初めてのお祭り
「わぁ……」
街に降りて来たひなは感嘆の声を上げた。江戸時代を彷彿させるような長屋などの家々がズラリとならび、碁盤の目のように規則正しい広い道が街の中を通っている。
上を見上げれば電線があるわけでもないのに浮いて漂う赤い提灯が無数にあり、それはよくよく見れば小さなもこもことした体と小さな羽根を持つあやかしが提灯の中に入り灯りを灯している。
「今日はお祭りなの?」
「そう見えるかい? ここはいつもこんな感じだよ」
立ち並ぶ家々では色々な食べ物が露店のように売り出されており、美味しそうな匂いが辺りに立ち込めとても賑わっている。店やそこら中を歩いているのは、背格好は人のそれと似ていても一つ目であったり、とんでもなく頭が大きかったり無数に生えた触手のようなものを持っている者たちばかり。彼らはそれはそれは楽しそうに談笑しながら歩いていた。
本やテレビで間接に見た事はあっても、実際に見た事も無いお祭りの世界。見た事も無い人々。感じた事のない熱気……。そのどれもがひなを強烈に魅了し、感動し、自然と笑顔をもたらす。
麟はそんなひなの様子を見て、とびきり優しい笑みを浮かべていた。
「ひな、こんな感じなの初めて。お祭りみたい……!」
頬を紅潮させて麟を見つめ僅かに声が上擦るほどに感激の意を伝えるひなの目は、生気が宿りキラキラと輝いていた。同時に辺り一面に充満し胃袋を強烈に刺激する濃厚な食べ物の良い匂いが、満たしきれていないひなの腹を例外なく刺激し、ひなは顔を上げてぎゅっと口を引き結んだ。その表情を見て、麟は思い出したようにひなを見る。
「もう少し、何か食べて行こうか?」
麟に訊ねられ、突然思い出したように大きな音で鳴る腹にひなは慌てて手を当て顔を真っ赤にする。その様子を見ていた麟はくすくすと笑った。
笑われてしまった事に顔を赤らめたまま首をブンブンと横に振るひなに、麟は微笑みながら彼女の頭に手を置いた。
「ち、違うもん!」
「よし、じゃあ見て回ろう」
麟はひなを下に降ろし、彼女の手を引いて街の中を歩き出した。
辺りに売り出されているのは、イカ焼きにとうもろこし、わたあめやりんご飴、焼きそばにお好み焼きに串焼き……。それらはすべて、お祭りに行くと必ず並ぶ屋台と同じものばかりだった。
「……っ」
その濃厚な香りにひなのお腹がまたも「ぐぅっ」と短い音を立てる。腹の虫が良く鳴くことにひなは恥ずかしさを滲ませていたが、これだけ周りが賑わっているなら麟には聞こえていないだろうと思いチラリと隣を見上げる。すると、その視線に気付いた麟がにこりと笑って返してきた。
(絶対聞こえてた!)
内心そう思うとまたも恥ずかしくて顔が赤くなる。
顔を赤らめたまま顔を俯け、麟と歩いている間はお腹を押さえ時折息を飲んで、出来るだけ大きな音にならないように我慢していると、ふいに目の前に赤い飴に絡められた長いイチゴの串が現れた。
いつの間に購入したのか分からず驚いて顔を上げると、麟が優しい眼差しでイチゴ飴を差し出している姿があった。
「食べるか?」
「……う、うん!」
ひなは差し出されたイチゴ飴の串を受け取り、しばし眺めた後で一番上にあるイチゴをぱくりと頬張った。口いっぱいに広がる飴の甘さとパリパリとした食感。その奥から溢れ出る飴とは違う甘酸っぱいイチゴの果汁に、ひなの目は輝いた。
「美味しい!! すっごく美味しいよ麟さん!」
「そうか。良かった」
「ひな、こう言うの食べるの初めて!」
嬉しそうにイチゴ飴を頬張るひなに、麟は何とも言えない気持ちになった。
愛しい。
その言葉が驚くほどにしっくりする。こんなにもくるくると表情を変えて素直に感情表現するひなの何処に、彼女を嫌悪する部分があると言うのだろう。彼女のこの素直さや純粋さをそのままに受け入れたいと思う。そしてそんなひなを守りたいと思えた。彼女が雪那と何か繋がりがあるからと言う理由があるからではなく、ひなそのものが持つ魅力と彼女自身を守りたいと強く強く感じていた。
慈しむような眼差しで見つめて来る麟に気付かないひなは、イチゴ飴を大切に大切に頬張りながら興味津々に周りを見回している。ひなには夏祭りに行った記憶が無い。記憶にも残らないほど小さい時には行った事があったのかもしれないが、物心ついてからは祭りに行くことは無く、部屋から花火の上がる音を聞いて過ごすばかりだった。
お祭りで売られている物がどんなものかはネットの情報で見てはいたが、実際に口にする事は叶わなかった。だからこそ、お祭りのようなこの場所で憧れていた屋台の食べ物を口に出来たことが人一倍の感動を覚える。
「おや、麒麟様。珍しいですね、この街に降りて来られるなんて」
更に食欲をそそる店の前で麟を呼び止めたのは、大きな体格のギョロギョロとした目を三つ持つ店の店主だった。小さい頃から異形の姿をしたあやかしを見ていたひなには、突然呼び止められて驚きはしたものの気持ち悪いという感情や怖いといった感情は特に無かった。だが、間近に見るとあまりの迫力に思わず麟の後ろに隠れてしまう。
「たまには見回りも大事だろう?」
「いやぁ……いつもはほら、あの怖い顔をしたお供の方が視察に来られるんで……」
十分怖い部類に入りそうな姿をしたあやかしが困ったように笑い、後ろ頭を掻くような仕草をする。自分の事はさておき「怖い顔をしたお供の方」と聞いて、ひなはすぐに誰の事かピンとした。
「ヤタさんだ」
「ひな」
麟はひなの言葉に短く叱責を入れながらも、その顔は笑っている。
八咫烏は決して怖い訳ではないのだが、三白眼と今目の前にいる店主と同じくらい大柄な体形のためか、誰の目から見ても威圧感のある怖さがあるようだ。
麟に注意されたひなの姿に気付いたあやかしは、彼女に目を向ける。
「おや? 麒麟様、その子はどうされたんです?」
「少し訳があってね。私が彼女の身を預かることにしたんだ」
「へぇ……。しかし、こんな場所に連れ出すなんて、大丈夫ですかぃ?」
「この世界を知って貰う為に必要なことだからね。すぐに引き上げるよ」
ジロジロとこちらを見下ろしながら会話する店主と麟の姿をこっそり見上げていたひなの手には、すっかり食べ終えてしまったイチゴ飴を串を握り締められている。それに気付いた店主が、こんがり焼かれた肉厚で香ばしい香りを放つ牛の串焼きを差し出した。
「お嬢ちゃん。ほら、その串とこの串を交換しよう。これは俺からのサービスだからね。お食べ」
意図せず目の前に差し出された串焼きを見つめ、ひなは恐る恐る麟を見上げた。
「……食べていいの?」
「もちろん」
麟がにこやかに頷くとひなは差し出された串焼きを受け取り、「ありがとう」と礼を述べてからぱくりと頬張った。
鼻先から吸い込む焼きたてホヤホヤの肉の香りに、柔らかく口いっぱいに広がる肉汁と良く効いた塩味に、ひなは嬉しくなってますます目を輝かせながら思わず体を震わせた。
「すっごくす~っごく美味しい!」
「お! 嬉しい事言ってくれるねぇ! また来てくれよ! お嬢ちゃんなら大歓迎だ!」
その一言に気を良くした店主は上機嫌でひなの頭をポンポンと軽く叩くと、鼻歌交じりに目の前の串焼きをひっくり返し始めた。美味しい美味しいと歓喜の声を上げて食べ物を頬張るひなの姿を見ていて、心が満たされて行くのは麟の方だった。
その後、ひなは目に入るもの全てに興味を示し、興奮冷めやらぬ様子でここにある店の物を全種類食べ尽くす勢いで、次から次へとその小さな体の中に収めていった。
綿あめを食べては「雲を食べてるようだ」、冷凍パイナップルを食べては「アイスみたい」、たこ焼きを食べては「世界一美味しい」と、子供らしく素直な感想を伝えながら頬張り続け、これ以上は食べられなくなると歩くのも疲れてしまっていた。
「ひな、そこに座ろうか」
「うん。ちょっと疲れちゃった」
麟は搾りたての果汁ジュースを片手に、すぐ近くにあった椅子にひなを座らせる。
「腹は十分に満たったかい?」
「うん! お腹いっぱい! どれもすっごく美味しかったよ! でもひながいた世界と同じ食べ物があるのに驚いた」
「彼らは元々人だった者たちだからね。君の生きてた世界と同じものがここにあってもおかしくはないさ」
ほくほくとした表情で麟からジュースを受け取ると、ひなはふとオレンジ色に揺れるジュースの水面を見つめて、落ち着いた様子ながらも静かに笑みを浮かべたままポツリと呟く。
「今日のご飯は本当に美味しかった。ひな、いつも一人で食べてたから……。誰かと一緒に食べるご飯がやっぱり一番美味しいよね。今日は麟さんが一緒でよかった」
「……」
「それに、皆すっごく良い人たちだった! こんなにあったかい気持ちを貰ったのも初めてだから嬉しい」
満面の笑みを浮かべるひなに、麟は彼女をやんわりと抱き寄せた。
包まれる温かさに目を見開いたひなの心の奥に、ジンとしたものが込みあがって来る。それはやがて瞳から意図せず零れ落ちた。
「あれ? おかしいな。悲しくないんだけど……」
麟はひなの涙を拭うと、彼女は涙を貯めた瞳で見上げながら口元に笑みを浮かべ、確かめるように口を開いた。
「ひな、もう寂しくないんだよね? もうひとりぼっちじゃないって信じていいんだよね?」
「あぁ、大丈夫。もう君に寂しい思いはさせない。安心して過ごすといい」
その言葉が嬉しくて、ひなの目からは涙が零れ落ちるも表情は笑みが零れていた。