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彼の推しの中の人が私だなんて言えるわけがない!  作者: 濃厚圧縮珈琲


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28話

 学園祭本番まで、あと三日。

 その日のサークル稽古は最後の追い込みで、いつにも増して熱がこもっていた。


 衣装も小道具も揃って、あとは本番を待つばかり。

 空き教室を使った稽古場には、心地よい緊張感が漂っていた。



「じゃあ、ベルと野獣の城のシーンからいこっか!」


「「はいっ!」」


 部長の声に、美月先輩と凛が立ち上がる。

 

 既に出番の終わった私は、他の部員と共に二人の芝居を見つめていた。

 

 美月先輩のベルは、何度見ても惚れ惚れする。

 

 表情も、声も、立ち姿も。サークル一の実力者は伊達じゃない。

 くるりと軽やかに一人踊るシーンでも、笑みを忘れずに一瞬の切り抜きでもベルを崩さなかった。




「……わたし、あなたのことを、もっと知りたいの」


 ベルが壇上から見下ろす野獣に歩み寄る為、舞台用階段に見立てた段差を登ろうとした――その時だった。

 

「——あっ」

 

 誰かが漏らした小さな声と共に、美月先輩の身体がぐらりと傾いた。


「きゃっ……!」

 

 どさり、と受け身も取れず、美月先輩がその場に倒れ込んでしまった。


「美月先輩!?」


「先輩っ!!」


 一瞬で稽古場の空気が凍りつき、みんなが慌てて彼女へと駆け寄った。


 美月先輩は、足首を押さえて、苦しそうに顔を歪めていた。


「いっ……たぁ……」


「動かないで、美月さん! 今、保健室の人呼ぶから!」


 部長が血相を変えて、部員に指示を飛ばす。

 私もすぐに駆け寄って、先輩の足首の様子を確認した。

 ……腫れ始めている。これは……軽い捻挫じゃない。


「先輩、痛みは? ここ、触ると痛いですか?」


「……っ、うん……かなり……」

 

 その反応に、私は嫌な予感を覚えた。

 仕事柄、現場での怪我は何度も見てきた。

 この腫れ方と痛がり方は——おそらく、靭帯をやっている。

 ……二日後の本番で、舞台に立てるような状態じゃない。


 病院へ運ばれた美月先輩から連絡が来たのは、その数時間後だった。

 診断は、足首の靭帯損傷。全治——数週間。

 

 ……当然、二日後の舞台に立つことは不可能だった。

 稽古場に重い沈黙が落ちる。


「……どうしよう」

 部長が、頭を抱えてうずくまった。


「ベルは……主役だぞ。あの出ずっぱりの役を、今から代役なんて……」


 本番まで、あと三日。

 ベルは物語の中心。大半のシーンに彼女の出番がある。

 もちろん台詞も歌も踊りも、山ほどある。


 今から、誰かがそれを覚えて、舞台に立つ——?

 ……普通に考えれば、不可能だ。


「いっそ、公演中止にすべきじゃ……」


 誰かが、ぽつりと呟いたその言葉に、稽古場の空気がさらに重く沈んでいく。

 

 みんな今まで頑張ってきた。

 夏からずっと。

 それを、中止に——?


 二人のひそひそ話が次第に伝播するように部員へ広がっていく。

 そして次第に、頭を抱えて考え込む部長へと、一人また一人と視線が集まっていく。


 部長は顔を上げ、自身へ視線を向ける部員達を見回し、重い口を開こうとした――その時だった。


「……待って」


 静かなのに、はっきりと通る声。

 

 凛だ。

 

 みんなの視線が、凛に集まる。

 凛は自身へ集まる視線をものともせず——私を、じっと見ていた。



「理子に、ベルを頼めないかな」


「……えっ」


 私は、思わず顔を上げた。


「り、凛? 何言ってるの……?」


「理子なら、できるから」


 凛の真っすぐな瞳は、私の困惑の声を受けても揺るがなかった。


「彼女はストーリーも全部頭に入ってる。稽古もずっと見てきた。台詞だって覚えるのが早い。……それに」


 凛はそこで一息言葉を切り、すぐに続ける。


「この前、私の相手役でベルをやってくれた。あの時の理子のベル……すごく、良かった」


 稽古場が再び騒めき立つ。


「えっ、星野さんってそんなにできるの……?」


「確かに。星野さんってプロの劇団員さんなんでしょ? もしかしたら……」


 戸惑う部員たちの声。

 その中で凛は私を見つめたまま、もう一度はっきりと言った。


「理子となら、きっとうまくいく。だから、代役を引き受けて欲しい」


 その言葉が、すっと胸に届いた。


 私となら、うまくいく。

 誰もない凛がそう言ってくれている。

 私を……信じてくれている。


 でも……。


(……ベルは、主役だ)


 数千人の前でブレイブを演じた時とは、わけが違う。

 あれは顔を隠し、声も出さず、身体だけで魅せる役。


 でも、ベルは——素顔をさらして台詞を喋り、歌って踊る役。

 

 ……ブレイブとはまったく違う、使う筋肉も能力も違う、別の領域。

 しかも、本番まであと三日。

 

(……できるのかな、私に)

 

 重たい迷いが胸を過り、私の両肩を上から押さえつけているようなプレッシャーを感じる。


 だが、部長がすがるような目で私を見ていた。


「星野さん……お願いできないかな? 君しか、いないんだ」


 みんなの視線が、私に集まる。

 不安そうな顔。期待する顔。

 ……そして、凛の、まっすぐな目。


(……ここで、逃げていいの?)



 燃え尽きかけて、それでももう一度立ち上がった、あの時のこと。

 舞台に立つって、決めたじゃないか。

 ブレイブだろうと、村娘Bだろうと、ベルだろうと。

 与えられた役を、全力を尽くして演じる。

 

 それが、私だろう!!


 

 それに、美月先輩があれだけ大切に積み上げてきたベル。

 その想いまで、途切れさせるわけにはいかない。



 息を、深く深く吸い込み、一気に吐き出す。

 迷いも全て吐き出してしまうように。


「……わかりました」


 顔を上げて、私はハッキリと告げた。


「やります。ベルの代役、私にやらせてくださいっ!!」


 言い切って、皆へ頭を下げる。

 

 ……数秒の沈黙の後。

 稽古場の空気が歓喜に沸いた。


「……っ、ありがとう、星野さん!」


「星野さん……! よかったぁ……!」


 部員達も口々に安堵の声を上げる。

 その中で、凛がほっとしたように、そしてどこか嬉しそうに微笑んでいた。


「……ありがと、理子」


「ううん。……凛が、信じてくれたから」


 手にしていた台本をぎゅっと握り締める。


「さて……凛、そう言う事だから、稽古付き合ってね!!」


「……ふふ、もちろん!!」



 三日後の本番に向けて。

 私の、土壇場な新しい挑戦が始まった。

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