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好意と嫌悪

「シナちゃん、似合う?」


 シナに着付けをしてもらったひなは、初めて袖を通した着物に嬉々として聞き返してみた。シナは言葉を話すことが出来ないのか、ただ小さく頷き返すばかり。

 着物はもとより、浴衣にさえ袖を通したことが無かったひなにはとても新鮮だった。似合うと褒めて欲しくてシナを見上げるも、彼女は面を付けているから表情を見る事さえも叶わない。だが、決して否定的ではないことがひなにもよく伝わっていた。


「ひなはねぇ、この黄色い着物が好きだなぁ。朝顔のはお姉さんになったような気がする。でも、着物ってちょっと苦しいね」


 普段から着ていればそんな事もないだろうが、きつく締め上げられる事にどうしても息苦しさを覚えてしまう。それでも背筋がしゃんとして気が引き締まるような気がした。


「お洋服と違うから、動きにくいかも」


 今まではTシャツやパーカーに短パンやスカートを履いていた分、腰と足回りの自由が制限されてよろよろとよろけてしまいそうになると、慌ててシナが支えに来てくれた。


「ありがと、シナちゃん! ね、麟さんに見せに行っても良い?」


 そう言うと、シナはこくりと頷き返した。

 ひなは彼女と共に長い廊下に出て、麟の居る大広間に向かって歩き出すが、いつも通りの歩き方が出来ず小股でちょこちょこと歩くしかない。それがもどかしく思いながらもやっとの事で麟のいる大広間の障子からひょっこり顔を覗かせると、ひなの気配に気付いた麟が振り返る。


「あぁ、着替え済んだんだね」

「うん」


 ひなは大きく頷き返し、パタパタと駆け寄って来るとヤタと麟の間に自分の体を捻じ込むようにして割り込んだ。突然間に割り込んでこられたヤタは怪訝な顔を浮かべているが、当のひなは嬉しそうに微笑んだままちょこんと座り込み、着せてもらった着物を見せる。


「どうかなぁ?」

「あぁ。よく似合ってる。八咫烏、お前もそう思うだろう?」


 にっこりと笑って褒める麟に気を良くしたひなは、チラッと隣にいるヤタを見上げた。ヤタは複雑な顔をしていたが、やがてふっと小さくため息を吐いてひなを見下ろしてくる。


「あぁ、そうだな。想像してたよりずっといい感じだ」

「……」


 ぶっきらぼうながらもヤタにも褒められ、ひなはパッと表情を明るくして嬉しそうに顔を赤らめた。


「えへへ。ヤタさんもありがと~! ひな、この着物すっごく好きだよ! 大事に着るからね!」


 他人から与えられる喜びをひしひしと肌身に感じ、ひなの心は満たされていく。

 誰かに甘えたいと思った事も、甘やかされてみたいと思った事も、ここでは叶う。初めて自分は存在してもいいのだと、そう確認することが出来る唯一の場所だった。 

 ただ、そこにべったりと依存し甘んじていてはいけないと言う事も、ひなには十分に分かっていた。依存してしまうことでもしこの先また離れなければならなくなった時に手痛い思いをするだろうことは少し考えれば分かる。ひなは、その痛手の方が恐ろしかった。


 それでも、こうして二人の間にいられる今がどれだけひなの心を安定させている事か。今まで祖父母に挟まれていても得られなかった安心感がここにある。すると背後から別の足音が聞こえ、ひなは何気なく後ろを振り返った。


「失礼いたします。麒麟様、少々宜しいでしょうか」


 その時大広間の廊下に一人の女性が現れる。

 しゃんとした背筋に、頭には猫の耳が生えた少々性格がキツそうに見えるも綺麗な女性だった。その声に「あぁ」と短く呟いた麟は、ぽんと膝を一つ打ち立ち上がった。


「ひな。すまないが私はこれから仕事に戻らなければならない。今しばらくは屋敷の中で大人しく過ごしてくれ」

「え? お仕事……?」


 仕事、と聞くと途端にひなは表情を変えた。

 記憶には無いが、幼い頃父親は「仕事に行く」と行って家を出て行ったと聞いている。 祖父母がいつまでも戻らない息子を心配して仕事先に連絡をすれば、彼は仕事を数日前に退職し、海外に行ったと言われ愕然としたと言う。それっきり音信不通になったまま帰ってこなかったと言う経験があるだけに、もしかするとこのまま麟もいなくなってしまうのではと反射的に麟の着物の袖を掴んだ。


「ひな?」

「麟さん……ちゃんと帰って来る?」

「もちろんだよ。君を絶対に一人にはしない」


 着物を掴んだまま不安がるひなに、麟はにっこりと微笑み彼女の頭を撫でる。その横でヤタも立ち上がろうとする姿を見て、ひなは困惑の色を濃くした。


「ヤタさんも?」

「そりゃそうだ。麟の手伝いをしないと」

「ヤタさんもいないの……?」


 いくら絶対に戻ると言われても、不安な気持ちが拭えないのは否めない。

 特に気にかけてくれている二人が同時に屋敷を離れると言う事は、この広い屋敷の中にいるのは自分とシナ、そして他の女中だけだ。その中でも唯一面識があると言うのはシナぐらいなものだ。

 先ほどまでの元気はどこへやら。しょぼんとして肩を落とすひなに麟はヤタを振り返った。


「八咫烏。今日はひなの傍にいてやってくれないか」

「え? あ、いや、しかし……」

「私の方はマオもいるから何とでもなる。ひなはここに来てすぐで、私たちが同時にいなくなっては不安がるだろう? だから、今日は一日彼女の傍にいてやってくれ」


 憮然とした顔を浮かべるヤタと麟が話をしている間、ひなが何となく後ろで待っているマオと呼ばれた女性に視線を向けると、思わずゾッとしてしまった。彼女は睨んでいる。ただでさえ鋭い眼差しでキツイイメージを与えていると言うのに、身も凍るような鋭い眼差し。それはひなの前にいる麟とヤタに向けられたものではなく、明らかに自分に向けられたものだ。


(……何で、あのお姉さんはひなの事睨むの……?)


 マオの顔を見ていられず、逃れるように視線を外したひなの顔は青ざめていた。

 ここには誰も自分を拒絶する者はいない。麟もそう言っていたし自分もそうだと感じていたが、どうやら彼女は自分の存在を快くは思っていないようだった。チラリと麟やヤタの様子を伺い見れば、マオは二人にとって信頼できる人物の一人なのだろうと言う事は分かる。だから安易に「マオが自分を睨んでいる」などと言えない。何よりそれを口にする事で、もっと酷い事が自分に身に降り掛かるかもしれないと思い、ひなは口を閉ざした。


「……分かったよ。今日だけだからな」

「すまないな。頼んだよ」


 そう呟いたヤタの言葉にハッとなったひなが麟達を見ると、麟は困ったように笑いひなの頭をそっと撫でてくる。


「ひな。今日は八咫烏が君の傍にいる。安心して欲しい」

「う、うん」

「じゃあ、行って来るよ」

「あ……はい」


 名残惜しそうに髪に触れている麟に、ひなは気後れしながら返事を返した。そして麟の手が離れマオの元へ向かうと、先ほどまで凍てつくような眼差しをこちらに向けていたマオの表情が一変し、キリっとした表情で麟を見上げ口を開いた。


「実は、現世からの御霊の数が急遽予定よりもかなり多くなってまして……」

「何かあったのか?」

「詳しくは分からないのですが、おそらく突発的な事故が原因かと……」


 ひそひそと状況を説明している声が俄かに聞こえて来る。

 麟は近況報告を受けながらその女性と共に離れの棟へと出掛けて行った。

 ひなはヤタが傍に残ってくれると分かりホッとして、隣にムッとした不機嫌な顔でどっかりと胡坐をかいて座り直す彼の姿を様子を窺うようにそっと見上げた。


「……ヤタさん」

「何だ?」

「あ、あのね……」

「?」

「……」


 思わずマオの事をヤタに言おうとして、やはり怖くて言い出せずひなは申し訳なさそうにしながら思っていたことを口にする。


「ヤタさんて、麟さんの事好きなの?」

「す……っ!?」


 そう訊ねられたヤタは途端に顔を真っ赤に染め上げ、先ほどまでの不機嫌そうな顔が一気に崩れ去り、激しくむせ返った。

 思っていたのとは違うヤタの反応に、ひなは思わずぽかんとしてしまう。その彼女の表情を見て激しく動揺してしまった自分が恥ずかしく思ったのか、ヤタは体勢を立て直し一度大きく咳払いをし、取り繕うように口を開いた。


「り、麟は俺の主だからな! 慕って当然だろう!」

「そっかぁ……そうだよね。ごめんね? ひなが我儘言ったからここに残ってもらう事になっちゃったんだよね……」

「……」


 申し訳なさそうに呟くひなに、ヤタは眉間に皺を寄せた。

 ひながそんな事を考えていたとは思い至らなかった自分に、気まずい気持ちが生まれる。


「別にお前が悪いとは言ってないし、気に病む事じゃない。ただお前を一人にさせておくのが心配なだけだ。麟は優しいやつだからな」


 ヤタは腕を組みぶっきらぼうにそう言いつつ一瞬視線を逸らした。だが、チラリとひなに視線だけを向けるとどこか元気のないひながいる。ヤタは長い溜息を吐きながら腕を解いて麟がそうしていたようにひなの頭に手を置き、ぐしゃぐしゃとやや乱暴に撫でる。突然の事に驚いたひなだったが、嫌な気持ちにはならない。


「あと、ヤタさん、もしかしてひなの事嫌いなのかもって思ったから……」

「いや……それは、ただ、何だ……。俺は子供の扱いを知らないし、どうしていいか分からないだけで……」

「ほんと!? じゃあ、ひなの事嫌いじゃない?」

「そ、そうだな……」

「良かったぁ!」


 ひなはようやく不安げな表情から破顔し、ヤタにしがみついた。

 しがみつくひなをどう扱っていいのか分からず戸惑うばかりのヤタだが、懐かれるのは悪い気がしない。


「あ……でもヤタさん。明日は麟さんのお仕事手伝いに行っても大丈夫だからね?」

「ん?」

「だって、好きな人の近くにいたいでしょ? ひなもそうだもん。だからヤタさんもそうなのかなって思って」

「……ッ!?」


 純粋な気持ちで笑うひなに、ヤタは言葉に詰まり再びむせてしまった。

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