26話
大型ライブが終わって、早い物で数日が過ぎ去っていた。
あれほど身体を追い込んだ日々が嘘みたいに、私の毎日は、すっかり元通りになっていた。
講義に出て、友人と昼を食べて、サークルに顔を出して、稽古場へ向かう。
いつもの日常。
……なのに。
「——子? 理子さんやーい? 何だか、ぼーっとしてるよ?」
「え……あ、ごめん」
学食で、奈央に肩を小突かれて、私は我に返った。
「最近ちょっと疲れてる? 顔色いまいちだよ」
「……うん、ちょっとね。仕事が立て込んでて」
曖昧に笑って、味噌汁を啜る。
本当は、疲れというより——なんだろう。
心に、ぽっかりと穴が空いたみたいな感覚だった。
あの大舞台のために、夏中ずっと、走り続けてきた。
その目標を、やり遂げてしまった今。
……次に、何を目指せばいいのか、わからなくなってしまっていた。
そんな日の午後、廊下で高坂君に捕まった。
それも、すれ違った時には大勢いた、彼を囲んでいた友人をわざわざ教室に置いてまで追いかけて来る執念に、彼が追い付いてきた時には思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「星野さん! やっと会えた!!! ……聞いてよ! この前のライブ、ほんっとに最高でさ……!」
彼は、まだあの日の熱が冷めていないらしい。
メッセージアプリでも毎日、ライブの話をしてきていたが、直接話すまでその熱は冷める事は無かったらしい。
「特にブレイブがさ! 俺の近く通った時の——あ、これもう何回も言ってるか。でも何回でも言いたいッ! ブレイブが駆け抜けた瞬間、彼女の風を感じたんだよ!? もうパウチにして持って帰りたいくらいでさぁッ!!!」
「……ふふ、よっぽど楽しかったんだね」
目を輝かせて語る彼を、私は微笑ましく見つめる。
……あの時、あなたの近くを通ったブレイブが私だって事は、相変わらず言えてないけれど。
不思議と今日はその皮肉を噛みしめる余裕すら、あまりなかった。
ただ、彼の楽しそうな顔を、ぼんやりと眺めていた。
(……私、どうしちゃったんだろう)
あんなに頑張った大舞台のことなのに。
心が、うまく弾まない。
サークルの稽古でも、それは同じだった。
学園祭の『美女と野獣』の本番も、もう来月に迫っている。
私の村娘Bは、台詞も数行の端役。序盤のベルが町で踊って歌うシーンで、彼女に声を掛けるセリフ。
他の村娘と噂話をするセリフ。たったこれだけだ。
数千人の前でブレイブとして踊った身体で、今は隅っこで出番を待っている。
……別に、それが嫌なわけじゃない。
端役には端役の仕事がある。手を抜くつもりもない。
でも。
(……なんか、抜け殻みたいだ)
舞台の上で全力を出し切った後の、この虚しさ。
達成感の裏側に、こんな空っぽが待っているなんて、知らなかった。
「理子、どうしたの。元気ないね」
稽古の合間、隣に座った凛が、ぽつりと言った。
「……うーん。ちょっと、燃え尽きてるのかも」
「そっか。ライブ、やりきったもんね。ネットニュースとSNSで見たよ」
「ありがと。……そっか、やりきっちゃった……のかな」
凛はそれ以上は聞かずに、ただ静かに隣にいてくれた。
その気遣いが、今は少しだけ、救いだった。
* * *
そんな、宙ぶらりんな数日を過ごしたある日。
劇団の稽古場に顔を出すと、座長と美咲さんが真剣な顔をして私を待ち構えていた。
「星野さん、ちょっといいかな」
「……はい? 何かありました?」
改まった様子に、少し身構える。
すると、座長がにやりと笑って、一枚の書類を差し出した。
「君に、指名でオファーが来たんだ」
「……指名、ですか?」
受け取った書類に目を落として——私は、息を呑んだ。
そこに書かれていたのは、『ステラ☆フォース ファイナルイベント ステラ・ブレイブ役』の文字。
「……えっ」
「ステラ☆フォースのファイナルイベント、知っているだろう?」
座長の言葉が、ゆっくりと頭に染み込んでくる。
「先日の大型ライブでのお前のブレイブ。あれを見ていた先方のお偉いさんから評価されたんだよ。次の大舞台も、ぜひ星野理子さんに——ってね」
「……っ」
美咲さんが、私の肩に、ぽんと手を置いた。
「すごいよ、理子。指名だよ、指名。理子のブレイブが、ちゃんと色んな人に届いたってことだから」
ファイナルイベント。
ステラシリーズが最終回を迎えてから、約二週間後に行われるファンへの感謝イベントだ。
ステラ☆フォースが、あんなにキラキラした、あの世界が。
子供達が夢中になって、高坂君が誰よりも愛している、あの物語が。
……来年には、幕を下ろしてしまう。
そして同時に、それは。公式の舞台で、ステラ・ブレイブとして立てる——最後の、機会でもある。
(……最後のブレイブの晴れ舞台を、私が)
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
寂しさと、切なさと。
……でも、それ以上に。
空っぽだった心に、ふっと、火が灯るのを感じた。
ブレイブの、最後の晴れ舞台。
それを、私が——任された。
(……やるしかない、でしょ)
燃え尽きかけていたはずの身体の奥から、もう一度、熱が湧き上がってくる。
セピア色に見えていた世界が、再び色を取り戻していく。
最後に、最高のブレイブを。
彼女が大好きな、たくさんの人たちに——届けるんだ。
「……やります。やらせて、ください」
書類を握りしめて、私はまっすぐ、座長と美咲さんを見た。
「よし、いい返事だ」
「ふふ、そうこなくっちゃ」
二人が、嬉しそうに笑う。
窓の外では秋の空が高く澄んでいた。
……まだ、終わらない。
私のブレイブは、まだ——最後の輝きを残しているんだから。




