初めてのお祭り
「わぁ……」
街まで降りてきたひなは、感嘆の声を上げた。
江戸時代を彷彿させるような長屋の家々がずらりと並び、碁盤の目のように規則正しい道が街の中を通っている。上を見上げれば、電線があるわけでもないのに浮いて漂う赤い提灯が無数にあり、中にふわふわとした小さな発光体が入っているのが見える。
「麟さん、あれって虫?」
ひなが不思議そうに提灯を指さした。その瞬間、発光体がもぞっと動き、黒くて小さな目のようなものが二つ見えた。
「動いた! もしかしてあれも妖怪?」
ひなの視線を追って見上げた麟は「あぁ」と短く答える。
「あれは火灯虫というあやかしだよ」
見れば、灯りが弱まりだしている火灯虫の元へ別の火灯虫がやってきて、後退している姿があちらこちらに見てとれた。
ひなは視線を街中に戻すと、街を歩く人々は談笑したり食べ歩きをしたり、現世でも当たり前のような光景がある。ただ違うのは、一つ目であったり、とんでもなく頭部が大きかったりと、人の姿とはかけ離れた多種多様な容姿だということだ。しかもそれを指さして笑う者もいなければ、嫌悪感を示す者もない。
「ねぇねぇ! そういえばさっきそこの反物屋から超カッコイイ男の人が出てきたの、見た?」
「え? うそ! 見てない! どんなだった?」
通り過ぎざま、女性のあやかし二人が黄色い声を上げながら話している会話が聞こえてくる。こうしてすれ違うあやかし達の言葉を聞いていると、現世にいる人間たちの会話と何ら変わりはなかった。
「こんな世界、あったんだ……」
ひなは自分が見ていた世界の狭さを痛感していた。
どんな容姿でも何をしていても誰も何も言わない。当たり前のように受け入れている。その世界がひなの目には新しく、強烈に魅了し、自然な笑みをもたらす。本来の子供らしさというものを垣間見せるひなの様子を見て、麟も満足そうに笑みを浮かべていた。
「ひな、こんなの初めて! お祭りみたい!」
感じたことのない熱気と活気に頬を紅潮させ、僅かに声が上擦るほどに感激の意を伝えるひなの目は生気が宿りキラキラと輝いていた。
「!」
ふいに、ひなは動きを止めて自分のお腹を押さえる。そしてちらりと気恥ずかしそうに麟を見た。麟は不思議そうに彼女を見つめると、すぐに理解したように反応する。
辺り一面に充満し、胃袋を強烈に刺激する濃厚な食べ物の良い匂いは、満たしきれていないひなの腹を容赦なく刺激してくる。
「お腹が空いたのかい?」
くすくすと笑う麟に、ひなは顔を赤らめて小さな体をより小さくしながら視線を逸らす。
「ち、違うもん……」
「何か食べていこうか」
その言葉に、反射的にひなは麟を見た。
「あ」
期待に満ちた瞳とは裏腹に、つい反応してしまった自分の動きにますます顔が赤らむ。
麟は笑いながら彼女を下に降ろし、再び手を引いて街の中を歩きだした。
ひなは火が出そうなほど赤らんだ顔を俯ける。麟と歩いている間は常にお腹を押さえ、時折息を飲んでできるだけ大きな音にならないよう我慢する。
その時、ふいに目の前に赤い飴に絡められたイチゴ串が現れ、驚いて顔を上げた。
「食べるかい?」
「……う、うん!」
目の前に差し出されて、いらないとは言えない。恥ずかしさはあるものの、お腹はとても正直で、ひなはイチゴ飴に手を伸ばす。
受け取ったイチゴ飴をしばし眺めた後ぱくりと頬張ると、口いっぱいに広がる飴の甘さとパリパリとした食感。その奥から溢れ出てくる甘酸っぱいイチゴの果汁に、ひなの目は輝いた。
「美味しい! すっごく美味しい!」
「そうか」
興奮気味に素直な感想を述べるひなに、麟は優しい眼差しを向ける。
「ひな、こういうの食べるの初めて!」
嬉しそうにイチゴ飴を頬張るひなを見つめていると、麟は何ともいえない気持ちになる。彼女の表情はとても素直で嘘がない。本来ひなが持っているであろう素の部分を見て、胸の奥のつまりがそっと解けて行くような温かさが生まれた。
その後も、ひなは終始興奮気味だった。あやかし達の談笑に、食べ物の焼ける油や醤油、砂糖などの匂い、店に呼び込む活気ある掛け声……。
テレビで見たそのどれもが、生まれて初めて身をもって感じられるこの感覚がとても新鮮だった。
「おや麒麟様。街に降りて来られるなんて珍しいですね」
手を引かれて歩いていたひなの頭上から突然大きな声がかけられ、ふと足が止まる。
ひなが視線を上げると、そこには麟よりも大きな体格のギョロギョロした目を持つ三つ目の男性が立っていた。
「!」
男性のあまりの大きさに驚いたひなは、思わず麟の後ろに隠れてしまう。
「たまには視察も大事だろう?」
「いやぁ、いつもはほら、あの怖い顔をしたお供の方が視察に来られるじゃないですか」
十分怖い部類に入る姿をした男性が困ったように笑い、後ろ頭を掻く。
戸惑った様子で男性を見上げていたひなだが、その会話に誰のことかピンときた。
「ヤタさんだ」
「ひな」
麟は困ったように笑いながらひなの言葉に短く叱る。
ヤタは決して怖いわけではないのだが、三白眼は然り、今目の前にいる男性と同じくらい大柄な体形のためか、誰の目から見ても威圧感のある怖さのようだ。
「ところで麒麟様、その子はどうされたんです?」
ふいに自分に話が振られたひなは、びくっとして無意識に麟の着物を掴んだ。
「少し訳があってね……。彼女の身を預かることにしたんだ」
「へぇ……。しかし、こんな場所に連れ出すなんて、大丈夫ですか?」
「この世界を知ってもらうために必要なことだからね。でも、すぐに引き上げるよ」
ジロジロとこちらを見下ろしながら会話する男性と麟の姿をこっそりみていたひなの手にはすっかり食べ終えてしまったイチゴ飴の串が握りしめられている。それに気付いた男性が後ろを振り返ると、店先から一本の串焼きを手に取り、それをひなの前に差し出してくる。
「ほら、お嬢ちゃん。その串とこの串を交換しよう。これは俺からのサービスだ」
ひなはこんがりほどよく焼かれた肉厚で香ばしい香りを放つ牛串を見つめ、思わずごくりと喉が鳴ってしまう。
「……食べて、いいの?」
おそるおそる聞き返すと、串焼き屋の店主でもある男性はにっこりと笑った。
「もちろんだ!」
ひなは持っていた串と交換し、「ありがとう」と短く礼を述べてからぱくりと頬張った。
鼻先から吸い込む焼きたての肉の香りに、柔らかく口いっぱいに広がる肉汁とよく効いた塩味に、感激の色を露わにする。
「柔らかくて美味しい!」
「お! 嬉しいこと言ってくれるねぇ! また来てくれよ! お嬢ちゃんなら大歓迎だ!」
大口を開けて笑う店主は上機嫌でひなの頭を軽く叩くと、鼻歌交じりに店の中に戻っていった。
その後、ひなは目に入るもの全てに興味を示し、興奮冷めやらぬ様子で次から次へと見て回る。
「曇ってこんな味してるんだ……」
出店で買った綿菓子を頬張ったひなは、目を丸くして子供らしい感想を呟くと、その姿を見た周りのあやかしたちはニコニコと笑いながら立ち去っていく。
一瞬笑われたことに反応をしたひなだったが「可愛い」と話す声を聞き、馬鹿にされていないのだと分かると心の奥にむず痒さを覚え、顔を赤らめた。
「ひな、少し座ろうか」
「うん」
麟と共に近くにあった椅子へ腰を下ろすと、それまで忘れていた疲れがどっと出てくる。
「お腹は充分に満たったかい?」
「うん! お腹いっぱい! でも、ひながいた世界と同じ食べ物があるのに驚いた」
「君の生きてきた世界と同じものがここにあってもおかしくはない」
ひなは、手元の綿菓子を食べ終え、ふいにぽつりと呟く。
「……今日のご飯は本当に美味しかった」
静かに語る言葉に、麟は心配そうに彼女を見つめるが、ひなは次の瞬間には声と表情を明るくして麟を見上げた。
「それに、皆すっごくいい人たちだった! こんなにあったかい気持ちをたくさん貰ったのも初めてだから嬉しい!」
包まれる温かさに、ひなの胸を締め付け得も言われぬ熱い思いが込みあがってくる。そしてそれは瞳から意図せず零れ落ちた。
「あれ? おかしいな……」
言葉にはいい表せない、胸が熱くなる感覚。その高ぶりが涙となって溢れ出ることに戸惑いを覚えつつも、決して不快ではない初めての感情だった。
「悲しくないのに、何でか涙が止まんない……」
「……ひな」
麟はその姿を見て、彼女の身の内から溢れる悲しみとは違う涙が、彼の心に刺さる。
ひなは涙を溜めた瞳で見上げながら笑みを浮かべ、確かめるように口を開く。
「ひな、もう寂しくないんだよね? もう一人ぼっちじゃないって、信じていいんだよね?」
「……あぁ、安心して過ごすといい」
その言葉が嬉しくて、ひなは零れ落ちる涙もそのままに笑顔を浮かべた。




