15話
あれからたっぷりと海を堪能してコテージに戻ってきた頃には、日はもう傾き始めて夕方に差し掛かろうとしていた。
「はぁあ~! 遊んだ遊んだぁ~!!」
奈央が玄関で大きく伸びをすると、さらりと白い砂がまだ濡れた彼女の髪からこぼれ落ちる。
帰ろうとした瞬間、「最後だからぁーっ!」と海に飛び込んだ奈央は全身砂まみれ、髪は潮でごわごわ。
……ちなみに海に入った由美も似たような状態だった。
私と凜は足元しか海に入っていないのと、コテージに帰る前に水道でビーチサンダルごとしっかりと砂を洗い流していた為、そこまで不快感はない。
「シャワー! シャワー浴びたい!!」
「順番でしょ。じゃんけんで決めよ」
由美が言うと、奈央がすぐに手を構えた。
「よし! 最初はグー!!」
じゃんけんをする二人を半笑いで眺めていると、一回のあいこを挟み、一番手は奈央、二番手は由美に決まった。
「やったー! 一番風呂!!」
奈央が嬉しそうにタオルを持って浴室へ駆けていく。
それを見送って残された私達は、日が暮れてしまう前にと、いそいそとBBQの準備を始めた。
冷蔵庫に入れておいた肉に野菜、ソーセージ、地元で買った海鮮をキッチンへと並べていく。
「あ、野菜は任せておいて! 由美特性の焼きトウモロコシの準備も進めてるから!」
由美が腕まくりしてから手慣れた手付きでトウモロコシの皮を剥き始める。
「醤油とバターで香ばしく仕上げるからね! これがもう絶品なんだから!!」
「楽しみにしてるよ」
「期待してていいよ!!」
鼻歌交じりに仕込みを始めた由美に野菜は任せ、残るは肉と海鮮の下処理か、炭の準備。
「理子、どっちやりたい?」
「うーん……凜のやらない方……?」
「……それじゃ意味ないでしょ。じゃあ……私炭の方やってくるよ」
「あは、ありがとう。じゃあこっちは任せて」
苦笑しながらも汚れないように腕まくりをして、ウッドデッキに出て行く凜。
途中虫よけスプレーをかける音が聞こえ、抜かりないなと思わず口元に笑みを浮かべてしまう。
「ねー理子。魚とかって捌いた事あるの?」
「うん。実家にいた頃だけど何回かやった事あるよ」
最初に手を伸ばしたのは、パックにラップで封をされた大きなアジ。まだまだ目が透き通っていて鮮度の良さを感じさせてくれる。
ぜいごを削ぎ取り、鱗を取ってから頭を落とす。
「わぁ、打ち首だぁ」
「……またつまらぬものを切ってしまった」
「ぶふっ……理子ぉ!」
「ふふふ……」
おふざけする時はちゃんと手を止めておく。刃物を扱う時は集中しないと危ないからだ。
そのまま内蔵を取り、良く洗ってから片開きに捌いていく。
このアジ達は大きいから、そのまま塩焼きにしようと思ったのだ。
アジが終わったら貝類とエビにも手を出していく。……といっても、エビの殻剥きぐらいしかやる事はない。後はそのまま焼いてしまえば良い物ばかりだ。
「由美お待たせ~!! って、おぉ……! 準備凄い進んでる! ごめんね!!」
「いいよいいよ~。理子、野菜の方もうすぐ終わるけど、シャワー行っちゃっていい?」
「うん、もちろん。髪痛んじゃうもんね」
「ありがとう~! じゃあ行ってくる!」
野菜担当の由美と交代でキッチンに立った奈央が、カット済みのボウルの中を覗いてピタリと動きを止める。
「ね、ねぇ理子。由美……凄い量の野菜切ってるんだけど、食べられるかなこれ」
「え?」
視線を奈央の方へ向けると、大きめのボウルから頭を覗かせるほどの嵩が出た野菜たちが鎮座していた。
「あー……。ほら、野菜って身体にいいから」
「ひぃぃぃーっ!!」
* * *
奈央と由美のシャワーも終わり、食材の準備も終わった私達がウッドデッキに出ると、空がオレンジ色に染まり始めていた。
「うわぁ……夕日、めっちゃ綺麗だよ理子!」
手すりにもたれ、食い入るように空を眺めていた由美が、こちらを振り返って言う。
昼間のきらきらした青とは違う、柔らかな金色の光。波の一つ一つが、夕日を受けてオレンジに輝いている。
「……ほんとだ!」
私も、由美の隣に並んで海を見た。
夕方の風にはほんのりと涼しさも混ざり、空調のない外でも充分過ごせそうな心地良さがあった。
「東京じゃこんな夕日、見れないよねー」
奈央が缶ジュースを片手に、しみじみと言った。
「向こうはビルばっかだもんね」
作業の手を止めて、凛も私の隣へと並んだ。
段々と空もオレンジから深い青に色を変え、同時に海も黄金色から深い青に色を変えつつあるのを、四人で並んで眺める。
聞こえてくるのは海の波打つ音と、夕風に撫でられサラサラと音を立てる木々の葉擦れの音。
時々聞こえて来るカモメかウミネコか、海鳥の鳴き声がノスタルジーな気分にさせる。
「あっ!! 写真!! ほらほらみんな!! 寄って寄って~!!」
そんな空気をぱっと明るくするのは、奈央の声だった。
自撮り棒はなく、みんなが画角に入るように頑張って奈央が腕を伸ばしてスマホを構える。
自然とみんなの距離も近くなり……いや、近い所ではなくぴったりと密着するくらい寄って、ようやく画角に収まった。
「撮るよーっ!」
シャッター音と共に、かけがえない時間の思い出がまた一枚、増えていった。
* * *
「さぁて! 火起こしは私に任せて!! キャンプで慣れてるから!!」
奈央が腕まくりをして、凛が準備していた炭に火を起こし始める。
意外なことに、その手際は本当に良かった。
「奈央、こういうの得意なんだ?」
「ふふーん、家族でよくキャンプ行くから! 妹にもこういう時だけ頼りになるって言われる!!」
「こういう時だけ……」
「そこっ! 強調しないっ!!」
由美がくすくす笑いながら、食材を並べていく。
私は紙皿やトング、調味料を並べ、凛は炭の様子を見ながら、奈央の隣で網のセッティングを手伝っていた。
それぞれが、自然と役割を見つけて動いている。
誰が決めたわけでもないのに。
やがて炭が良い感じに熾ってきて、奈央が網を乗せる。
「よぉ~し、焼くよー!! どんどん持ってこーいっ!」
「奈央シェフの仰せのままにー!」
次々に鉄串に刺した食材を網に並べていると、少しずつ温まってきた網の上で肉が軽やかな音を立てて、香ばしい煙が立ち上っていく。
「うわー! いい匂い!! お腹すいた!!」
「奈央、まだ網空いてるからどんどん焼いて」
「りょーかい! でも……あ”ぁ~……匂いだけでご飯三杯いけるー!!」
次々と焼き上がる串を取り合い、火の通りにくいカボチャ等の野菜を網の端に並べ、焼きトウモロコシの完成を今か今かと待ちわびる。
空が藍色に変わっていく中、コテージのウッドデッキだけが、炭火とランタンの灯りで温かく照らされていた。
——そして。
「えー、本日はお集まりいただきまして~まことにありがとうございます!」
全員の紙皿に肉や野菜が行き届き、キンキンに冷やされたサワー缶とウーロン茶の紙コップが並んだタイミングで、奈央が梅サワーを手に立ち上がり、芝居がかかった喋り方で話し始めた。
「本日は、我らが霧島凛さんの、記念すべき二十歳のお誕生日でございます!!」
「わー! ぱちぱちぱちー!」
由美が合いの手で拍手をする。
「……なんで急に司会者なの」
凛が呆れたように呟くが、奈央は止まらない。
「ここで! 一言ずつ! 凛へのお祝いメッセージを頂きたいと思いますっ! まずは由美さんから!」
「え”っ、私から!?」
いきなり振られた由美が、慌てて紙コップを持って立ち上がる。
「えーっと……凛! いつもクールでかっこよくて、私の憧れです! でも今日みたいに笑った顔が一番好き! 二十歳おめでとう!!」
「おー! いいこと言う!!」
由美がぺこり会釈してと座ると、奈央が私に視線を向けた。
「続いて、理子さん!」
「……はい」
紙コップを持って、少し考える。
凛と過ごした時間を、頭の中で巡らせて。
「……凛は、どちらかと言えば物静かで、最初は怖い人かなって思った。でも今は……肝心な時に一番近くにいてくれる大事な親友だって思う」
凛が、こちらを見た。
「私が困ってる時、多分誰よりも先に気付いてくれてる。口には出さないけど」
「……」
「だから……今日は感謝を込めて、お祝いするね。凛、二十歳の誕生日、おめでとう」
言い終えると、凛は少しだけ目を伏せた。
ランタンの灯りのせいか、その頬が少し赤く見えた。
「……理子、ずるい。良いこと言いすぎ」
「本心だよ」
「もー! 理子のが良いこと言うじゃーん! 負けたー!」
奈央が悔しそうに地団駄を踏む。
「じゃあ最後、奈央のお祝いの言葉は?」
由美が促すと、奈央はびしっと缶を掲げた。
「凛!! 二十歳おめでとう!! これからも一緒にいっぱい遊ぼうね!! 以上!!」
「……短い」
「シンプルイズベストっ!!」
その潔さに、思わず三人で笑った。
「それじゃあ……改めましてお手を拝借!」
奈央が缶を高く掲げる。
「霧島凛さんの、二十歳のお誕生日を祝して……かんぱーい!!」
「「「かんぱーい!!」」」
冷えた缶と紙コップが、ランタンの灯りの下で軽くぶつかり合う。
私のウーロン茶も、しっかりとその輪に加わった。
凛がレモンサワーを一口飲んで、ふっと息を吐く。
「……どう? 初めてのお酒」
「んー……意外と甘酸っぱくて飲みやすい、かな」
「いけるくち?」
「どうだろ。でも……」
凛が、暗い海の方を見た。
「今日は、美味しいって思うかも」
その横顔に浮かぶ笑みは、いつもよりも深い笑みだった。
「さぁ~~~!! お肉お肉~!!! 冷める前にどんどん食べてってねー!!」
「いぇーいっ!!」
あっという間に配膳されていた肉たちは胃袋に収まり、次々と新しい肉や海の幸が焼ける香ばしい香りが潮の香りを上書きしていく。
「はい、理子。焼けたよ」
凛が焼けた肉を私の皿に乗せてくれる。
「ありがと。凛も食べてる?」
「食べてるよ。……はい、これも」
また一つ、焼き立ての肉を乗せてくれた。
「ありがと。……って、凛も食べなよ」
「食べてるって」
そう言いながらも、凛は私の皿ばかり気にしている気がした。
……誕生日なんだから、今日くらいは私が世話を焼く側でいたいんだけど。
「凛、今日は主役なんだから。座ってていいんだよ?」
「……主役って柄じゃないし」
「柄とかじゃなくて。誕生日でしょ」
私がそう言うと、凛は少し黙ってから、ぽつりと言った。
「……理子に世話されるの、なんか変な感じ」
「失礼な。私だって世話くらいするよ」
「ふふ、知ってる」
そんなやり取りをしている横で、奈央と由美が肉を巡って攻防を繰り広げていた。
「あー! それ私が狙ってたやつ!!」
「早い者勝ちだよー! ん~美味しっ!」
賑やかな声が、夏の夜に溶けていく。
炭の爆ぜる音。波の音。みんなの笑い声。
ランタンの灯りに照らされたウッドデッキは、世界で一番あたたかい場所みたいだった。
肉を取り合う奈央と由美。私の皿をそっと気にかけてくれる凛。
そしてウーロン茶を片手に、その全部を眺めている私。
(……ずっと、こんな夜が続けばいいのに)
叶わないと知りながら、そう願わずにはいられなかった。
来年は、きっとこうはいかない。
だからこそ——今夜を、忘れないでいたいと思った。




