18話
コテージに戻ったものの、もう一度寝る気にもなれなくて、ウッドデッキに出て椅子に深く腰掛け、自然の音を聞きながら目を閉じる。
チェックアウトの時間までしか、この自然に包まれてリラックスする時間はないのだから、無駄には出来ない。
小鳥達の鳴き声や蝉の鳴き声に、いつしか意識が遠のいていき――次に目を開けた時には、凛の姿が近くにあった。
「あ、起きた。おはよ、理子」
「お……おはよ……凛。んんっ……寝ちゃってた」
座ったまま寝たせいか、背中と腰が少しだけ痛い。
ゆっくりと立ち上がって伸びをして、コテージの中へと視線を向ける。
「うぅ……頭いたい……」
奈央が頭を抱えながらヨロヨロと歩いているのが見え、由美も起きているもののぐったりしている。
「うわ、見事な二日酔い……。飲みすぎだよ二人とも……」
私は苦笑しながらコテージへ戻り、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して二人に手渡した。
「はい、お水。ゆっくり飲んで」
「理子……女神……」
「理子神様ぁ~……」
「はいはい、拝まなくていいから」
ぐったりする二人を介抱していると、後ろからやってきた凛が、ぽつりと口を開いた。
「……ねえ、理子」
「ん?」
振り返ると、凛がどこか気まずそうに視線を泳がせていた。
いつものクールな様子とは、少し違う。
「昨日の私……なんか、変なこと言ってなかった?」
「変なこと?」
「酔ってたから……あんまり、覚えてなくて」
(……覚えてないことにしたいんだろうな)
昨夜の凛は、いつになく素直だった。
あの言葉たちを「素面で言った」ことにするのは、凛にとって、きっと気恥ずかしいんだろう。
「別に、変なことは言ってなかったよ」
「……ほんとに?」
「うん。ただ……『理子といると楽』って言ってくれたのは、嬉しかったな~って」
「————っ」
凛の頬が、かあっと赤くなる。
そのまま近くの壁にもたれて、片手で顔を覆った。
「……忘れて」
「えー、なんで。いいこと言ってくれたのに」
「いいから忘れてっ」
くぐもった声で言う凛が、なんだかおかしくて、私はくすりと笑った。
いつも余裕たっぷりな凛が、こんな風に照れるのは珍しい。
何だかちょっとだけ、得した気分だった。
* * *
楽しい時間もあっという間に過ぎ去って、いよいよコテージを出なければいけない時間が来てしまった。
荷物をまとめて、忘れ物が無いか確認した後。最後にもう一度、ウッドデッキから海を眺めた。
昨日の喧騒も、今朝の出来事も、すべてこの海が見ていたんだなと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。
全員の荷物をトランクに詰め込み、運転席に乗り込んでシートベルトを締める。
「皆、忘れ物ない? 出発するよ?」
帰りの運転は、まず私から。
二日酔いの奈央と由美を後部座席に乗せて、来た道をゆっくりと戻っていく。
「うぅ……揺れる……」
「奈央、窓開けていいよ。風当たると楽になるから」
「理子ぉ……ほんと女神ぃ……」
「あと万が一の時の袋、シートのポケットに差してあるからやばかったら使ってね」
「ありがと理子様ぁ……」
後ろから弱々しい声が聞こえてきて、思わず苦笑する。
助手席には、凛。
すっかり酔いの抜けた様子の横顔は、いつもの落ち着きを取り戻していた。
「いつでも交代するからね、理子」
「ん、ありがと凛」
海のすぐ近くの赤信号で車が止まり、運転席側の窓いっぱいに広がる海に視線を向けると、ふと今回の旅行の思い出がよみがえってくる。
みんなではしゃいで波打ち際でじゃれあった事。凛と二人で潮騒を聞きながらのんびりとおしゃべりした事。それに……今朝の事。
気付いたら、口元が緩んでいた。
「……理子」
「ん?」
「なんか、ご機嫌だね」
凛の声に、はっとする。
「えっ、そう?」
「うん。さっきから、ちょっとにやけてる」
「そ、そうかな?」
慌てて口元を引き締めた。
でも、凛はじっとこちらを見ている。
何でも見透かすような、いつもの目で。
「……何か、いいことあった?」
「別に。海が綺麗だったなーって、そう思っただけだよ」
「ふうん」
凛は、それ以上は追及してこなかった。
でも、その「ふうん」には、どこか含みがある気がして。
私は前を向いたまま、なんだか落ち着かない気持ちになった。
(……凛は、昔から勘が鋭いから)
今朝のことは、誰にも言うつもりはなかった。
うまく説明できる気がしないし……それに。
何となく、自分だけの秘密にしておきたかったのだ。
また一つ、言えない秘密が増えてしまった。
私はそっとアクセルを踏み込んで、車を走らせる。
バックミラーに映る美しい海が、少しずつ遠ざかっていった。
またね。と手を振るように。
戻っておいでよ。と手招きをするように、波打ちながら。
* * *
帰り道は、来た時よりも静かだった。
二日酔いの二人は後部座席でうとうとし、運転を凛と交代しながら、来た道を北へ東へと戻っていく。
道の駅でお土産を買い足したり、サービスエリアで軽く休憩を挟んだり。
行きのような賑やかさはなかったけれど、その穏やかさが、旅の終わりらしくて心地よかった。
そして——夕方。
ようやく見慣れた最寄り駅へと帰ってきた。
「ふっかーつ!! もう大丈夫!!」
すっかり元気を取り戻した奈央が、ぐっと伸びをする。
「じゃあ車、私が返してくるね! レンタカー屋さん家の近くだし!」
「ほんと? ありがと、助かる」
「任せて! 運転代わってもらった分、これくらいするよー!」
奈央が荷物を抱えて、レンタカーに乗り込む。
「じゃ、みんなまたねー!! 楽しかった!!」
「ありがとう奈央! 気をつけてね!」
窓からぶんぶんと手を振りながら、奈央の運転する車が走り去っていく。
車が見えなくなるまで見送った後、由美もお土産で少し膨らんだ鞄をしっかりと持ち直した。
「じゃあ、私達も解散って事で!! お疲れ様でした~!!」
「お疲れ様、気を付けて帰ってね」
「お疲れ由美。お大事に」
由美も手を振りながら改札へ向かうエスカレーターに乗り、帰っていく。
残ったのは、私と凛だけ。
「……じゃあ、私達も帰ろうか」
「だね。途中まで一緒に帰ろ」
ずっしりと重くなった鞄を抱えながら、ゆっくりと歩いていく。
途中まで一緒に歩いていたが、いよいよそれぞれの家に続く分かれ道に差し掛かる。
「今日は……ほんと、お疲れ様。運転もありがとね」
「こっちこそ。理子がいてくれて、助かったよ」
「……また、サークルの練習で」
「……うん。また」
短い、いつも通りの別れの言葉。
でも凛は一瞬だけ、何か言いかけるように口を開いて——結局、ふっと笑っただけだった。
「……まだ早いけど、おやすみ、理子」
「うん。おやすみ、凛」
軽く手を振って、凛が歩き去っていく。
私も手を振って応え、しばらく見送ってから、私も帰路へ進んだ。
(……凛、最後に何を言いかけたんだろう?)
考えても、分からない。
その思考は歩いているうちに、いつしか明日の稽古の事に移り変わっていった。
* * *
夜。
シャワーを浴びて、旅の疲れを流して、ベッドに転がった頃。
グループのトーク画面が、ぽんぽんと賑やかに鳴り始めた。
『旅行の写真上げるねー!!』
奈央を皮切りに、大量の写真が投稿されていく。
海ではしゃぐ奈央と由美。
わさびソフトに悶絶する由美。
ケーキの灯りに照らされた、凛の綺麗な笑顔。
夕日を背に、四人でぎゅっと寄り添った写真。
『懐かしい! まだ昨日のことなのに!』
『楽しかったねー!! また行こうね!!』
私も、自分のスマホに収めた写真を選んで、みんなと共有する。
画面いっぱいに並んでいく、夏の思い出。
一枚一枚を眺めていると、自然と頬が緩んでくる。
(……いい旅だったな)
ほっこりした気持ちで、ごろりと寝返りを打った、その時。
別の通知が、ぴこんと鳴った。
——高坂君だった。
『お疲れー! 朝、すごい偶然だったね!!』
『俺らもめっちゃ楽しかったよ~! ほら、こんな感じ!』
続けて送られてきたのは、賑やかなBBQの写真と、海ではしゃぐ男友達の姿。
大学で見るのと同じ、明るい笑顔の高坂君がそこにいた。
『そっちはどうだった? 楽しめた?』
その無邪気なメッセージに、私はくすりと笑う。
今朝のあの静かな横顔と、この賑やかな笑顔。
どっちも、高坂君なんだなと思うと、なんだか不思議だった。
『こっちもすごく楽しかったです。海、綺麗でしたね』
そう打ち込んで、少し迷ってから、一枚だけ写真を添えた。
誰も写っていない、朝の浜辺の写真。
今朝、彼に会う少し前に撮った、一枚だった。
『あ、この浜辺! 俺が朝歩いてたとこだ!!』
『はい。同じ海を見てたんだなって』
送ってから、何だかちょっと恥ずかしくなる。
スマホを枕元に置いて、目を閉じる。
……楽しい旅だった。
でも、終わってみればあっという間で。
来年もまた、こんな夏が来るといい。
そう思いながら、私は眠りに落ちていった。




