時と、同じ事を思っている。
……相変わらず、言えない秘密ばっかりだ。
「星野さん! そろそろメイク、始めるよー!」
「あ、はい! お願いします!」
鏡の前に座って、メイクを施してもらう。
いつもの、稽古のための最低限のメイクじゃない。
舞台映えする、華やかな、ベルの為のメイク。
鏡の中で少しずつ、私がベルに変わっていく。
(……大丈夫。私は、ベルだ)
自分に言い聞かせるように、鏡の中の不安気な自分を見つめた。
* * *
部室がノックされ、顔を覗かせた映研の部員から、放映が無事に終わり、ホールが開いたとの報告が来た。
「よぉーし!! みんな、そろそろスタンバイお願いします!」
部長の声が控室に響き、大道具係が腕まくりをして我先に部室を出て行く。
ベルの衣装を纏い、メイクを済ませた私は、鏡の前で最後にもう一度深呼吸をする。
「……よしっ」
最初のシーンのべルは村娘の姿。動きやすくシンプルな衣装——という事で、意外と動きのあるシーンが多い。
その後のドレスへの早着替えも何度か衣装係の部員と練習を重ね、別シーン中に着替え終わらないような事態にはならない……はずだ。
「理子」
鏡に映る自分の隣に、野獣の衣装を着た凛が立っていた。
特殊メイクと衣装で、すっかり「野獣」になった凛。
でも覗く目だけは、いつもの凛のままだ。
「……緊張してる?」
「……うん。そりゃあね」
「ふふ。私も」
凛がそっと私の手を握った。
「でも……大丈夫。理子となら、絶対うまくいくよ」
三日前、あの稽古場で聞いた言葉。
その言葉が今、また私の背中を押してくれる。
「……うん。凛となら、私も大丈夫な気がする」
握り返した手は、少しだけ汗ばんでいて。
その温もりが、たまらなく心強かった。
二人で顔を見合わせて笑う。
三日前は、想像もできなかった。
この短い時間で、ここまで来られるなんて。
……凛が、いてくれたからだ。
その時、部室の出入り口付近に人集りが出来て、皆が口々に驚きの声を上げている。
「……? 何だろう?」
凛と二人で入口へ視線を向けた時だった。
「理子ちゃんいる〜?」
聞き覚えのある声に、私は目を見開いた。
「……美月先輩!?」
そこには——松葉杖をついた美月先輩が立っていた。
怪我をした足首には、痛々しい包帯とサポーターが巻かれている。
「せ、先輩、来てくれたんですか!? 足、大丈夫なんですか……?」
「あはは、これくらい平気だよ。……自分のベルが、どうなるか。見届けないわけにはいかないでしょ?」
先輩はいたずらっぽく笑って、控室に入ってきた。
松葉杖を器用に使いながら、私の前までゆっくり歩いてくる。
「理子ちゃん」
「……はい」
そして——ぎゅっと、私の手を握った。
「三日で代役なんて。本当に、大変だったよね。……ありがとう。私のベルを繋いでくれて」
「先輩……」
「でも、ね」
先輩の目が、まっすぐ私の目を射抜いた。
「今日これから舞台に立つのは、私のベルじゃない。理子ちゃんのベルだから! ……胸張って、理子ちゃんのベルを、やっておいでね!」
その言葉に、思わず涙がじわ……と溢れ出そうになる。
怪我をして、一番悔しいのは、先輩のはずなのに。
それでも私の背中を、こんなにも、強く押してくれる。
「あーあー! 泣いちゃダメだよ理子ちゃん! メイクが崩れる!!」
「ッ……はい! 精一杯やらせていただきます!」
「うん。……客席から一番大きな拍手、送るからね」
美月先輩はそう言ってにっこりと笑った。
その笑顔に、私の中の最後の不安が——すっと消えていった。
「凛ちゃんも、ごめんね。あんなに練習付き合ってもらったのに」
「いえ、先輩と出来ないのは残念ですが……。理子と全力で演じてきます!」
「うんうん! よく言えました! それでこそ凜ちゃんだ!」
美月先輩と凜がしっかりと握手する。
その光景に、また……胸が熱くなる。
「……じゃ、二人共また後でね!」
「「はいっ! ありがとうございました!!」」
美月先輩が客席へ向かうのを見送って、私は息をついた。
……もう、大丈夫。
私は一人で舞台に立つんじゃない。
凛の想いも。
美月先輩の想いも。
部のみんなの努力も。
全部一緒に、この舞台へ連れていく。
(……絶対に、成功させる)
「理子、行こうか」
「……うん、行こう。凛」
エスコートするように凜が差し出した腕に手を添え、ゆっくりと歩き出す。
開演の時は——もうすぐだ。




