動き出す執念
黒い闇が、まるでヘドロのように重く渦巻く中。こちらを見下げるような阿修羅本体と対面しているマオは、視線を逸らしたまま立っていた。
石段の上にどっかりと腰を下ろしたまま、阿修羅の目と口が緩やかに弧を描く。
「お前は本当に素晴らしい働きをしてくれた。指示を出したわけでもないのに、俺の娘《力》を寄こしてくれるとは……」
「……」
その言葉にマオは僅かに反応を示し、自分の手首を握り締める。
阿修羅はそんなマオの顔に手を伸ばすと、やや強引に自分の方へ振り向かせた。
黒く感情の見えない阿修羅の瞳に対し、マオの視線は相手を嫌悪するかのような眼差しだった。
「お前は俺の一部だ。当然、まだやれるだろう? ……娘を俺の所へ連れてこい」
「……いいわ」
マオはぴくりと僅かに眉根を寄せるが、澄ました顔で小さく頷き返した。
それよりも、早くこの手を退けて欲しい。
いくら自分がこの男の一部だとしても、その手には触れられたくない。触れていいのは麟だけだ。
その思いがマオの中に強く残っている。
阿修羅の手から逃れるようにもう一度乱雑に顔を背け、背を向けた。
「連れてくればいいのね」
肩越しに阿修羅を見てそう言い残し、マオは洞窟を出る為に足を踏み出した。
(あの子がこの男の手に渡ったら、間違いなく力を手に入れて完全復活になる。そしたら、麒麟様に危害が出ることは避けられない。なら……あの男の手に渡る前に、私が始末するわ)
阿修羅の忠実な諜報員でありながら、彼の意志に背くマオは着物の袂に忍ばせていた短刀を密かに握り締める。
そんな危うげなマオの後姿を見送りながら、阿修羅は笑みを浮かべたまま冷めた目を見せていた。そして無造作に自分の髪を一本引き抜くとふっとマオに向かって吹きかける。すると髪は意志を持ったようにうねり、彼女の帯の隙間に忍び込んだ。
「……期待しているぞ」
不気味に笑う阿修羅の笑みが暗い闇に浮かんでいた。
*****
ひなを始めとし、ヤタ、不知火、獅那は裁きの間として利用されている広間に集められた。
何もなく人影もない殺風景なその部屋には、すでに閻魔が中央に置かれていた机につき、彼らを待っていた。
「来たか……」
全員が自分の前に来た事を確認した閻魔は、深く椅子に座り直して彼らを見つめる。
「今後の話をしようと思う」
閻魔はひなたちを見据え、前置きを作らず単刀直入に本題に入る。
阿修羅の封印が解け、実体はまだ動き出せない状態ではあるが彼は自らの影を使い行動することが出来るほど動きを見せるようになった。いつ本体が洞窟から出て来るかはもう時間の問題だ。
「阿修羅の狙いは二つだ。一つは自分の力を取り戻すためひな殿を取り込む事、もう一つは麒麟の抹殺」
閻魔のその言葉に、ひなは小さく手を上げた。
「すみません……。私が狙われるのは分かるんですけど……なぜ、麟さんも狙われるんですか?」
事の実態を知らないひなの素朴な疑問に、彼は腕を組んで小さく唸った。
「簡潔に言えば、麒麟は帝釈天の魂の核を持たされているからだ。つまり……」
言葉を続けようとして、閻魔は瞬間躊躇った。
どう伝えるべきかを考えて黙ってしまった閻魔に、ひなはどこか不安げな顔をして見つめてくる。
「つまり……麒麟が倒れれば帝釈天も倒れ、この三世界の崩壊を生むことになる」
「……っ」
その言葉にひなは僅かに目を見開き、明らかに顔色が変わる。
自分の力が阿修羅に奪われてしまえば、全てが崩壊する一手となる……。
そんな重要なカギを握っている自分存在に戸惑わないわけがない。少し前に閻魔が自分を「危うい存在」だと言っていた言葉が、理解できた瞬間だった。
「先の阿修羅との対峙の時とはまた違う戦い方となるだろう。ひな殿は当然だが、帝釈天、麒麟もこの戦いに参加は出来ない。となれば、ここにいる八咫烏、不知火、そして麒麟の式神達とわしで奴を抑え込むしかない」
「前よりも不利って事だな……」
それとなくヤタが呟くと、閻魔は深く頷き返した。
「麒麟の守備と帝釈天の戦力が欠けているからな。こちらが不利な中で、万が一にもひな殿が阿修羅の手に渡った場合、我々が勝てる見込みは格段に少なくなる」
その言葉が、この部屋の空気を一瞬にして重たいものに変える。
「これ以上、ひな殿の中にある力を奪われないよう、我々はまず配慮しなければならない」
「承知しました」
その言葉に、ひなを除く三人全員が返事を返した。
「それから、もう一つ危険因子がいるだろう」
「……マオ、ですか」
ヤタの視線が鋭く光る。
彼の言葉に閻魔は頷き返した。
「そうだ。ひな殿をここへ突き落すほど、彼女は自分と言う存在を見誤っている上に、不安定だ」
ヤタ自身も、彼女の行動や思惑をすべて見抜くことが出来なかった。それを悔いているのか、握る拳に力が籠る。
「……長く共にありながら見抜けなかった事は、俺の失態です」
マオ自身の働きも、献身的な行動も、麟にしか見せない強い想いも全て傍で見ていた。つい最近の不可解な動きを除けば、それまでの彼女の存在を何一つ疑う余地も持たずにいた事は、麒麟の守護をする側として大きく信頼を欠くものだった。
後悔を滲ませるヤタに対し、不知火はそんな兄の肩に手を置く。
「兄上……。長く傍にいるからこそ、見抜けないものもあります」
「不知火……?」
「彼女は……」
不知火は一度言葉を切り、閻魔を見る。
この言葉が、もしかしたら八咫烏をさらに追い込むことになりかねないのではと懸念しているようだが、閻魔は深く頷き返した。
「八咫烏……。実は彼女はな、阿修羅の諜報員だと言う話だ」
不知火の代わりに閻魔が答えると、八咫烏と獅那が驚きに目を見開く。
「まさか……」
想像の斜め上を行く事実に、ヤタたちは言葉を失ってしまった。




