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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第一章

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初めてのお祭り

「わぁ……」


 街に降りて来たひなは感嘆の声を上げた。江戸時代を彷彿させるような長屋の家々がズラリとならび、碁盤の目のように規則正しい広い道が街の中を通っている。


 上を見上げれば電線があるわけでもないのに浮いて漂う赤い提灯が無数にあり、中にふわふわとした発光体が入っているのが見える。


「麟さん……あれって何?」


 ひなが不思議そうに上を見ながら指をさす。

 その瞬間、モゾッと発光体が動き黒くて小さな目のような物が二つ見えた。


「動いた! もしかしてあれも、妖怪さん?」


 ひなの視線を追って見上げた麟は「あぁ」と短く答える。


「あれは火灯虫ひとうちゅうと言うあやかしだよ」


 見れば、灯りが弱まり出している火灯虫の元へ別の火灯虫がやってきて、交代している姿があちらこちらに見て取れた。


 ひなの視線が火灯虫から街を歩く人々に向けられると、街を談笑しながら歩く彼らは、一つ目であったり、とんでもなく頭が大きかったりと、多種多様な姿をしたあやかし達だった。


「ねえねえ! そう言えばさっきそこの反物屋からカッコいい男の人が出てきたの、見た?」

「え? うそ! 見てない! どんなだった?」


 通り過ぎ様、女性のあやかし二人が黄色い声をあげながら話している会話が聞こえる。

 すれ違うあやかし達の言葉を聞いていると、現世にいる人間達の会話と何ら変わりはなかった。


「こんな世界、あったんだ……」


 感じた事のない熱気と活気。そのどれもがひなを強烈に魅了し、自然な笑顔をもたらす。

 本来の子供らしさと言うものを垣間見せるひなの様子を見て、麟も満足そうに笑みを浮かべていた。


「ひな、こんなの初めて。お祭りみたい……!」


 頬を紅潮させて麟を見つめ僅かに声が上擦るほどに感激の意を伝えるひなの目は、生気が宿りキラキラと輝いていた。


 同時に辺り一面に充満し胃袋を強烈に刺激する濃厚な食べ物の良い匂いが、満たしきれていないひなの腹を例外なく刺激してくる。そして当然ながら、突然思い出したように大きな音で鳴る腹にひなは慌てて手を当て顔を真っ赤にした。


「!」


 その様子を見ていた麟はくすくすと笑った。

 ひなは笑われてしまった事に顔を赤らめ、小さな身体をより小さくして視線をそらしながらポツリと呟く。


「……ち、違うもん」

「もう少し、何か食べて行こう」


 麟は笑いながらひなを下に降ろし、再び彼女の手を引いて街の中を歩き出した。


 顔を赤らめたまま顔を俯け、麟と歩いている間はお腹を押さえ時折息を飲んで、出来るだけ大きな音にならないように我慢していると、ふいに目の前に赤い飴に絡められた長いイチゴの串が現れ、驚いて顔を上げる。


「食べるかい?」

「……う、うん!」


 恥ずかしさはあるものの、食欲には勝てない。


 ひなは差し出されたイチゴ飴の串を受け取り、しばし眺めた後で一番上にあるイチゴをぱくりと頬張った。口いっぱいに広がる飴の甘さとパリパリとした食感。その奥から溢れ出る飴とは違う甘酸っぱいイチゴの果汁に、ひなの目は輝いた。


「美味しい!! すっごく美味しいよ麟さん!」

「そうか。良かった」

「ひな、こう言うの食べるの初めて!」


 嬉しそうにイチゴ飴を頬張るひなを見つめていると、麟は何とも言えない気持ちになる。彼女の表情はとても素直で嘘が無い。本来ひなが持っているであろう素の部分を見て、胸の奥の詰まりがそっと解けて行くような温かさが生まれた。


 ひなは街の賑やかさに圧倒されていた。あやかし達の談笑に、食べ物の焼ける油や醤油、砂糖などの匂い、店に呼び込む活気ある掛け声。

 テレビで見たそのどれもを、生まれて初めて身をもって感じられるこの感覚が、とても新鮮だった。


「おや、麒麟様。珍しいですね、街に降りて来られるなんて」


 手を引かれて歩いていたひなの頭上から突然大きな声がかけられ、ふと足が止まる。

 ひなが視線を上げると、そこには大きな体格のギョロギョロとした目を三つ持つ店の店主だった。

 

「!」


 店主の影にひなの身体がすっぽり覆われてしまうほどの大きさに驚き、そのあまりの迫力に思わず麟の後ろに隠れてしまう。


「たまには視察も大事だろう?」

「いやぁ……いつもはほら、あの怖い顔をしたお供の方が視察に来られるじゃないですか」


 十分怖い部類に入りそうな姿をしたあやかしが困ったように笑い、後ろ頭を掻くような仕草をする。

 戸惑った様子で店主を見ていたひなだが、その会話と動作に少しだけ緊張が解ける。何より、自分の事はさておき「怖い顔をしたお供の方」と聞いて、ひなはすぐに誰の事かピンとした。


「ヤタさんだ」

「ひな」


 麟はひなの言葉に短く叱責を入れながらも、困ったような顔をして笑っている。

 八咫烏は決して怖い訳ではないのだが、三白眼と今目の前にいる店主と同じくらい大柄な体形のためか、誰の目から見ても威圧感のある怖さがあるようだ。

 

「ところで麒麟様、その子はどうされたんです?」

「少し訳があってね。彼女の身を預かることにしたんだ」

「へぇ……。しかし、こんな場所に連れ出すなんて、大丈夫ですかぃ?」

「この世界を知って貰う為に必要なことだからね。でもすぐに引き上げるよ」


 ジロジロとこちらを見下ろしながら会話する店主と麟の姿をこっそり見上げていたひなの手には、すっかり食べ終えてしまったイチゴ飴の串が握り締められている。それに気付いた店主が、こんがり焼かれた肉厚で香ばしい香りを放つ牛の串焼きを差し出した。


「お嬢ちゃん。ほら、その串とこの串を交換しよう。これは俺からのサービスだ。お食べ」


 意図せず目の前に差し出された串焼きを見つめ、ひなは恐る恐る麟を見上げた。

 鼻先に迫る焼けた肉の香りに、思わずゴクリと喉がなってしまう。


「……食べていいの?」

「もちろん」


 麟がにこやかに頷くとひなは差し出された串焼きとイチゴ飴の串を交換し、「ありがとう」と礼を述べてからぱくりと頬張った。

 鼻先から吸い込む焼きたてホヤホヤの肉の香りに、柔らかく口いっぱいに広がる肉汁と良く効いた塩味に、ひなは嬉しくなってますます目を輝かせながら思わず体を震わせた。


「す~っごく美味しい!」

「お! 嬉しい事言ってくれるねぇ! また来てくれよ! お嬢ちゃんなら大歓迎だ!」


 その一言に気を良くした店主は上機嫌でひなの頭をポンポンと軽く叩くと、鼻歌交じりに目の前の串焼きをひっくり返し始めた。


 美味しい美味しいと歓喜の声を上げて食べ物を頬張るひなの姿を見ていて、心が満たされて行くのは麟の方だった。


 その後、ひなは目に入るもの全てに興味を示し、興奮冷めやらぬ様子でここにある店の物を全種類食べ尽くす勢いで、次から次へとその小さな体の中に収めていった。


 綿あめを初めて口にして「雲ってこんな味してるんだ……」と、子供らしく素直な感想を伝えながら頬張り続け、これ以上は食べられなくなると歩くのも疲れてしまっていた。


「ひな、そこに座ろうか」

「うん」


 麟は搾りたての果汁ジュースを片手に、すぐ近くにあった椅子にひなを座らせる。


「腹は十分に満たったかい?」

「うん! お腹いっぱい! どれもすっごく美味しかったよ! でもひながいた世界と同じ食べ物があるのに驚いた」

「彼らは元々人だった者たちだからね。君の生きてた世界と同じものがここにあってもおかしくはない」


 ひなはほくほくとした表情で麟からジュースを受け取り、ふと落ち着いた様子ながらも静かに笑みを浮かべたままポツリと呟く。


「今日のご飯は本当に美味しかった」


 静かに語る言葉に麟は心配そうに見つめるが、ひなは次の瞬間には声と表情を明るくして麟を見上げた。


「それに、皆すっごく良い人たちだった! こんなにあったかい気持ちをたくさん貰ったのも初めてだから嬉しい!」


 包まれる温かさにひなの心の奥に熱いものが込みあがって来る。それはやがて瞳から意図せず零れ落ちた。


「あれ? おかしいな……」


 胸の中を温かいものが埋め尽くしてくる。言葉には言い表せない、ただただ胸が熱くなる感情。その高ぶりが涙となって溢れ出る事に戸惑いを覚えつつも、決して不快ではない初めての感情だった。


「悲しくないのに、何でか涙が止まんない……」


 麟はひなのその姿を見た瞬間、ハッとなる。

 彼女の身の内から溢れる、悲しみとは違う涙が麟の心に刺さり、息を呑んだ。

 ひなは涙を貯めた瞳で見上げながら口元に笑みを浮かべ、確かめるように口を開いた。


「ひな、もう寂しくないんだよね? もうひとりぼっちじゃないって、信じていいんだよね?」

「あぁ。安心して過ごすといい」


 その言葉が嬉しくて、ひなの目からは涙が零れ落ちるも表情は笑みが零れていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しいよね、お祭り。 行きたかったよね、今まで。 そんなことを思ったら切ないよぉぉぉ! 麟さんの「寂しい思いはさせない」という言葉は、ひなちゃんにとって大切なお守りの言葉になりそうですね。…
感想一覧
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