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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第三章

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あやつり人形

 獅那と共に部屋に戻ったひなは、小さくため息を吐いた。

 これからの事を考えると、正直なところ気が重くなってくる。だが、それでも避けては通れないのであれば、覚悟をしなければならない。

 そう意識した瞬間ひなは突然焦点が合わないめまいを感じ、前にいる獅那に寄りかかってしまう。


「ひなさん?」

「ごめん……何か、急にめまいが……」


 顔を伏せて瞳を閉じるひなに、獅那は彼女の身体を支えながら声をかけた。

 先ほどまで何もなかったひなの突然の体調の変化に、獅那は違和感を覚える。


「……大丈夫ですか?」

「……」


 ひなは問いかけられても何も言えず、瞳を閉じたままズルズルとその場に座り込んでしまう。

 獅那は身体を支え共にしゃがみ込みながら顔を覗き込むと、ひなの額に汗が滲み、苦しそうに眉根を寄せていた。同時に、ただならない気配を察知する。


「阿修羅……」


 ひなの夢に侵食をしようとしている。

 それに気付いた獅那は、すぐさま着物の合わせに入れていた一枚の紙を取り出した。


『地獄は幽世にいるより阿修羅の影響を受けやすい。気休めにしかならないかもしれないが、もしひなに異変があった時は、これを使ってみてくれ』


 獅那がここへ来る前に麟に持たされた護符だった。

 獅那はその護符をひなの額の上に貼り付け、目を閉じてうなされるひなの手を握り締める。


「ひなさん。負けてはダメですよ」



                   ******



 暗い。

 足元から這い上がって来るような重たく、身の毛のよだつ気配に、ひなは身を拘束されている。


 阿修羅が……父が来た……。


 ひなにもそれが分かった。いつも背面から突然出て来るはずの阿修羅が、足元から着物を掴んで這いずって登って来るような感覚に背筋が凍り付いた。


 もしここで阿修羅に力を奪われたら、大変な事になってしまう。


 だがそれを分かっていても身動きが取れない事に、ひなは焦りの色を見せていた。


「どうしたら……」


 苦し紛れに呟いたその瞬間、暗い空間に一本稲妻が走るように蛇行する光が走った。同時にふわりと香る桜の香りと、身を包む柔らかな感触にひなは顔を上げた。


 ――大丈夫……。


 姿は見えずとも、そこに雪那の加護があることに気付いた。

 雪那は今もまだ自分の傍にいる。

 それが分かると同時に、それまで足元にまとわりついていた黒い気配が苦し気にうねりながら退いて行く姿を見た。


『……忌々しい』


 遠くから響く、おぞましいほど低い恨みの籠った声がひなの耳に届く。その瞬間、背中に強い衝撃が襲い、ひなは一瞬息が詰まった。



                  *****



 ひなはハッと目を見開く。


「ひなさん!?」


 とても短い間の出来事だった。

 獅那が目覚めたひなを見てホッとするのもつかの間、ひなはゆっくりとその場に立ち上がる。そして彼女は顔の前にあった護符を何も言わずに乱雑に掴むと畳に投げ捨ててしまった。

 その普段とはあまりにも違い過ぎるひなの行動と、無表情な顔、光のない虚ろな瞳に、獅那はまだ彼女が阿修羅の影響を受けていると察知した。


 部屋を出てどこかへ行こうとするひなの身体を押さえ、獅那は叫ぶ。


「ひなさん!! 何処へ行くと言うんです!?」

「……」

「駄目です! 行ってはいけません!!」

「……」


 止める獅那に目もくれず、ひなは彼女の手を振り払いながら一歩一歩着実に屋敷の外へ向かって歩みを進めていく。ひなの細い体のどこにそんな力があるのかと思うほど、獅那の力をもっても止められない。

 獅那の必死な引き止めは何の足掛かりにもならず、ひなはそのまま屋敷の外へ出た。そしてそこでやっと足を止めた事に、獅那は視線を上げる。


「!」


 獅那はそこで思わず目を見張った。

 屋敷の入り口から少し距離を取った位置に立っているのは……マオだ。

 彼女の姿を確認できた瞬間、獅那の額から冷たい汗が一筋流れ落ちる。


「マオ……さん……」

「あら、誰かと思ったら獅那じゃない。ここ(地獄)で会うのは初めてね」


 マオは獅那の顔を見ると、今までと変わらない笑みを浮かべて声をかけて来きた。


「……その子、わざわざ連れ出してきてくれたんですの?」

「何を……。そんなわけ……」


 すると、マオの表情が一変する。

 獅那は一度も見た事がないマオの冷たい表情。すとんと瞼が落ち、目を眇めて笑うマオの姿は異様だった。マオは着物の袂から短剣を取り出すと、躊躇うことなく鞘から抜き去る。


「……その子がいる限り、あの人の安全は守られないのよ」


 抑揚のない、呟くようなその冷たい言葉が、乾いた空気と共に獅那の耳に届く。


 危険だ。


 獅那が咄嗟に身構えるのと同時に、マオは地面を蹴ってひなに切りかかってきた。

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