命
「な、何……?」
ひなは足元に目を向ける。
見つめる先には赤茶けた地面以外何もない。しかし、肌に伝わってくるのは、得たいの知れない何かが、そこにある。
水を打ったように静まり返った大気の中、耳元で風笛が鳴く。
「……っ!」
細い風笛――それが、数えきれない数の悲鳴だと気付いた時、ひなは頭の先から血の気が引いていくのを感じた。
このまま地面に触れていたくない。そう感じてしまうほど、怨念の籠った三世界のどこにも行き場を無くした人間たちの、悲鳴。
目をそらさなければいけない。そう思っていても、ひなは地面の一点を見つめたまま動けない。
刹那。
「いやっ!!」
ひなは短い悲鳴を上げ、呪縛から解かれたように顔をそらししゃがみ込む。
食い入るように見つめていた地面の奥から、甲高い声を上げて素早い動きで飛びあがってきたのは、目が真っ黒く落ち窪み、身を窶した香蓮だった。
「ひなさん?」
獅那が突然しゃがみ込んだひなを抱き寄せる。
ひなは愕然と目を見開き、冷や汗を流しながら小刻みに震えた。
地面から飛び出した魂たちは、怨念の籠った声を上げながら上空を旋回し始める。
思わず耳を塞ぎたくなるような魂たちの呼応。
地面の底から次々と煙のように這い上がってくる。強烈な怨恨や怨嗟は瘴気を生み、地獄の上空に幾層にも重なりながら、黒い影を落とし始める。
「……ははは」
ふと、阿修羅は肩を揺らし短く笑い声をあげる。
その場にいる全員が彼に視線を向けると、上空に立ち込めた瘴気が凄まじい勢いで阿修羅の体の中に吸い込まれた。
「な、何だ……?」
予測不能な展開に、誰もが息を詰める。
やがて、地面の一部がボコッと跳ね上がった。それは阿修羅の周りに幾つも膨れ上がり、それは徐々に勢いを増して大地がうねり始める。
「……?」
瞬きをするほどの僅かな時間の沈黙。次の瞬間、一斉に大地の底から夥しい数の影が飛び出し、激しい弾丸のように無作為に四方に乱れ打ちし始める。
ヤタは向かってくる影の弾丸を反射的に斬り捨てる。
『キィエエェェエエエェーッ!』
鼓膜を破りそうなほど、女性の甲高い悲鳴が響き渡り、消えていく。
「な……っ!?」
阿修羅は、大地の奥底に染み込んだ魂たちを、武器とした。
「はははははは!! どうだ!? 殺れるか? お前らに、死してなお行き場のない哀れな人間の魂を!」
「何てやつ……!」
狒猿は舌打ちをした。
向かってくる無限の弾丸を壊すことを躊躇う。しかし、躊躇えばこちら側の命もない。
「クソ野郎っ!」
ヤタは歯を食いしばり、右手で刀を強く握り直す。
険しい顔をしながらも、迫りくる弾丸の悲鳴を聞きながら斬り捨てていく。
「……っ」
ヤタは弾丸を前に悲壮な想いに駆られる。それでも戦わなければならない。
――行き場がなかったとしても、こんなやり方……。
ギリギリと歯を食いしばる。
次第に、腕が上がらなくなり刀がブレ始める。視界は霞み、気を抜けば膝を着きそうなほど消耗していた。
苦しさから、一瞬目を閉じた。
「八咫烏!!」
すぐ傍で狒猿の声が響く。
ヤタが視線を上げた瞬間、目の前で短い声が響いた。
「……っぐぅ!!」
唸る声に、ヤタは目の前にある狒猿の背中に叫ぶ。
「バカ野郎! 何してんだ!?」
「うるせぇ!」
頭から血を流しながら、狒猿も怒鳴り返す。
「この勝負は、ぜってぇに負けられねぇ! そうだろ! 相棒!!」
僅かに体だが揺れる狒猿に、ヤタは刀を強く握り直した。
「……あぁ」
「獅那ちゃん!」
獅那の膝が一瞬、崩れる。しかし、足を踏ん張り前を見据える。
手甲鉤を用い、弾丸を素早く弾き落としていたが、彼女の顔も苦悶に歪んでいた。
「……こんな、残忍なやり方、認められない!」
獅那の横顔には悔しさが滲んでいた。
顔の前に手甲鉤を構える。
「ここで防げなければ、意味がないわ!」
しかし、向かってくる弾丸の数はいつ尽きるかもわからない。必死に食らいつこうとするが、反応は鈍さを増していく。
「は……っ!」
獅那は、霞みだした視界に目を眇めた瞬間、自分の脇をすり抜ける一つの弾丸を捉える。
「ひなさん!!」
血の気が引いた。瞬間、獅那は地面を蹴る。
「!」
弾丸は真っすぐにひなの顔面目掛けて迫る。
――ぶつかる。
そう思った瞬間、獅那の影がひなを覆い隠し、同時に固いものが砕ける異質な音がひなの耳にした。
「獅那ちゃん……!?」
獅那は脂汗を滲ませながらひなにもたれかかり、自分で体を支えきれずひなの横に倒れ込む。
苦痛に閉じていた目を薄く開き、覗き込むひなを見上げる。
「……ひなさん、無事、ですか?」
「獅那ちゃん!」
獅那の肩から大量の血が流れだす。地面に手をついていたひなの手元に、赤い血だまりが届き、ひなは息を呑んだ。
「……!」
ひなは視線を上げ、周りを見る。すぐ近くにいる不知火も、ヤタも、狒猿でさえ応戦はしても、体に着弾する確率が増えている。
――みんな、立ってるのもやっとだ……。
ひなは唇を噛む。
「……なんで、こんなこと」
その時、視界の端に小さく蠢く人影を捉える。
ひながそちらに目を向ければ、そこには意識を取り戻しはじめたマオの姿があった。
――この状況で、マオさんまで立ち上がったら……。
ひなはいよいよ焦りと同時に恐怖で言葉が出ない。頭の中は真っ白だった。
「ひなさん!」
周りに気を取られているほんの僅かな瞬間、獅那の声に我に返った。
「!」
目の前に、悲鳴を上げ続ける香蓮の顔がある。
――あ……。
頭の片隅で、死の予感だけを感じ、反射的に手を顔の前に持ってくる。
その時、着物の袂からひらりと一枚の紙が滑り出た。
「っ!」
強い衝撃と、無くなる意識を待っていた。だが、ひなを包み込むのは痛みや衝撃ではなく温かく懐かしい桜の香りと、弾ける音が耳に届く。
目を開けば、消える防御壁と懐かしい顔が見え、ひなは目を見開く。
「麟さん!」
久し振りに間近に見る麟の姿に、ひなは涙腺が緩みそうになる。
「大丈夫か? ひな」
「み、皆が……っ!」
こちらを気遣う麟に、ひなは首を縦に振りながら周りの仲間を気遣う。
麟はひなを抱えてしゃがみ込んだまま、視線を周りに巡らせる。
――この状況は……。
麟の眉間に深い皺が刻まれる。
「ひな、君は……」
「麟さん!」
害の及ばない場所へ……そう言いかける麟の背後に、次の弾丸が迫る。
麟はすぐにひなを横へ押しやると、彼女を背に庇う。
その姿に手を伸ばしたひなは、自分の目を疑った。
着弾する。その直前、弾丸と麟の間に人影が飛び込んできた。
「……っ」
流れる髪、揺れる尻尾……。それらがまるでゆっくりとした動きに見えた。
「マオさん!」
ひなが声を上げたのと同時に、弾丸はマオの胸部に深くめり込み、着弾する。
マオは悲鳴を上げる間もなく、着弾の威力に体が耐え切れずマオを抱き止める形で、麟もろとも後方へ吹き飛ばされた。
「麟さん!!」
二人の姿を追うように視線を向けると、投げ出された先には阿修羅が崩した建物の瓦礫が積みあがっていた。
――打ち所が悪かったら……。
「やだああぁああぁぁっ!」
ひなが心の限りに叫び、同時に麟の体は瓦礫に衝突してしまう。
「うっ……っ!!」
短いうめき声をあげ、こみ上げる血反吐を吐く。
頭の芯がぐらぐらとし、視界が朦朧とする中、膝の上に横たわるマオの姿が映る。
「……マ、マオ」
麟が掠れた声をかけると、マオは震える瞼を薄く開いた。
「……これ、で……良かった、でしょ……?」
か細い声で、途切れ途切れに呟いた言葉は、涙と共に滑り落ちた。
「……っ」
麟は顔を顰め、麟もまた意識を手放した。




