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彼の推しの中の人が私だなんて言えるわけがない!  作者: 濃厚圧縮珈琲


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16話

 あれほど用意していた肉も魚も野菜も、すっかりとみんなの胃袋に消えて行き、お腹も落ち着いてきた頃。

 由美が、こっそり私に目配せをした。


(……そろそろだ)


 私は小さく頷いて、さりげなく席を立つ。


「ちょっとお手洗い行くね」


「はーい」


 凛にそう告げて、由美とコテージの中へ。

 冷蔵庫から、保冷バッグごと運んできたものを取り出す。


 小さなホールケーキ。

 溶けないか、崩れないか、道中ずっとひやひやしながら運んできた、苺の乗った可愛いケーキだった。


「無事でよかった……」


「ね。理子と私で死守してたもんね」


 由美がろうそくを刺して、私がライターで火を点ける。

 小さな炎が、ゆらゆらと揺れた。


「奈央には合図してある?」

「ばっちり。外で明かり落として待ってるはず」


 ケーキを持って、そっとウッドデッキへ戻る。

 ランタンの灯りが落とされて、辺りが暗くなっていた。


 

 奈央が夜空を指差し視線を誘導している間に、足音を殺してこっそりとテーブルへケーキを下ろす。

 

「——ッ!」


 奈央からのアイコンタクトを受けて、私は息を吸った。


「凛」


 私が呼びかける声に、凛が振り返る。

 

 その瞬間、ケーキの存在に気付いて——凛の目が大きく見開かれた。


「……えっ」


 ハッピーバースデーの歌が、夜空の下に響く。

 音程はばらばらで、奈央の声が一番大きくて、由美が手拍子をして。

 凛は、ケーキの灯りに照らされたまま、固まっていた。



「「「お誕生日おめでとう、凛!!」」」


「……嘘でしょ」


「嘘じゃないって。ほら、火消して」


 スマホのカメラを向けながら由美が促すと、凛はしばらく呆然としてから、ふっと息を吹いた。

 4本のろうそくの火が綺麗に消える。


 ぱちぱちぱち、と三人で拍手をした。


「……ケーキまで用意してたの」


「当たり前でしょ。誕生日だよ?」


「去年祝えなかった分も込みだからね!」


 凛は、しばらく俯いていた。


「……凛?」


 声をかけると、ゆっくりと顔を上げた。

 その目が、少しだけ潤んでいる。


「……みんな、ありがとね。……本当に」


 目をこすりながら笑う凛の笑顔は、いつものクールな笑みとも違う、とても綺麗な笑顔だった。



*   *   *



 小さいとはいえ、ホールケーキ。四等分していたとて、完食するといよいよ食べ過ぎの域に達してしまう。


「う……食べ過ぎた……」


 ケーキを食べる前から『満腹だよ!』と訴えかけていた胃には悪い事をしたと、優しくさすりながらウッドチェアーの背もたれに身を預ける。


 最後までウーロン茶で我慢していた私と違い、サワーやビールを飲んでいた三人はアルコールの影響もあるのか、まだまだ余裕そうな顔で取り留めもない会話に花を咲かせている。

 

 話し声に耳を傾けながら目を閉じて、ゆっくりと呼吸を落ち着けている時だった。


「花火ぃー!! 花火しよー!!」


 奈央の良く通る声が耳に入り、目を開けて奈央達の方へ視線を向けると、いつの間に準備していたのか、手持ち花火の詰まった袋を抱きかかえ、奈央がえへえへと笑っていた。


(……完全に酔ってる)


「いいねぇ~!! 海でやろうよぉ~! 青春~!!」


 舌足らずながらも由美も同意の声を上げ、凛もコクコクと頷き、両手をぐっと握り締めてトロンとした目を輝かせていた。


「理子も行こうよぉ~……海ぃ~!」


「……行きたいけど、海まで歩けるの?」


「だいじょぶだよぉ~。 ほらぁ」


 奈央が立ち上がってこちらへ歩み寄ろうとしているが、その足取りは覚束ない。


「……やめた方がいいって。やるなら一回みんなシャワー浴びよう? 酔い覚まさないと怪我するよ?」


「いいの~!! 花火やるのぉ~!!」


「わかった、わかったから。でも海はダメ。コテージの前でやろう?」


「えー、海がいいのにぃ~」


「暗いし足元見えないでしょ。それに、ここなら水道もあるから安全だよ」


 ぐずる奈央をなだめながら、私は手早くバケツに水を汲んで用意する。

 風向きを確認して、燃えやすいものが近くにないかをチェックする。火を扱う時は、念には念を。

 


「準備できたよ。じゃあ、やろっか」


「やったー!! 理子大好きー!!」


 奈央が抱きついてくる。完全に酔っ払いの絡み方だった。


「はいはい。火、気をつけてね」


 手持ち花火に火を点けると、ぱちぱちと色とりどりの火花が夜の闇に咲いた。


「うわー!! 綺麗ぃ~!!」


「見て見て! こっちピンク!!」


 奈央と由美が、両手に花火を持ってはしゃいでいる。

 危なっかしいけど、まあ……このくらいなら大丈夫だろう。


 バケツの近くに陣取って、私は二人を見守った。

 ふと隣を見ると、凛が一本だけ線香花火を手に、静かに小さな火花を眺めていた。


「凛は、はしゃがないんだ」


「……これくらいが、ちょうどいい」


 トロンとした目で、それでもどこか満足そうに、凛は火花を見つめている。

 その横顔が、花火の光にちらちらと照らされていた。



*   *   *



 花火を終えて、後片付けをして、順番にシャワーを浴びて。

 時刻はもう、夜の十一時を過ぎていた。


 唯一素面の私が最後にシャワーを浴び、寝間着に着替えて戻ってくると、奈央は既に布団に転がって寝息を立て、由美もむにゃむにゃと寝言交じりに何かを呟きながら、あっという間に夢の中へ旅立ったみたい。


 ……はしゃぎ疲れたんだろう。


 私も布団に入ろうとした、その時だった。

 

(あれ……凜?)


 凜の姿がない。

 周囲を見回すとベランダのカーテンが開いていて、夜風にゆらゆらと揺れていた。


 もしかしてとベランダの先のウッドデッキを見ると、人影が見えた。

 

 凛だった。

 手すりにもたれて、一人で夜の海を見ている。


(……酔い覚ましかな)


 私は眠る二人を起こさぬように、そっと歩いてウッドデッキへと出る。


「凛」


 声をかけると、凛がゆっくりと振り返った。


「……理子。まだ起きてたの?」


「それはこっちの台詞。酔い覚まし?」


「ん……そんなところ。ちょっと風にあたりたくてね……。まだ頭ふわふわするから」


 私は凛の隣に並んで、手すりにもたれた。

 夜の海は真っ暗で、ただ波の音だけが聞こえてくる。

 それに夏の虫の鳴き声が至る所から聞こえてきて、自然の中にいるんだと再認識させられる。


 空を見上げてみれば、信じられないほどの星が散らばっていた。


「……綺麗。すごい星」


「ね。天の川も東京じゃ見えないやつだよ」


 二人で、しばらく黙って空を見上げていた。

 潮の匂いを含んだ夜風が、火照った頬を撫でていく。

 昼間の喧騒が嘘みたいに思えるほど、静かな時間だった。


「……理子」


「ん?」


「今日、本当にありがとう」


「……もう何回も言ってるよ、それ」


「……何回でも言いたい気分なの。お酒のせいかな」


 ふふ、と凛が笑う。

 いつものクールな凛とは違う、ゆるんだ笑い方だった。


「私さ。最初、東京来た時……正直、ちょっと怖かったんだ」


「怖かった?」


「うん。地元じゃ……まあ、こういう見た目だから。色々あってさ」


 凛は自虐気味に笑うと、風に揺れるサラサラの髪を軽く撫でて続けた。


「変に男子にも絡まれるし、ちょっと過激な女の子ともトラブっちゃって。だから他人と深く関わらないようにしてた。好きな演技だけしてればいいやって」


 初めて聞く話だった。

 いつも飄々としている凛の、知らなかった一面。


「でも、理子は……普通に接してくれたから」


「……普通って」


「普通が、一番嬉しかったんだよ。見た目とかじゃなくて、普通に私を見てくれたから」


 空を見上げた見たまま、絞り出すように漏らした言葉に、私は凛の顔へ視線を向ける。

 星明かりに照らされた横顔は、いつもより少しあどけなく見えた。


「演劇馬鹿同士、気が合うってだけかもしれないけど。……理子といると、楽なんだ。すごく」


「……私も」


 気がついたら、そう返していた。


「私も、凛といると楽だよ。一番、気を遣わなくていい」


 冗談交じりに笑いながら言ったその言葉に、凛が少しだけ目を見開いた。

 それから、ふっとやわらかく笑った。


「……そっか」


 ただそれだけ言って、また星空を見上げる。

 その横顔が、何か言いたそうで、でも言わないことを選んだように見えたのは——きっと、気のせいだ。


 私には、凛が何を考えているのか、わからなかった。

 ただ、この静かな時間が心地よくて。

 二人で並んで、いつまでも星を見ていた。


「……理子」


「ん?」


「来年も、再来年も。……ずっと、こうやって一緒にいられたらいいね」


「……うん。そうだね」


 私は、深く考えずにそう頷いた。

 就職して、それぞれの道に進んでも。

 この友人()とは、ずっと繋がっていたいと、純粋にそう思ったから。



 でも——凛がその言葉に込めたものを、私はまだ、知らなかった。

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