19話
私が旅行の余韻に浸っていられたのも、ほんの数日までの間だった。
夏休みの大半は、ほとんど稽古場で過ごすことになる。
何故なら――秋の大型ライブイベントで、私はステラ・ブレイブ役を任されているからだ。
多くのオーディションを経て、やっと勝ち取って掴んだ、大きな役。
この事を知っているのは、両親と、凛だけ。
絶対に……無様な姿は見せられない。
* * *
「おはようございます! 本日もよろしくお願いします!」
着替えを終え、まだ誰もいない稽古場に一礼して入る。
しっかりとストレッチで身体をほぐしてから、鏡の前で基礎の動きを反復する。
殺陣の型。立ち回り。決めポーズの一つ一つ。
ブレイブの動きを、自分の身体に染み込ませていく。
次第に他の劇団員の先輩方もやってきて、各々の稽古を始めていく。
朝から稽古場に来る人は公演の本番が近い人が多い。しばらく公演がない人は、午後からゆっくりやってくる事が大半だ。
「おはようございますっ!」
誰かが来る度に、一度動きを止めて挨拶をする。挨拶は何よりも大事。だから入団した時から欠かさず続けている。
「おはよう理子ちゃん~! 今日も早くから偉いねぇ、頑張って!」
「ありがとうございます!」
そのおかげか、劇団のみんながとても優しい……気がする。だからこそ、頑張ろうって思えるんだ。
* * *
「理子、そこの踏み込みが甘いッ! もう一回!」
「はいっ!」
美咲さんの鋭い指摘が飛んでくる。
今日は美咲さんに動きを見てもらう日。自主練よりもピリリと気が引き締まって、本番さながらに練習できるありがたい日。
いつも一緒に舞台に立つ仲間だからこそ、その意見はとても貴重だ。
何度も、何度も。同じ動きを繰り返す。
今は動きやすい運動着でやっているものの、本番はマスクをつけた状態での視界の狭さと息苦しさ。ガワの中の暑さと重さがある。
その制約の中で、どれだけブレイブに見えるか。どれだけブレイブそのものになれるのか。
それだけを、ひたすら考えていた。
そして、『ブレイブ』になるには、殺陣だけでなく……ダンスも必須。
最近のステラシリーズではEDで踊る事が伝統になりつつあり、その通りの振り付けで踊らなければならない上に、OP曲やブレイブのキャラクターソング、それの振り付けもある。
今度の大型イベントは、声優と主題歌の歌手の生歌に合わせて踊ったり、ショーもある。
だからこそ、そのどちらも、完璧にこなさなければならない。
稽古が終わる頃には、全身汗だくで、足が笑っている。
でも——この苦しさも、嫌いじゃなかった。
この経験が、この頑張りが……ブレイブに一歩ずつ近付いているのだと思えるから。
稽古のない日は、各地のイベントの仕事をする。
ある日は、ショッピングモールでのヒーローショーのMC。
マイクを握って、子供達を煽って、一緒に声を出して盛り上げる。
ある日は、別作品の戦隊ショーのアクター。
名前も顔も出ない、けれど確かに誰かの記憶に残る仕事。
夏休みシーズンは、とにかく……忙しい。
日焼けを避けて、猛暑による体調不良にも気をつけて。
倒れるわけにはいかないからと、箸が進まなくても無理やり食事も取り、睡眠もきっちり管理する。
地味で、ストイックで。時々SNSで見かける同年代の女子達のようなキラキラした生活とは天と地の差もある生活。
でも、これが私が自ら選び、望んだ夏だった。
* * *
そんな慌ただしい日々の中でも、スマホが鳴る瞬間が、私にとってのちょっとした息抜きになっていた。
稽古終わりに汗を拭きながら画面を見ると、大体通知が溜まっている。
その相手は高坂君だった。
『おつかれー! 夏休み楽しんでる??』
『俺は毎日ステラ三昧だよ!! 昨日も配信で過去回見返してた!!』
相変わらずの熱量に、思わず笑ってしまう。
『楽しんでますよ。私はちょっと、バタバタしてますけど』
『おお、忙しいんだ! バイト?』
(……バイト、みたいなもの、かな)
『まあ、そんな感じです』
『偉いなぁ! あ、そうだ!』
ぴこん、と続けてメッセージが届く。
『今度の日曜、ステラのイベントあるんだけど、よかったら一緒に行かない??』
その文面に、私は手を止めた。
(……今度の日曜?)
頭の中で、スケジュールを思い浮かべる。
……その日は、まさに私が出演する現場だった。
ステラ・ブレイブとして、ステージに立つ日。
(行けないも何も……私、そこにいるんだよなぁ)
苦笑しながら、文字を打つ。
『ごめんなさい、その日は予定があって』
『そっかー! 残念! じゃあまた今度ね!』
『はい、また誘ってください』
罪悪感が、少しだけ胸をかすめる。
嘘はついていない。予定があるのは、本当のことだから。
ただ——その予定が、彼が行くイベントそのものだとは、言えなかった。
(……今度も、会場で会うのかな)
マスクの奥から、こっそり客席を探す自分を想像してしまって、なんだか……落ち着かない気持ちになった。
高坂君とのやり取りで少しそわそわした後、もう一つ通知が来ていたトークを開く。
『稽古どう? 無理してない?』
今日も、凛からはそんなメッセージが届いていた。
短くて、飾り気がなくて。それでも、ちゃんと私を気にかけてくれている。
『してるかも。でも楽しいからいいの』
『理子らしいね。倒れない程度にね』
『善処します』
『してなさそう』
そのメッセージの後に、ため息をつくペンギンのスタンプ。
それを見て、私は思わず笑ってしまう。
凛は、私が無理をする人間だと知っている。
その上で、深追いせずに、ただ釘を刺すだけ。
その距離感が、心地よかった。
『そういえば、サークルの方の本読みもうすぐだよ』
『あ、美女と野獣の。凛、野獣役だったね』
『そう。我ながら適役すぎて笑える』
『ふふ、確かに。似合うと思う』
『……褒めてる?』
『もちろん』
『理子は村娘Bだっけ』
『うん、セリフがちょぴっとあるモブ。サークルあんまり顔出してないのに出してくれるだけでありがたいなって』
『……理子なら何でも出来るのにね』
『まぁまぁ』
他愛のないやり取り。
でもそれが何よりもありがたいものだった。
* * *
そうして、夏休みは過ぎていった。
猛稽古の日々。各地のイベント。汗だくのスーツの中。
その合間に届く、二人からのメッセージ。
慌ただしくて、地味で、でも充実した夏だった。
気が付けば、蝉の声はいつしか聞こえなくなり、日中の猛暑は相変わらず猛威を振るっているけども、夜風には少しだけ涼しさが混じり始めていた。
秋公演の本番も、もうすぐそこまで来ている。
稽古場の鏡の前で、私はブレイブの決めポーズを取る。
夏の間、ずっと磨き続けてきた動き。
……まだ、足りない。もっと、うまくなれるはず。
鏡の中の自分に、小さく頷いた。
「——次の通し、いきます!」
声を張ると、美咲さんが「よし来た!」と応えてくれる。
長い夏が終わり、新しい季節が始まろうとしていた。




