火蓋
マオの握りしめた短刀が、眉一つ動かすことなく立ったままのひなに、容赦なく振りかざされる。獅那もまた、そんな彼女に応戦するため足を踏み出した。刹那、地面を踏み込む重たい音と共に、三人の間に黒い影が飛び込む。同時に、キンと耳に障る甲高い金属音が響き渡り、マオの手にあった短刀は、くるくると弧を描いて離れた地面に突き刺さった。
マオは弾かれた衝撃で痛む手を押さえ、睨みつけてくる。
「……物騒なもん振り回してんじゃねぇよ」
怒りの滲んだ鋭い目つきのヤタが唸るようにいうと、マオは小さく舌打ちをし、ひきつったような笑みを浮かべる。
「あら。それはあなただって同じでしょう?」
「お前と一緒にすんな」
「何が違うのかしら。その刀は、今まで一体何人の血を吸ってきたのかしらね」
「……」
皮肉をいうマオに対し、ヤタの表情が苦悶に歪む。
「俺は……お前のことを見誤ってたみたいだな」
ギリ、と刀を握る手に力が籠る。
「何を見誤るですって? 私は変わらない。私はただ、麒麟様のためだけにあるの。その子さえいなくなれば……あの人を守れるのよ!」
マオは自分の信念に従い、叫ぶ。
歪んだ彼女の感性に、ヤタの表情がより険しさを増し、こめかみに青筋が浮かぶ。
『……ほう? 誰がそんなことを命じた?』
「!」
低く、くぐもった声と嘲笑がマオの背筋を撫でる。
マオが忙しなく周りを見回しはじめると、ヤタたちは訝しい目を向けた。
「……まったく、最後の最後がこれとはな」
地を這うような低い声が辺りに響き渡り、その場にいる全員が一斉に凍り付く。すると、マオの背後から突然、大きな影が出現する。
「!?」
漆黒の闇と同様の影はビクビクと体を打ち震わせながら少しずつ形を成していく。やがてそれは、阿修羅の姿に変わる。
「……」
目を細め、深いため息と共に笑うその顔は、見る者の嫌悪を逆撫でて来る。
「阿修羅……」
まさか自分の背後から現れると思っていなかったマオは、息を呑み、苦し紛れに呟く。
「お前は優秀な駒だと思ったんだがなぁ……」
阿修羅はそういうとマオの顔を掴み、自分の方へ強引に向かせる。そして、震えるほど冷たい表情を見せた。
「……俺の勘違いだったようだ」
感情のない目。何の温情もない言葉。
阿修羅はマオの顔を掴む手に力を込め、マオは痛みに顔を歪め、阿修羅の手を掴んだ。
「俺は……ひなを連れてこいと言ったんだ。誰が殺せと言った? ん?」
赤黒い目を大きく見開き、確実に詰める発言にマオは口を閉ざしてしまう。
震えが止まらない。それでも、阿修羅を見る目には強い光が残っている。
阿修羅は目を細め、マオをそのまま投げ捨てた。
「マオさん!」
反射的に獅那が声を上げる。
投げられたマオは、砂塵を巻き上げながら地面の上に倒れ意識を失い動かなくなる。
そんな彼女を目を細めて見る阿修羅の表情はない。
「興が削がれた」
抑揚のない冷たい言葉に、ヤタたちは息を呑み、冷や汗を流した。
「駒ごときが企んだ稚拙な計画など、最初から当てになどしていない。だから、俺が直々に動いたんだ。なぁ? ひな」
突然ひなに話を振ると、ヤタたちはひなを見る。
「……」
ひなは何も言わず、微動だにしない。
「こちらへこい。愛しい、我が娘……」
阿修羅の言葉を引き金に、ひなはゆっくりと足を踏み出した。
「ひな!」
「ひなさん!」
獅那とヤタがひなを止めに入る。だが、容易に二人の手を振りほどき、ひなは阿修羅の元へ歩を進める。
「ひな!!」
ヤタは負けじとひなの前に回り込み、乱暴に肩を掴んで声を荒らげる。
「何やってんだ! 目を覚ませ!」
「……」
肩を掴む手に、力が入る。
「お前一人で全部背負うなっ!」
その瞬間、無表情の顔に反応が微かに戻り、虚ろな瞳が揺れる。
「……!」
正気を取り戻しかけている兆候が見られたことに気を取られていたヤタの背後に、暗い影がかかる。
「八咫烏!!」
獅那の焦る、悲鳴にも似た声に、ヤタは背後を振り返った。
見開かれた瞳と、阿修羅が抜き去った刀の鈍い光が目に入る。
――しまっ……!
振り下ろされる刀が目前に迫り、避け切れないと判断したヤタは、すぐさまひなを庇うように抱き寄せる。その瞬間、空を裂く音が響き、刃先がヤタの背に届く僅かなタイミングで阿修羅の肩に一本の矢が鋭く突き刺さる。
「!」
切っ先がぶれ、ヤタの結んだ髪の先と着物を裂いた。
間一髪、ヤタは阿修羅の攻撃を免れ、ひなは勝機を取り戻して顔を上げる。
「不知火!」
矢が飛んできた方向に目を向けると、屋敷の上空から追撃用の矢を口に咥え、弓に矢を番えた状態の不知火がいた。
麟からあらかじめ手渡されていた、破魔の護符が貼られた矢が、目に見えない何かを断ち切る感触が不知火の手に残る。
「ヤタさん!?」
ヤタはひなを獅那の傍に連れ戻すと、二人を背に庇うように振り返りながら素早く刀を抜き去る。
「ずいぶんコケにしてくれるじゃねぇか」
ヤタが口の端を引き上げ、引き攣った笑みを浮かべて阿修羅を睨みつける。
その顔には、余裕がみられない。
「……」
阿修羅は、肩に刺さった矢を強引に引き抜き、地面に投げ捨て踏みつける。
二つに折れた矢は、麟の護符の効力を失い黒い墨に変わった。
傷から滴る血もそのままに、阿修羅の顔には変わらず表情がない。
にらみ合う双方に、先ほどまでの余裕はなく、一帯の空気がより張り詰めて重たく前進に圧し掛かる。
ヤタの、刀を握る手に力が入り、きしりと鳴いた。




