衝突・弐
左手は震え、まともに動かない。右手を軸に左手を柄に添わせ、ヤタは刀を構えて立ち上がった。
それを見た阿修羅は身震いをしながら口角を上げていく。
「そうだ、それでいい! もっと足掻け!!」
彼の目は完全に瞳孔が開き、興奮状態だった。
「……虫唾が走るぜ」
ヤタは肩で息を吐きながら、引き攣った苦笑いを浮かべる。
阿修羅は刀を顔の横に構え、不敵な笑みを消した。
「……さぁ。どこまでついて来れる?」
したり顔で煽る阿修羅は、地面を蹴りヤタとの距離を詰めたように――見えた。
「っ!」
気付いた時には、すでに目の前にいた。
見開いたヤタの瞳の先には、刀の切っ先がある。
反射的にヤタは体を反転して身を引き、紙一重でかわす。
体勢を大きく崩しよろめくヤタに対し、彼の背後で阿修羅は影を使い、更に追い詰める。
地面を掻くような音と、蛇行する無数の影が迫る。
「――っ!」
息をする間もない。ただ、ヤタはその影を見ていることしかできなかった。
「いやああぁああぁっ!」
ひなの悲鳴が耳に残る。
その瞬間、激しい爆音と共に砂塵が舞い上がり、地面が大きく抉られ大地が揺れた。
身構えたヤタが、薄目を開けて見ると、そこには拳を大地に叩きつけてしゃがみ込んでいる狒猿の後姿があった。
「狒猿!」
狒猿は阿修羅を見据えたまま、ゆっくり立ち上がり、握った拳を鳴らす。
「遅くなってすまねぇな! 八咫烏!」
「恩に着る!」
「いいってことよ。お前が倒れちゃこの戦、絶対に勝てねぇからな」
狒猿はギチリ、と拳を鳴らし、腰を落として構える。
「ここからは俺が相手になってやる。こいつを傷めつけた分、きっちり落とし前つけてもらうからな」
「……何人増えても同じことだ」
文字通り、影を拳で叩き潰した狒猿に、阿修羅の表情が僅かに変わった。
阿修羅は刀を構え直すと、すぐさま狒猿に斬りかかる。
目にも留まらない速さ。一瞬の内に間合いを詰めてくる阿修羅の刀は、容赦なく狒猿の脇腹を裂く。しかし、狒猿は僅かに目を細め、阿修羅の空いている腹部へ拳を唸らせた。
みしり……。
奇妙な音が響く。
「うぐ……っ!?」
阿修羅は小さく呻き、振り上げた狒猿の拳に、体が吹き飛ぶ。
大地に突き出た岩に激突し、視界を濁らせるほどの砂塵を巻き上げながら、阿修羅の体が崩れ落ちた。
「……!」
初めて阿修羅に入った痛烈な攻撃。その状況を見ていた者たち全員に、僅かな希望を抱かせる。だが、その反面不知火は焦っていた。
崩壊寸前の地獄。このまま崩壊が進めば閻魔自身もただでは済まない。
不知火は眉間に深い皺を刻んだ。
狒猿は脇腹に切り傷があることをものともせず、地面に崩れ落ちたままの阿修羅に詰め寄り、挑発的な笑みを浮かべた。
「なぁ……阿修羅。戦うってのは楽しいよなぁ」
「……」
「そのくらいでやられたりしねぇだろ。……ほら、来いよ」
狒猿が再び拳を構えると、阿修羅はカッと目を見開いた。その瞬間、ぞわり……と肌を撫でるような嫌な気配がした。次の瞬間、影が襲い掛かる。
「!」
狒猿は、持ち前の直感力が働き、影の攻撃から免れる。勢いが付き過ぎた影は激しい爆音を上げて地面に突き刺さり、消えていく。
「いや、危なかった」
涼しい顔をする狒猿に、阿修羅は更なる攻撃を仕掛ける。
握りしめた刀を大きく振りかぶって斬りかかった。空を裂く甲高い音と、重たい太刀筋。それをギリギリに掠めて避ける彼の赤茶けた髪の一部がはらりと宙を舞った。
――なぜ当たらない!?
自然と芽生えた阿修羅の焦り。それが如実に太刀筋に現れ、僅かなブレを呼ぶ。
狒猿は眼光を鋭く光らせると、ドンと足を踏み出し阿修羅に間合いを詰める。
「おらっ!」
そう声を上げるが早いか、彼の拳は阿修羅の手元へと振り下ろされる。だが、阿修羅はそれを持ち前の素早さでかわす。だが、気付けば側頭部に激痛が走った。
「うっ……!」
攻撃二発目。
阿修羅の体は再び弾き飛ばされる。
濛々と立ち上がる砂塵の中、ふらつきながら立ち上がった阿修羅は、一気に狒猿の目の前まで間合いを詰めてきた。
その顔に、余裕はない。
下から上へと払い上げる刀を、狒猿は身を仰け反らすことで避ける。だが、腹部から胸部にかけて鮮血が走った。
狒猿は両手を地面につき、振り抜く両足で阿修羅の腕を器用に絡め取るとそのまま地面に叩き落とした。
再び地面を舐める羽目になった阿修羅は、憎々し気に狒猿を睨みつけて立ち上がる。
息を呑んで彼らの攻防を見守っていたヤタは、感付いた。
「あいつ……狒猿の動きが読めてねぇ……」
だが、ヤタは険しい表情を浮かべたまま歯を噛み鳴らした。
――これでも、こちら側の勝機はまだ立たない……。
「……」
ゆらり、と体を揺らす阿修羅の目は大きく見開かれ、開いていた瞳孔は細く閉じている。肩で微かに呼吸をし、無表情だった。
ゆっくりと刀を構えた瞬間、阿修羅が、消えた。
「っ!」
狒猿が僅かに反応を示す中、彼の背後に阿修羅が回り込む。そして狒猿の腹部を目掛け刀を振りかざした。
「狒猿!」
ヤタが張り詰めた声を上げる。
だが……。
「なっ……!?」
驚いた声を上げたのは、阿修羅の方だった。
間一髪。狒猿は刀の側面を目掛けて肘を振り下ろし、真上から刀の弱い面を叩き折った。
カシャンと音を立て地面に落ちた刃先と、折れた刀の一部が阿修羅の手元に残る。
「……ってぇ」
狒猿は小さく唸る。僅かに体を前のめりにし、腹部にあてている手の隙間から血が流れていた。
――なぜだ……?
阿修羅はこのまま長引けは勝敗の比率が傾くことを肌で感じた。
――完全体だったなら……。
彼を支配している感情は、より深い闇を呼ぶ。
「!」
大気が大きく揺らめく。
不穏な空気と重圧。突如として空気が薄くなったような息苦しさを、この場にいる全員が感じ取った。
「何だ……?」
全員の視線が阿修羅に向く。
彼は顔を俯けた状態で背を丸め、禍々しい気配を呼んでいる。それを見たヤタは握る刀に力が入り、息を呑む
「……来る」
狒猿は素早く阿修羅から間合いを取り、ヤタの近くまで距離を取った。




