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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第三章

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不屈の精神

 炯眼の水瓶で戦闘の行方を見ていた帝釈天は、突然水瓶の縁を強く掴んだ。


「……っぐ!」


 帝釈天は脂汗を流しながら顔を顰め、顔を伏せつつふらついてその側にしゃがみ込む。


「だ、旦那様!?」

「帝釈天さま!?」


 傍にいた水蓮と、帝釈天の妻・紗詩(しゃし)は同時に声をかけて駆け付ける。紗詩が帝釈天の背をさすり、顔を覗き込んだ瞬間、彼女の顔は更に青ざめた。


 真っ青な顔を伏せ、手で口を押さえている帝釈天の指の隙間から夥しい量の血が溢れ出て、白い床の上に赤い血溜まりが出来ている。


「水蓮! 旦那様をすぐにベッドへ!」


 狼狽える紗詩に、水蓮は他の使用人を急いで呼ぶと、帝釈天を寝台に運ぼうとした。だが、血に塗れた手で水蓮の腕を掴むと、帝釈天は荒い呼吸をしながら睨むように見る。


「……駄目だ。俺をこの場から動かすな」


 低い声でそう呟くと、紗詩は泣きそうになりながら帝釈天に詰め寄る。


「でも! このままでは……」

「紗詩……。元より、俺の命はここにはない」

「……っ!」


 その言葉に紗詩は何も言えなくなる。

 帝釈天はフラつきながら水瓶の傍に近寄り、震える手で瓶の縁にしがみついた。


「……この、戦いの行く末を……俺は、見届けなければならない。監視者として」


 息を継ぐのも絶え絶えに、帝釈天は霞みかける目を細め、水瓶を覗き込んだ。



         *****



 地獄は、阿修羅が繰り出した激しい弾丸攻撃が止み、異様な静けさに包まれていた。


 ガラリ……と瓦礫が崩れる音だけが無音の世界に響く。


 不知火も、狒猿も、獅那や麟、ヤタも、今この場にいる全員が地面に倒れ伏している。その中で、唯一立っているのは……阿修羅だけだった。


 阿修羅自身もふらついてはいるものの、伏せている目は、まだ光を失っていない。


「……ひな」


 背筋が寒くなるような低い声で名を呼ばれ、地面に伏せていたひなの肩がぴくりと動く。


「こちらへ来い……」

「……」


 ひなはゆっくり身体を起こすと、乱れた髪もそのままに阿修羅の方を振り返った。


「……嫌」


 ひなは阿修羅を拒絶する。

 その反応に、阿修羅の顔が怒りの形相へと変わった。


「何だと?」

「……私は、あなたを認めない」


 ハッキリとした口調で阿修羅を否定するひなの言葉に、彼の額に青筋が走る。しかし、ひなはそんな彼の圧に怯むことなく、真っ直ぐ睨むように見据えた。


「あなたが私を認めないように、私もあなたを認めない。この身体にあなたと同じ血が通っていても、私は平気で人を傷付けるような人にはなりたくない」

「……ほう? ではお前は俺の力を返す気はない、と?」

「絶対に返さない」


 言い切るひなに、阿修羅は固く拳を握り込む。

 彼が安易に手を出さないのは、力が戻らなくなる事が怖いからだ。


「……どうして」


 ひなは張り詰めていた思いが溢れて顔を歪め、ポロポロと涙を流す。


「どうして、私の未来を奪うの? 私はあなたじゃないし、あなたは私じゃない」


 話が通じるような相手ではないと、十分に理解している。それでも、言わずにはいられなかった。


「あなたがいなければ……」


 ひなはそう呟いて、一瞬言葉を飲む。

 止めどない涙は溢れて、ひなは震える声を上げた。


「あなたがいなければ、皆、幸せに暮らせてた。ヤタさんだって、獅那ちゃんや狒猿さんも、皆苦しむ事なんかなかった!!」


 ひなは、きつく瞼を伏せてそう叫んだ。

 静かな空間に彼女の声は大きく響き渡る。その声に、ヤタの指が微かに反応した。


 阿修羅の額に青筋が更に浮び上がった。

 それはひなの姿が、かつて手篭めにした雪那によく似ていたからだ。

 清い魂に、真っ当な言葉。そして何より、汚されてなお凛とした芯を持ち、立ち向かう事を恐れない強さ……。

 それが、当時も今も阿修羅の神経を逆撫でていく。


「お前は、俺の駒だ」

「駒じゃない。私は私。誰にも良いように使わせたりしない」


 ひなは昔の自分を思い出していた。

 昔は人の顔色ばかり見て、人に合わせる事がほとんどだった。誰かに利用される事が、唯一自分が生きていると感じるほどに感覚が歪んでいたのを覚えている。


「……貴様……」

「私はもう、決して悪意ある力の前に屈伏したりしない!」


 阿修羅は怒りにカッと目を見開くと、刀を掴み地面を蹴ってひなに斬り掛かった。


「!」


 目の前に覆い被さるように飛び掛ってくる阿修羅の顔は、大きく見開かれた目しか見えない。


 ひなはきつく瞳を閉じて、しかしその場から逃げ出すこともせず阿修羅の太刀を待った。

 その時、被さるような影が不意になくなり、代わりに弱々しくも聞き慣れた声が聞こえてくる。


「……ナメた事……してんじゃねぇ……」


 ひながその声に目を見開くと、目の前にはヤタの姿がある。やや前屈みで肩で荒々しい呼吸を繰り返し、立っているのもやっとな状態だった。

 阿修羅へ視線をやれば、彼の脇腹には深々とヤタの刀が突き刺さり、身動きが取れないようだ。


「ヤタさん……!」

「……」


 返事を返す余裕すらないヤタの姿に、ひなは彼の着物を掴み、震える声で訴えかける。


「もういいよ、もうやめて。もう庇わなくていいから」

「……」


 それでも黙ったまま動かないヤタに、ひなは余計に涙が止まらなくなる。ひなは固く拳を握りしめると、彼の前に回り込んだ。それと同時に、阿修羅は自分で刀を引き抜き、深手を負いながらも執念で立ち上がった。

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