火蓋
マオの握り締めた短刀が、目の前で立っているひなに対し容赦なく振り翳される。獅那もまたそんな彼女に応戦する為足を踏み出した瞬間、三人の間に地面を踏み込む重たい音と共に黒い影が飛び込む。同時に、キンと耳に障る甲高い金属音が響き渡り、次の瞬間にはマオの手にあった短刀はくるくると弧を描いて離れた地面に突き刺さる。
マオは、弾かれた腕の痛みを押さえながら短刀へ向けていた視線を戻すと、ひなと獅那の前には刀を構えるヤタの姿があった。
「……物騒なもん振り回してんじゃねぇよ」
怒りの滲んだ鋭い目つきのまま、ヤタが唸るようにそう言うとマオは小さく舌打ちをし、引き攣ったような笑みを浮かべる。
「あら。それはあなただって同じでしょう?」
「お前と一緒にすんな」
「何が違うんですの? その刀は今まで一体何人の血を吸って来たのかしら」
「……」
皮肉を言うマオに対し、ヤタは小さく舌打ちをする。
マオはこんな事をするような奴ではなかった。そう信じたいところがまだ自分の中にあることに僅かな驚きと苛立ちを覚える。
「俺は……お前の事を見誤ってたみたいだな」
「何を見誤るですって? 私は変わらない。私はただ、麒麟様の為だけにあるの。その子さえいなくなれば、麒麟様を守ることが出来るのよ!」
自分の信念に従い、マオがそう叫ぶ。
歪んだ彼女の感性にヤタの表情がより険しさを増し、刀を握る手に力が入る。
『……ほう?
低く、くぐもった嘲笑がマオの背筋を撫でる。
『誰がそんな事を命じた?』
地を這うような低い声が辺りに響き渡った。
その場にいる全員が一斉に辺りに視線を巡らせると、マオの背後から突然大きな影が生まれ少しずつ形作られて行く。やがてそれは阿修羅の姿に代わり、不敵な笑みをその顔に浮かべている。
「阿修羅……」
まさか自分の背後から現れると思っていなかったのだろう。驚愕した顔で阿修羅を振り返ったマオに対し、阿修羅は冷たい笑みのまま口を開く。
「お前は優秀な駒だと思ったんだがなぁ……俺の勘違いだったようだ」
「……っ」
「俺は……ひなを連れてこいと言ったんだ。誰が殺せと言った? ん?」
ゆっくりと、確実に詰め寄る発言に、マオは逃げ場をなくし口を閉ざしてしまう。
そんなマオに、阿修羅はわざとらしく興ざめしたと言わんばかりに深いため息を吐いた。
「お前は俺の一部から作られていると言うのに、自我に目覚めただけでなく俺の計画を台無しにしようとしている。まったく厄介なものだ。駒はただの駒。……駒の中でも、お前はやはり使えない駒だ」
マオの指が微かに震える。
「……っ」
皆の前で「無能だ」と言われたマオは唇を噛み、眉根を寄せて視線をそらした。
そんなマオを横目に、不敵に笑う阿修羅は追い打ちをかける。
「お前が企んだ計画はすでに分かっている。だから俺が直々に動いたんだ……。なあ? ひな?」
突然ひなに話を振ると、その場にいた全員がひなを見る。ひなは何も言わず微動だにしない。
「こちらへ来い。俺の愛しい我が娘……」
阿修羅の言葉をきっかけに、ひなはゆっくり足を踏み出した。
「ひな!」
「ひなさん!」
獅那とヤタがひなを止めようとしたが、ひなは二人の手を振り解き、阿修羅の元へ歩を進める。
「ひな!!」
ヤタは負けじとひなの前に回り込み、乱暴気味に肩を掴んで声を荒らげた。
「何やってんだ! 目を覚ませ!!」
肩を掴む手に、僅かに力が入る。
「お前一人で全部背負うなっ!!」
「……」
ひなはぴくりと肩を震わせる。
無表情の顔に反応が微かに戻り、虚ろな瞳が揺れる。
正気を取り戻しかけている兆候が見られた事に気を取られていたヤタの背後に、冷たい表情の阿修羅が抜き去った刀の刃が振り下ろされる。
「八咫烏!!」
「!」
獅那の焦る悲鳴にも似た声に、ヤタが背後を振り返った。そのヤタの目に阿修羅の口元が歪んだ笑みが映る。
(しまっ……!)
刀が目前に迫り避けきれないと判断したヤタは、すぐさまひなを庇うよう抱き寄せる。その瞬間、空を裂く音をたて、阿修羅の刀を握っている側の肩に一本の矢が鋭く突き刺さる。その衝撃の余波が巻き上げる旋風となり、阿修羅の傍にいたマオは避ける間もなく弾き飛ばされ意識を失った。
「っ……!」
矢が突き刺さった阿修羅は鈍い声を上げ、握っていた刀を取り落とす。間一髪ヤタは阿修羅の攻撃を免れ、ひなは正気を取り戻して顔を上げる。
「……不知火!!」
ひなを庇うヤタが矢が飛んできた方向に視線を向けると、屋敷の上空から追撃用の矢を口に咥え、弓に矢を番えた状態の不知火がいた。
麟からあらかじめ手渡されていた、破魔の護符が貼られた矢が、目に見えない何かを断ち切る感触だけが残った。
「ヤタさん!?」
ヤタはひなを獅那の傍に連れ戻すと、ひなを背に庇うように振り返りながら素早く刀を抜き去る。
「ずいぶんコケにしてくれるじゃねぇか」
ヤタが口の端を引き上げて、引きつった笑み浮かべながら阿修羅を睨み見つけるその表情には、明確な余裕はみられない。
「……」
阿修羅は肩に刺さった矢を強引に引き抜き、地面に投げ捨てる。傷から滴る血もそのままに、阿修羅の顔にはもう表情はない。
睨み合う双方に先程までの余裕はなく、一帯の空気がより張り詰めて重く伸し掛かる。
ヤタの刀を握る手に力が籠もり、きしりと鳴いた。




