27話
指名の話を受けたあの日から、私は変わった。
というよりも——元に戻った、というべきかもしれない。
あの抜け殻みたいだった数日が嘘のように、身体の奥から、熱が湧き上がってくる。
ファイナルイベントは、まだ年を跨いだ先の話だ。
でも、目標が一つできただけで、世界はこんなにも違って見える。
「——もう一回、お願いします!」
稽古場で、私は何度も同じ動きを繰り返していた。
ブレイブの殺陣の動き。ダンス。決めポーズ。
大型ライブで掴んだ手応えを糧に、もっと深く、もっと完璧に。
最後の晴れ舞台で、悔いの残らないように。
「さっきより踏み込みが良くなってるよ! 凄い凄い!」
美咲さんが感心したように頷き、グッドサインを出してくれる。
「ありがとうございます……! もう一回、いいですか?」
「ふふ、燃えてるねぇ。この前まで死にそうな顔してたのに」
「……お恥ずかしい限りです」
苦笑しながら、汗を拭う。
本当に、現金なものだと自分でも思う。
でも——目指す場所があるって、こんなにも力になるんだ。
「では、もう一度通しでいきますっ!! よろしくお願いします!」
「はーい! じゃあ……3、2、1」
「ッ――!」
今は、目の前の事に全力で取り組もう。
一分一秒でも、無駄にはしたくないから!
* * *
午前のコマの講義が終わり、空腹と疲れを抱えた昼休みが始まる。
「うわっ、今日も混んでるね〜」
お昼時の学食はトレーを手にした学生達でごった返している。
一人二人くらいなら、窓際の横並び席を使うが、複数人で来るとテーブル席に座りたい。
食べ終わっても席でだべる学生もいる中、席取りは運とタイミングの戦いになる。
運が悪ければ、トレーを持ったまましばらく食堂内を散歩する羽目になってしまうから、協力が必須なのだ。
「私、席取っておくから、先に並んできなよ」
「いいの? じゃあ理子にまかせたっ! 理子の分の食券も買っとくよ!」
「ありがと、じゃあお金渡すね」
由美にお金を託して別れた後、食堂内をさっと見回していく。
(——そこっ!!)
既に空になった皿の乗るトレー。そして椅子に置いたリュックを背負い直す一団を見つけて、私は素早く人混みの間をすり抜け、すぐ近くで待機する。
一団がトレーを持ち上げて完全に席を立った瞬間、私は自分の荷物と筆箱を机上に広げ、場所取りを終える。
「ふぅ……」
食券の列へ視線を向け、並ぶ奈央達にサムズアップして席を確保出来たと報告する。
しばらくして、料理を手にやってきた三人と交代し、私も料理を受け取り、いつものようにテーブルを囲んでいた時だった。
隣のテーブルに座っていた男子集団が立ち上がり、空席になった――その瞬間、別の男子が滑り込むように席を確保しに来た。
(お疲れ様)
同じ席取りの任を無事に完遂した見知らぬ男子に心の中でエールを送る。
すると、少し離れたところから、聞き覚えのある声がした。
「お、席取れた? ナイスっ!」
「凄いラッキーじゃん! ……あっ」
声のした方へ何気なく視線を向けると——すぐ隣のテーブルに高坂君がトレーを持ってやってきた所だった。
目が合うなり、彼はにっこり笑って、軽く手を振ってくる。
「星野さーん、奇遇だね!」
「……こ、こんにちは」
会釈を返すと、隣で奈央が「ひぇっ」と小さく悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっと理子……! また高坂くんと……!」
「偶然だよ、偶然」
高坂君は友人たちと隣のテーブルに腰を下ろしながらも、こちらにも気さくに話しかけてくる。
「みんなも一緒だったんだ! いやー、学食混みすぎだよね!」
その爽やかな笑顔に、奈央と由美はすっかり緊張している。
……まあ、無理もない。あの高坂陽向が、すぐ隣にいるのだから。
「そうそう! そういえばさ!」
高坂君が、思い出したように身を乗り出した。
「もうすぐ学園祭だよね! 星野さん達の演劇サークル、舞台やるんでしょ?」
その一言に、奈央がぱっと食いついた。
「やるやる! 美女と野獣! 理子と凛も出るんだよ!」
「だよね! 俺も星野さんからそれ聞いて、楽しみで!」
高坂君の目が、きらりと輝く。
「凛は野獣役なんだって! ほら、この子カッコいいでしょ? めっちゃハマり役でさ!」
「おお〜、それは観たい! 絶対観に行く!」
「ちょ、奈央……」
止める間もなく、話はどんどん盛り上がっていく。
「理子は……えっと、村娘の役、だっけ?」
由美の言葉に、高坂君がこちらを見た。
「……っ、ほんとに、ちょっとしか出ないから。期待しないでね」
慌てて手を振るけれど、彼はもうすっかり乗り気だった。
「ええ〜、いいじゃん! 星野さんのお芝居、観てみたいんだよね!」
……困った。
いや、別に誰に観られてもいいんだけど……。なんだか彼に見られるのは落ち着かない。
そんな私を見て、ふと、高坂君が首を傾げた。
「……星野さん。なんか最近、雰囲気変わった?」
「えっ」
「なんていうか……前より、生き生きしてる感じ? いいことあった?」
思わぬ指摘に、私は言葉に詰まった。
……まさか、彼に気付かれるなんて。
「べ、別に、何も……」
「そう? でも、なんか良い感じだよ! うん!」
「お、陽向ぁ~。また女の子ナンパしてるぅ~!」
「違う違う! ただ友達と話してるだけだからっ! ねっ?」
「あ……はい」
あっけらかんと笑って、彼はまた友人たちとの会話に戻っていく。
その横顔を、私はそっと盗み見た。
(……ふぅーん)
なんだか、くすぐったいような。
胸の奥がほんの少しだけ、ざわついていた。
* * *
再点火された熱は、サークルの稽古にも、もちろん良い方向で影響を与えていた。
「星野さん、最初の村シーンのとこ、もう一回合わせてもらっていい?」
「はい、お願いします!」
たった数行の台詞。出番もほんの少し。
でも手を抜く理由には、ならない。
ブレイブだろうと、村娘Bだろうと。
舞台に立つ以上、私にできる最高を尽くす。それだけだ。
「……理子、なんか復活したね」
稽古の合間、隣にやってきた凛が、ふっと笑って言った。
「うん。ちょっと、いいことがあって」
「いいこと?」
「……まだ、内緒」
いたずらに笑う私の顔を見て、凛は何かを察したように、小さく頷いた。
「そっか。……理子が元気になったなら、よかった」
それだけ言って、また台本に目を落とす。
その横顔はなんだか、嬉しそうに見えた。
「そうだ。理子、ちょっといい?」
「ん? どうしたの」
「野獣の芝居、見てて何か気になるとこあったら、教えてほしくて」
凛の持つ台本は、いくつもの付箋や注意点の書き込みなどで、既に痛み始めている。
そのページを見つめる凛は、少し真剣な顔をしていた。
「理子、プロの目線あるでしょ。客観的に見て、おかしいとこあったら言ってほしいんだ」
「……いいよ。私でよければ」
演者として頼られるのは、素直に嬉しい。
私は凛の芝居を、何度か通して見せてもらった。
「……うん。凛の野獣、すごくいいと思う。強いて言うなら、ベルに心を開いていく中盤のとこ、もう少しだけ目線を柔らかくしてもいいかも」
「目線……なるほど」
「あと、台詞のない時の佇まいが大事だと思う。野獣って、言葉より沈黙で語る役だからさ」
「……さすが。参考になる」
凛は感心したように頷きながら、台本へガリガリとアドバイスを記した。
それから、ふと思いついたように、じっとこちらを見た。
「……ねえ、理子。どうせならさ」
「ん?」
「相手役、やってくれない? ベルのとこ」
「えっ!」
凛からの突然の申し出に、私は目を丸くした。
「いや、ほら。一人で芝居してても、相手がいないと掴みにくいとこあるから。理子が相手なら感覚がわかりやすいかなって」
「……仕方ないなぁ」
苦笑しながらも、私は台本を受け取る。
ストーリーは、とっくに頭に入っている。
みんなの稽古も、隅でずっと見てきた。
ベルの台詞だって……このシーンくらいなら、すぐに思い出せる。
「じゃあ、やってみようか」
台本を、ぱたんと閉じる。
そして大きく深呼吸をして――私は『ベル』になった。
「……あなたは、本当は優しい人なのね」
凛の野獣に向かって、台詞を紡ぐ。
怯えながらも、相手の本質を見抜こうとする芯の強いベル。
凛の目が、はっと見開かれた。
「……なぜ、そう思う」
すかさず、凛が野獣として返してくる。
低く、不器用で、それでもどこか縋るような声。
二人の台詞が、自然と噛み合っていく。
(……楽しい!)
久し振りに素顔で台詞を交わす芝居。
ブレイブの着ぐるみの中とは違う、この感覚。
気が付けば、私は夢中になってベルを演じていた。
「——はい、そこまで!」
ひと区切りついて、私は思わず笑った。
「ふふ、なんか楽しくなっちゃった」
顔を上げると——凛がこちらをじっと見つめていた。
その目がいつになくキラキラと輝いている。
「……理子のベル、すごくいい」
「えっ、そう? 即興だよ?」
「うん。すごく……合う。私の野獣と」
心底嬉しそうに語る凛の表情は、なんだか少年みたいで。
ついつられて、私も顔がほころぶ。
「ふふ、ありがと。凛の野獣が上手だからだよ」
二人で、顔を見合わせて笑い合う。
この時間が、何だかとても……楽しかった。
ただの稽古の合間のお遊びのはずなのに。
「また、必要な時があったら言ってね! 凛!」
「うん……ありがとう。理子」
大学と、サークルと、劇団と。
相変わらず、目が回るほど忙しい毎日。
抜け殻だった私とはもうさよならして、ファイナルイベントという最後の大きな目標に向かって。
そして、来週に迫った学園祭の舞台に向かって。
私はもう一度、全力で走り出していた。
……この時の私は、まだ知らなかった。
その学園祭で、思いもよらない出来事が待っているなんて。




